1978年2月9日午後9時過ぎ、勤務先の工場から自宅まで国道192号線を徒歩で帰宅中だった橋川正人の父は、トラックにはねられ亡くなった。ほぼ即死だった。

翌早朝、橋川の母から大和寮に電話がかかってきた。そこで母は、父がトラックにはねられたことと、急ぐ必要はないから気をつけて帰ってくるよう伝えた。それで、言外にすでに父が死亡したことを橋川は知らされた。

それでも橋川は、学校を休んですぐに電車に飛び乗ると、一時間半をかけて帰宅した。しかしもちろん、帰宅して対面できたのはすでに亡くなった父の亡骸だった。父はまだ44歳の若さだった。

それから父の葬儀が執り行われた。葬儀には、野球部監督・蔦文也も来てくれた。文也も、橋川の父が自分を慕って息子を預けてくれたことは重々承知していた。その自分の言うならばファンが亡くなったことは、少なからずショックだったはずだ。

しかし訪れた文也は、そんな橋川の父