
高崎計三さんが語る90年代プロレスメディア史! 活字プロレスよ、オマエは1996年に死んでいる!(聞き手/ジャン斉藤)
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――90年代のプロレス格闘技は、サブカル・文化方面との親和性が高かったというか、プロレス格闘技は大人の嗜みみたいなところってありますよね。
――だからプロレス格闘技にそこまで興味がなくても、とりあえず『週刊プロレス』を読むみたいな流れがあって。
高崎 試合は見ないけど、『週プロ』は読む。それも活字プロレスの一つの側面としてありましたよね。90年代は活字プロレスが最高潮に盛り上がって、1回死ぬ時代なんですよね。
高崎 その話を始めると長くなるんで、はしょると(笑)、就職活動していたら、偶然にベースボールとのコネが浮上してきて。
――ああ、そっか。ベースボールってコネでしか入れない時代がありましたね。
高崎 いまはわかんないけど、当時はコネか、バイト上がりかしか入れないんですよ。ウチの親父がベースボールの社名を言わずに「相撲の本を出してる会社と付き合いがあるが入りたいか?」と。それが『月刊相撲』を出してるベースボール・マガジン社だとわかり、入社を決めたんですね。
――ベースボールは入りたい会社だったんですか?
高崎 出版社にまず入りたかったんですけど、『週プロ』は週刊になったときから読んでたんで、入れるなら入りたいじゃないですか。だけど『週プロ』には「徹夜、徹夜で家に帰れてない」みたいな編集後記ばっかりなんで、そこはイヤだったんですよ(笑)。
高崎 まあそもそも、当時の『週プロ』はバイト上がりからしか編集部員を取らないというターザン(山本)の意向があったから、『週プロ』には入れなかったんですけど。ターザンが書いていたUWF三都物語(北海道、徳島、福岡)に博多のバー「勝手にしやがれ」って出てきたじゃないですか。じつはウチの兄貴がそこに通ってて、マスターに「今度、弟がベースボール入ることになった」と話したんですよ。そうしたら、マスターがターザンに「知り合いの弟が入るから、ちょっと目にかけてやってくれ」と。ボクは結局、『週プロ』とは違う部署に配属になったんですけど、ある日ターザンがやってきて「キミはプロレスファンなのか?」と聞かれて「はい。G1の両国7連戦のチケットもすべて買ってます」と応えたら、ターザンがすげえ呆れた顔をして(笑)。
――そこまで全力プロレスファンなのかってことですかね(笑)。
高崎 そしたら後日、ターザンから内線がかかってきて「プロレスの本だけを編集する部署を作るからこっち来てくれ!」と。当時の部長に報告したら「山本さんが言うんじゃしょうがないな……」って。
――当時の『週プロ』ってめちゃくちゃ売れてたから、ターザンは部署を超えて自由にできる権力を持っていたわけですね。
高崎 何かあるとターザンが会長に直訴するんですよ。会長は許しちゃうので、あの頃のターザンは何でもできましたね。
――高崎さんが移った部署はどういうところだったんですか?
高崎 ボク以外にフリーの女性編集者がいて、プロレスの本を作り始めたんですよ。その女性編集はベテランだったけど、プロレスのことはわからないから、プロレスに関する確認はボクがやってたんですよね。最後まで正式な部署にはならなかったんですけど、仮で「プロレス出版部」って呼んでたんです。『週プロ』の隣の島に机が用意されて。
高崎 単発でポコポコ作ってたのと、『THEプロレス本』というシリーズを2ヵ月ごとに同時に2冊ずつ出してました。あとボクは『日本プロレス全史』にも携わってたんですよ。
――そんな歴史書大作に!
高崎 それはボクが入社する前に外部の人間がターザンに「年表を作らせてくれ」と直談判してやりだして。もう9割は出てきてるから、あとはもうまとめるだけだ……ということで、入社半年ぐらいのボクが進行を任されて。その人と会って原稿を預かったんですけど、読んでみたら本当に酷い原稿で。打ち間違いや書き間違いがものすごい多いし、ライターとして基本的な能力がない。
――なんでそんな人間に任せたんだ(笑)。
高崎 ターザンって、やる気のある人が好きなんですけど、やる気のある人が書けるわけではないので(笑)。完成するまでいろいろなことがあったんですけどね。
――隣の『週プロ』とは仕事のリズムが違うんじゃないですか?
高崎 かなり違いますよね。『週プロ』は毎日徹夜でやってて。ボクも『日本プロレス全史』をやってて、無駄に泊まったりしてたんですよ。でも、何もないときや他に用事があるときは早く帰るじゃないですか。そうしたらあるとき、ターザンから呼び出されて「オマエが早く帰るから、編集部が怒ってる」と。でも、部署は違うし、言われる筋合いないんで、気にしなかったんですけどね。
――ボクも『紙プロ』に入ったときから、なるべく泊まらず家に帰って仕事するタイプだったんですけど、『紙プロ』の先輩方は怒ってたみたいですね(笑)。
高崎 当時の『週プロ』はめちゃくちゃ忙しいから、気持ちはわかるんですよ。でも、『週プロ』編集部って昼間はすっごい静かで、デスクのイスで寝てた人も夕方ぐらいから起き出したり、サウナから帰ってきたりとか。活気があるのは夜中なんですよ。
――ピークが違うだけですね。
高崎 ボクが泊まるときはその活気を味わうことができたんですけど、みんなからは「なんだ、アイツは」みたいに思われてましたよね。ボクがプロレス技の本を作ってたときに、「神取スペシャル2」という技の詳細がちょっとわからなかったんですよね。神取忍、LLPWといえば宍倉清則さんじゃないですか。
――当時『週プロ』の次長で、いまブログで大暴れしてるシッシーですね。
高崎 それで宍倉さんに聞いてみたら「興味ない!」って一刀両断されて(苦笑)。
――感動させてよ!(笑)。ボクが言うことじゃないですけど、当時の『週プロ』編集者はクセがある人たちが多かったんでしょうね。
高崎 市瀬(英俊)さんと小島(和宏)さんとは関わることが比較的多くて、そのお2人には優しく接してもらった記憶があります(笑)。
――ターザンって編集部にずっといたんですか?
高崎 昼間に部長会議があったりするから編集部にいる時間は長かったんですよ。昼間はバイト以外の他の編集部員はほとんどいなかったけど、ターザンはデスクの間をウロウロしてることもよくありましたね。
――ターザンといえば、電話で「何かあったか?」って聞きまくることが有名で。
高崎 あの「何かあったか?」はみんな本当に気にしてて。編集部の誰かは、何か面白いことを言えるようにノートをつけてたとか。
――松澤チョロさんも気にしてたなあ。ウェブ日記で変に書かれかねないと。
高崎 ターザンが編集部の自分のデスクに行く途中に俺らの島があるんですよ。だから通るたびに「高崎、何かあったか?」ってよく聞かれたんですけど、「いまはないですね」と返して。「そうか!」って通り過ぎていきましたけど(笑)。
――ターザンって「しょっぱい奴だな」って言いながら、翌日には「面白い奴だ!」みたいにころっと変わるから、あんまり気にしなくていいんだろうなって(笑)。ターザンはどこかの部屋に籠もって、誰かとずっと電話してたとか。
高崎 それはね、深夜なんですよ。当時『週プロ』の編集部は2階にあったんですけど、1階に応接室が2つあって。他の部署の人間がみんな帰っちゃったあと、そこをターザンが占拠して。山口(日昇)さんや柳沢(忠之)さん、骨法の堀辺(正史)さんたちと電話で話をしたり。
――そうやって自分の考えをまとめていくわけですね。
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