1979年2月1日木曜日、池田高校は甲子園の出場校に「センバツ」された。

その夜、監督の蔦文也は関係者や後援会のメンバーと夜遅くまで祝宴を挙げた。そしていつものように二次会にくり出そうとしたときだった。それまで隣の部屋にじっと待機していた妻のキミ子が、やおら飛び出してきた。そして文也の腕を強い力でつかむと、そこにいた皆に向かってこう言った。

「みなさん、申し訳ないが今夜はここでしまいじゃ。先生は帰らせてもらいます!」

そう言って、文也を強引に家に連れて帰った。これにはさすがに文也も従わないわけにはいかなかった。

このときの甲子園出場は、キミ子にとっても久しぶりで、また待望のものだった。1975年の春以来、4年ぶりだ。

そのため、文也が酒席で何か問題を起こし、出場取り止めになったらたまったものじゃないと思ったのだ。そうなったら、誰に対しても申し開きができない。そのためこのときだけは