
掌底時代から現代のパンクラスまで知る男、窪田幸生さんインタビュー。坂口道場の道場長にたどり着くまでのお話を伺いました(聞き手/ジャン斉藤)
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――窪田さんは掌底時代から、いまのMMAルールの時代のパンクラスにも出てますよね。
――すごいことをやってます(笑)。
窪田 ボクは97年にデビューしたんですけど、当時は体重制限もないんで。デビュー戦のキム・ジョンワンという韓国人は120キロくらいあったんじゃないですかね。
――時代ですねぇ(笑)。窪田さんは何キロだったんですか?
窪田 84キロぐらいですかね。柔道のときは68キロだったんですよ。
――いまMMAをやるとしたら中・軽量級とか。
窪田 ウェルターやミドルですよね。でも、昔は身長や体重が求められましたからね。
――要は180センチ以上、80キロ以上ないとプロになれない時代でしたね。
窪田 地元は高知だったんですけど、みんなが高校卒業して大学に進んだり、就職する中、ボクはパンクラスに入ると。学校の先生は「パンクラスってなんだよ?」みたいな反応で。そもそも書類審査が受かんないとパンクラスはテストも受けられない。書類を送って連絡を待ってる状態で、親から「もう無理だろう」と諦めるように言われたときに連絡があったんですよ。それで内緒で横浜でテストを受けに行きました(笑)。
――内緒で(笑)。
窪田 こっちに親戚がいたんで。そのときに美濃和(育久、現ミノワマン)さんもテストを受けてたんですよ。
窪田 いや、メニューは基礎体力系ですね。スクワット500回、坂道ダッシュ、最後に実戦的なものもあって。タックルに入ったり、ミット打ちもあったりしたんですけど。ボクはけっこうやれたほうだと思ったんですよ。でも、みんな落とされて……。
――ああ、美濃和さんも落ちてるんですよね。
窪田 でも、ボクと美濃和さんだけ呼ばれたんですよ。「キミたちは次は書類審査なしでテストをやらせてあげるから」と。それで次のテストでボクは受かったんですよね。
窪田 半年ぐらいあったかもしれないですね。これは後々わかるんですけど、そのときのテストでは誰も取るつもりはなかったみたいなんですよ。寮がいっぱいで入れなかったのか、理由はわかんないですけど。
――そんなに多くは抱えられない事情もあったんでしょうね。一緒に入った新弟子は何人いたんですか?
窪田 ボクだけでした。美濃和さんは別ルートだったんですよ。
――ああ、そうか。美濃和さんは諸岡(秀克)会長の誠ジムに入ったんですよね。
窪田 誠ジムからパンクラスに上がりましたね。
――新弟子の1日はどんなスケジュールだったんですか?
窪田 もう朝、起きてから、ずっと練習と雑用です。あとちゃんこ番は毎日交代でやるんですけど、その日は練習はできないんですよ。買い物に行ったり、ちゃんこの片付けもやりつつ、洗濯も干さないといけないし、畳まないといけない。
――ちゃんこは、みんなで食べるんですか?
窪田 練習が終わったら、食べたい人は自由に食べる感じです。こっちから出すのは基本的に船木(誠勝)さん、鈴木(みのる)さんぐらいですかね。当時のパンクラスはハイブリッド・ボディのときで……。
――カッコいい身体づくりが流行りましたねぇ。
窪田 それこそ鶏のささ身や卵の白身ですよね。そのへんを作って出してました。
――夜もちゃんこなんですか?
――道場の中にプレハブが置いてあって、そこで寝泊まりしてたんですよね。
窪田 そうですね。工事現場にあるようなプレハブが3つあったんですよ。
――3つも!かなり道場は広いですねぇ。
窪田 けっこう大きいですよ。みんながメシを食うところがあって、シャワーやリングがあって。寝て起きたら道場なので、休むヒマもなかったですね。
――言いづらいかもしれないですけど、当時ってシゴキやイジメみたいなのはあったんですか?
窪田 まあ、イタズラもありました。◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯とか(笑)。
――船木さんの悪ノリが過ぎますね(笑)。練習生はどういう練習をしてたんですか?
窪田 練習生はとにかく基礎体をやってからスパーリングですね。あとは先輩たちのウエイトの補助したり、技練やミット持ち。空いた時間に自分のトレーニングをやって。とにかくやることがいっぱいありすぎて、休むヒマはなかったですね。
――給料は出ていたんですか。
窪田 給料はプロになってからですね。だけど、食費も全部出してくれたし、寝るところもあったので。ただ、入門してから1年以内にデビューできなかったらクビになるんですよ。そういう決まりがあったみたいで、ボクは11月に入門して7月にデビュー。8ヵ月ぐらいでプロになってるんですよね。
――プロデビューの基準ってあるんですか?
窪田 そこは鈴木さん、船木さん2人の「もういいだろ」という判断ですね。
――パンクラスって競技だったじゃないですか。そういう意識を持って入ってたんですか?
窪田 入ってましたよ。でも、他のプロレス団体も競技だと思いました。
――ああ、当時はそういう認識ですよね。
窪田 ボク、もともとは高田(延彦)さんのファンだったんですよ。Uインターにも入門テストの書類を出してるんですけど、インターって審査基準が高いんですよね。だから書類の時点でダメだったんですけど。
――パンクラスはしばらく同じ道場でみんな練習してましたけど、すごくやりづらいですよね。
窪田 ケガしたのもバレるし、そもそも一緒に練習してるし。まあ試合が決まったら絶対に手は合わさないんですけど。
――ハハハハハハ。
窪田 でも、みんな掌底でパウンドを打つことは、なかなかやんなかったと思うんですよね。
――配慮してるんじゃないかって見えましたね。
窪田 ボクが山崎進っていう大道塾の選手とやったときは、もういきましたね。
――道場・ジムが違うから打てると。
窪田 あと(須藤)元気とネオブラの1回戦でやったときも掌底でパウンドして。判定で負けちゃったんですけど、元気は眼窩底をやって。1DAYトーナメントだったんですけど、それもあって決勝戦は判定負けだったのかな。
窪田 ボクが思うにはグローブより危ないと思うんですけど。パンクラチオンマッチも危なかったですね。頭突き、ヒジ、ヒザ、サッカーボールキック。要は金的と目潰し以外はOKで。それで15分一本勝負だったんですよね。
――ムチャなことをやってますよ(笑)。90年代のパンクラスは大会場でやってましたよね。
窪田 広尾に東京道場ができますね。横浜は鈴木さん、東京は船木さんで。ボクはずっと横浜ですね。
――鈴木さんと船木さんだと格闘技観が違うじゃないですか。鈴木さんはレスリング寄り、船木さんはMMA寄りで。
窪田 鈴木さんには徹底的に組みをやらされましたよ。ボクと美濃和さんは2人とも打撃できないんで、あるとき試合前に2人で打撃の練習してたんですよ。そうしたら鈴木さんが「オマエら、ふざけんな!打撃禁止だ!」と怒られて。
――えっ!?(笑)。
窪田 「次の試合、打撃をやったら負けだから」と。そのときのパンクラスはレガースを外しちゃったら蹴っちゃいけないんですよね。レガースも履かず掌底もダメ。打撃禁止だからとにかく組むしかない。その状態で何試合かさせられたんですけど、「鈴木さんの言いたかったことは、これか」と気づいて。ボクらの強みは打撃ではなくて寝技。自分の得意なパターンに持ちこむコツを勉強できましたね。
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