1979年、第51回選抜高等学校野球大会の大会八日目、四月五日の第四試合に、甲子園のベストエイト、準々決勝最後の試合が組まれた。

東洋大姫路と池田高校の対戦は、その前の試合が延長や雨などで長引いたこともあって、開始が17時と大幅に遅れた。

甲子園がある西宮市の4月5日の日没は18時22分である。そして高校野球の試合はどんなに早く進んだとしても1時間半はかかる。
だから17時にスタートするということは、試合が終わるのは日が暮れてからということだ。そのためこの試合は、ナイターになることが確実視されていた。

今でもそうだが、当時も高校野球のナイターは珍しかった。それにはいくつかの理由があるが、一番は「お金がかかる」ということだ。甲子園球場は、所有者の阪神電鉄から高野連に無償で貸し出されている。そのため高野連は気を遣って、あまりお金を使わないようにしていた。

だからナイターはウエルカムでは