
この記事は2014年に掲載されたものです!
「喧嘩をやらせたら日本で一番強い」と言われたプロレスラー、桜田一男。大相撲からプロレスに転身。ナメられたらオシマイのアメリカマットでトップの地位を確立し、「ケンドー・ナガサキ」などのリングネームで暴れまわった。そして“金権プロレス”と批判されたメガネスーパーのプロレス団体「SWS」設立に深く関与。同団体崩壊後も当時メガネスーパーの社長だった田中八郎氏との密接な関係は続いたという。そんな桜田一男の怒涛のプロレス人生を14000字のロングインタビューで追った!(聞き手/ジャン斉藤)
――ここのサイトの読者は「喧嘩が強い」プロレスラーのお話が大好きなんです。
桜田 フフフフフ。弱いよ、俺は。負けたから。
――大日本プロレス時代に出られたバーリトゥードのことですね。47歳という年齢でよく出られましたよね。
桜田 あれは(グレート)小鹿が決めた企画だから。40代はキツイよ、やっぱり。いちばん元気な30代じゃないと。掴まえたら極められたんだろうけど、パンチの練習もしてなかったし。
――あの企画の流れでブラジルにも行かれてたりしてましたよね。
桜田 1ヵ月くらい行ってたね。向こうで山川(竜司)が試合したんだけど。ブラジルは凄いよ、治安が悪くて、よくオリンピックをやるなって。「すぐそこで誰かが撃たれた」という話も聞いて。
――あのときは平(直行)さんら総合格闘家も一緒でしたね。
桜田 あー、誰か来てたな。おぼえてないけど。危なくてひとりで便所に行けないとか騒いでたよ。俺は海外が慣れてるからなんとも思わなかったけど。
――さすがですね(笑)。ヒクソン(・グレイシー)に会われたことはおぼえてますか?
桜田 会った。山川が出た大会はヒクソンがプロモーターだった。スポンサーがいなくなってお金がないから最後の何日かホテルを変えてくれって言われたな。練習場にも行ったけど、向こうのガキは小さい頃からやってるんだもんね。あれは強くなるよね。
――桜田さんはマルコ・ファスの道場でスパーリングされたんですよね?
桜田 やったよ。グラウンドは負けなかった。強い奴がいたな。新日本で来てた奴。
――武藤(敬司)さんと伝説の格闘技戦をやったペドロ・オタービオですね。話はさかのぼって、桜田さんは相撲からプロレスに転身されたわけですが、のちに全日本プロレスで一緒になる天龍(源一郎)さんやロッキー羽田さんとも角界で面識はあったんですよね。
桜田 知ってたよ。まさかあとでプロレスで一緒になると思わなかったけど。あの頃は相撲をやる人間がいっぱいいたんだよ。
――相撲は花形スポーツでしたよね。いまは、なり手が少なくなってますけど。
桜田 ウチの立浪部屋だけで60人くらいいたから。やめてく人も多かったけど。1日でやめたりね。
――いまは指導法が問題になってたりしますが、当時はとんでもなく厳しかったんですよね。
桜田 しごき、凄かったよ。いまだと大問題になってみんなやめちゃう。俺も何度も「つらい」と思ったけど、実家が北海道だし、帰るに帰れないから。そんな中でもイジメられる奴と、そうでない奴に分かれるんですよ。
――桜田さん、イジメられなさそうですね。
桜田 うん。俺はイジメられない。どこに行ってもイジメられる奴っているじゃないですか。会社や学校だったり。
――桜田さんが相撲をやめたのは、部屋内のイジメを止めたことがきっかけなんですよね。
桜田 そうそう。若い衆が入ったばっかの新弟子をイジメたから、俺が怒ってぶん殴ったんだよ。そのやりとりを見てた女将さんが親方に報告して。親方が俺にブツブツ文句を言うから「もうやめる」って。あっちは縦社会だから、説明したってダメだから。でも、何度も止められましたよ。いいところまで行ってたからね。
――相撲に未練はなかったですか?
桜田 永源遙っていたじゃん。あの人は立浪部屋にいたから、遊びに行くと「いつ相撲をやめるんだ。プロレスをやろう」とか煽られてね。それでやめることになっちゃった。少しは相撲に未練はあったんだけど。
――プロレスが魅力的に見えたところもあるんですか?
桜田 プロレスは自由に見えたよね。アメリカとかあちこちに行けるし。相撲は親方になってもずっと部屋にいなきゃならない。そういう自由はないじゃないですか。
――それで永源さんの繋がりで日本プロレスに入られて。
桜田 練習はキツかったよね。やったことないことをやるから、やっぱし。でも、やってくうちにおぼえていったよ。その頃は山本(小鉄)さんと大坪(飛車角)さんというコーチがいて、練習には厳しいけど、普段は優しかった。当時一緒に練習していたのは藤波辰爾、キラー・カン、佐藤(昭雄)、シンガポールから(ドナルド・)タケシという奴が来てた。キラー・カンはいっつも泣かされていたよ。イジメられる役なんだよ、アイツは。藤波は練習も真面目だからイジメられない。キラー・カンは真面目じゃなかったから。それで永源さんなんかにいっつも怒られて、すぐ女のところに逃げちゃってた。あだ名が「オバケ」だったよ。身体がオバケみたいに大きかったから。
――日本人離れした身体ですもんね(笑)。
桜田 あのときは永源さんや藤波、キラー・カンとか5人くらいで八百屋の2階のアパートに住んでいたんだよ。場所は三軒茶屋。部屋は3つあって、永源さんがひとつの部屋でベッドで寝てて、あとの部屋に俺たちが布団を敷いて寝てた。
――永源さんは先輩だから別格なんですね。
桜田 永源さんが「タクシー!」と言ったら、みんなでタクシーを拾いに行ったよ。あの当時タクシーはなかなか拾えなかったから、誰が拾うか勝負だったよね。
――桜田さんは上田(馬之助)さんの付き人だったんですよね。
桜田 そう。上田さんはちょうどアメリカから帰ってきたばっかだった。キラー・カンは吉村(道明)さん、佐藤は馬場さん、藤波は猪木さん。俺が上田さんだったけど、何も用事がないんだもん。付き人として凄く楽。ほかはみんな大荷物だけど、上田さんは荷物も小さいしさ。優しい人だったよ。仕事はちゃんとやるけど。
――上田さんは仕事もできたうえに、ガチンコも強かったんですよね。
桜田 何回もやったことあるけど、メチャクチャ強いよ。猪木さんも強いです。猪木さんと上田さんは用事がないかぎり道場で来て練習してたから。馬場さんは来なかったけど。
――そこはイメージどおりですね(笑)。当時“柔道日本一”という触れ込みで日プロに入団された坂口(征二)さんはどうでした?
桜田 坂口さんはあんまり強くない。でも、引っ張る力は凄かったね。あの身体でロープ登りしちゃんだからビックリしたよ。同じ柔道でいえばアントン・ヘーシンクも引きつける力は凄かった。
――柔道五輪無差別級の金メダリストですね。
桜田 俺がプロレスを教えたけど、ヘーシンクにガッと引きつけられたら動けないんだから。でも、プロレスセンスがなかったね。
――話を戻すと、上田さんはそんなに口うるさくない先輩だったんですね。
桜田 うるさいのは大木金太郎。あとユセフ・トルコもうるさい。
――トルコさんはたしかにうるさそう(笑)。
桜田 試合が終わったらタクシーで旅館まで帰るじゃない。タクシーを呼ぶのは若い衆の仕事なんだけど、トルコは「タクシー!タクシー!!」って騒いでうるさいんだよ。早く来なかったら怒って大変だし。性格的にあんまり好きじゃなかった。悪いことばっかやってたし。悪いよ。凄く悪いよ。
――三度も繰り返すほど悪いですか(笑)。
桜田 トルコは猪木さんや上田さんとくっついてた。
――幻に終わった日プロクーデター計画のメンバーですね。
桜田 上田さんが全部バラしちゃったけど。
――どうして上田さんは猪木さんを裏切ったんですか?
桜田 それは知らないけど。「猪木と一緒にクーデターをやるはずだった」ってことを芳の里さん(当時の日本プロレス社長)にバラして。その内幕を原稿用紙10枚くらいに書いてきたんだよ。上田さん、字が凄くうまいから。
――「こういう計画を猪木が企んでいる」と。
桜田 選手全員集められて、上田さんがその原稿を読み上げて。みんなビックリしたよ。芳の里さんたちがゴルフをやってるあいだに、猪木さんと上田さんが会社を乗っ取ろうとしてたんだよ。
――事務所に乗り込んで手続きなんかをしてしまおう、と。日プロのエースだった馬場さんは知ってたんですか?
桜田 馬場さんも知らない。だからみんな反発したよ。やっぱり乗っ取られるのは嫌じゃん。自分たちのやりやすいようにやられちゃうかもしれないから、みんな反発した。猪木が事務所に来たら叩きのめせってことで、5〜6人で待ってたんだよ。でも、来なかった。
――猪木さんは先輩ですけど、やりづらくなかったですか?
桜田 やるとなったら仕方なかった。
・坂口征二の日プロ離脱の修羅場
・アメプロ黄金時代
・ナイフとバットを持った観客
・ブルーザー・ブロディ刺殺事件
・武藤とはウマがあったが、ポーゴはダメ
・SWSのエースは武藤敬司の予定だった
・SWSの天龍源一郎は落合博満と同じ給料
・剛竜馬SWS入団拒否会議
・田中八郎に最後に会ったのは……続きはこのあとへ
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