
国内ボクシングデビューでKO勝利を飾った山本美憂インタビューです!(聞き手/松下ミワ)
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――ボクシング日本デビュー戦、美憂選手の勝利は業界全体が祝福ムードですね!
――3ラウンドKO勝利という結果でしたが、KOの感覚はどうでした?
山本 3ラウンドでは2回ダウンを取ったんですけど、1回目も2回目も自分の中で「これだ!」というものじゃなくて。ドーンという感覚があったパンチではとくに倒れず、いつのまにか「パッ、パッ」って出したパンチでKOできたって感じでしたね。
――意外な攻撃がKOにつながった、と。
山本 で、1・2ラウンド目は……1ラウンド目なんかとくにヒドかったんですよ。身体がガッチーンって感じで全然動いてなくて。セコンド陣営も「あー……」ってなったと思うんですけど。
――それは緊張で?
山本 たぶんそうですね。「当ててやる!」という力みもあったのか、自分では気づいてないところでの緊張だったのか。序盤は様子を見るという作戦もあったんですけど、すごい空回りして。
山本 だから1ラウンド目は相手のパンチももらってたはずなんですけど、それすらわかってなかったです。こっちはこっちで「なんか今日、当たんないなあ。今夜、パンチ当たるのか?」みたいな(苦笑)。2ラウンド目も同じような感じだったんですけど、ラウンドが終わってコーナーに戻ったら長谷川(穂積)会長も笑いながら「何、緊張してんの?」みたいな。
――コーチ兼セコンドだった長谷川穂積さんが思わず笑っちゃうほどガチガチだったんですね。
山本 そしたら、セコンドのみんなが笑って和んだというか。みんなで笑っていつもどおりな雰囲気になったんで「はあ、緊張してんだ」って。
――ちなみに、美憂選手の戦績を見返してみたら、じつは今回の試合がMMAも含め人生初のKO勝利なんですよね。
山本 相手が疲れる頃に自分が元気になってるから勝ち越せるみたいな。で、負けてる試合はだいたい最初のほうに負けてるんですよ。
――たしかに今回も3ラウンド目での勝利でした。今年は3月にオーストラリアでボクシングデビューして、今回ですでに2戦目でしたが、52歳の美憂選手にとって調整は大変じゃないんですか?
山本 自分の中では3月から9月というのはけっこう空いたなという感覚なんですよね。
――40代半ばぐらいのMMA選手は、年に複数回の試合はもう調整がキツイという話も聞くんですが……。
山本 でも、私はレスリングもやってたから、けっこうサイクルは短いほうがいいんですよ。MMAも多いときは1年3試合やってたし。それに、調整という意味では今回のほうがいい調整ができましたね。じつは去年の12月のはじめにケガしてた部分を手術したんですよ。それでオーストラリアの試合前は2回しかスパーリングできなかったんですよね。試合のときはもう全然、治ってたんですけど。
――そうだったんですねえ。減量に関してはどうでした?
山本 MMAは49キロでしたけど、今回は50.8キロ契約で前より2キロぐらい余裕があったんでだいぶ楽でした。むしろ、もう1階級下のライトフライ級(48.97キロ)に落せるかなとも思ってて。いまの時点で4キロぐらいしか減量ないんですよ。しかも、練習とかトレーニングキャンプが始まると自然と落ちちゃうんですよね。
――MMA時代のスーパーアトム級より軽くても大丈夫、と。
山本 MMAのときよりちょっと下だったら全然。というか、計量のときはいつもアンダーでクリアしてたりするんで、まあまあ一緒ですね。
――そもそも、いつも減量は大変じゃないんですか?
山本 まあ、毎回イヤですよ。毎回「もうイヤー!」となるけど、落ちないということはないです。私の場合、MMAでは長くても2週間で体重をつくると決めていたんですよね。でも、ボクシングは水抜きすると危ないらしいんですよ。
山本 水抜きって結局、体内の水分がなくなるから、その状態で試合をすると脳によくないみたいで。リカバリーしても完全に回復してるかわからないみたいなんで、ボクシングでは落とし方を変えて、もうちょっと長い期間で調整するようにしてますね。
――競技が違うと、同じ減量でも変わってくるんですね。そもそも、美憂選手がボクシングに挑戦するというときに、日本の興行では年齢制限に引っかかってJBCのプロライセンスが取れないということで、最初にたどり着いたのがオーストラリアだったという話ですよね。
山本 そうですね。
――そういう経緯があったので、今回、日本で試合するというのはかなり大変だったのかなって。
山本 私も本当に試合ができると思ってなかったです。
――ええ~(笑)。
山本 だけど、最初に試合をしたオーストラリアでプロライセンスを取っていたのと、私ってカナダ国籍なんですよ。だから「海外選手枠」ということで参戦できたんですけどね。
――レスリングでオリンピック出場を目指す際にカナダに国籍を取得されていますよね。
山本 だから、完全に「外国人が来ました!」みたいな。日本語すっごい流暢ですけど(笑)。
――とはいえ、主催者側との調整はスムーズにいったんですか?
山本 やっぱり、いろんな方が動いてくれました。私も最初は全然日本で試合をするというアイデアはなかったんですけど、長谷川会長と、あともう1人いつもハンドラップを巻いてくださる会長がいるんですけど、その2人がいろいろ話してるうちに「あれ、ちょっと待てよ」「これいけるんちゃうか」みたいな。それで今回の興行の『DANGAN』の方々も動いてくださって。あとはオーストラリアからも必要な書類を取り寄せたりして、本当に皆さんのおかげです。
――それって、ボクシング業界内部からは反発の声もあったりしたんですかね?
山本 どうなんでしょうね。そこは関係者や長谷川会長が守ってくれてるのか、私の耳にはまったく入らなかったです。「とにかく試合に集中」みたいな。でも、何をするにも反発の声って何らかしらあるじゃないですか。だけど、それをいちいち聞いていても「ご要望には応えられません」みたいな。やっぱり自分の試合が大事だし、自分が大事だから。私がその人の言うことを聞いて、じゃあいい方向へと導いてくれるんだったらいいけど、べつにそうでもないと思うし。だったら「自分たちを信じてください」という長谷川会長やコーチ、自分の身近にいて自分が信じている人たちの声を聞くのが、私の中では第一優先だと思っているので。
――その長谷川会長とは、もうお付き合いは古いんですか?
山本 ええっと、最初はいつだったっけな? 『ダウンタウンDX』で隣の席に座ったんですよね。あれは、2016年とかですかね(2026年11月)。……あ! じゃあ、もう出会ってちょうど10年だ!
――となると、美憂選手はもうMMAデビューはされている時期ですね。
山本 そうそう。MMAをはじめて、練習の一環としてボクシングもやっていたんですけど、自分はやっぱ打撃はそんなに得意じゃないから、どっかに練習に行きたいなと思ってて。で、その番組の出演者リストを見たときに「長谷川穂積さんだ!」となって。当時から凄く大好きだったんですけど、本番では見事に隣の席になって。「これはもう声をかけないと」と思って、勇気を出して「今度、練習に行ってもいいですか?」と。
――そこで声をかけられる美憂選手も凄いです!
山本 ドキドキしました(笑)。断られるんじゃないかなと思ったけど、それでもいいやと思って。それまでも打撃の練習はしていたんですけど、やっぱり全然ヘタで。で、そこから月に1回1週間行ったりとか、隔週で行ったりとか、行けるときに神戸にある長谷川会長のジムまで行ってましたね。
山本 じつは、もともとウチの父親がボクシングが好きなんですよ。だから、私が母のお腹にいるときから胎教みたいな感じで、父がボクシング会場に連れて行ったりしていて。
――生まれる前から父・山本郁榮さんの英才教育があったんですか。
山本 男の子が生まれると思っていたみたいで(笑)。 あとはブルース・リーの映画を観に行ったりもしましたね。それで見事にボクシングが好きになるし、ブルース・リーも大好きという。父は父で、いつも何かと言っちゃ「カシアス・クレイがどうのこうの~」って。カシアス・クレイって、モハメド・アリの元の名前なんですけど、そういう話をしてくれたりしてたから、私もいつの間にか気がついたらって感じです。
――それでも、やっぱり競技者としてはレスリングを選んだというのは血筋だったんですかね。
山本 そうですね。で、MMAのときにやっと練習の一環としてボクシングをやって。それまでは、絶対に自分がボクシングをやることないだろうと思ってたんですけどね。ただ、ボクシングの練習をしてるときは凄く幸せでした。
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