村上裕一の(仮)
村上裕一の新米社長日記[ 第9号 ]
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村上裕一の新米社長日記 第9号 4月29日~4月30日
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最終週
突然ですが、この社長日記は4月にて最終回となります。
ラジオを毎日始めたことによって、日々の出来事は肉声で伝える
ことができるようになりましたので、この日記も役割を終えたと判
断しました。とはいえ、文章でしか表現できないことも様々ありま
すので、そういったものはまた散発的に打ち出して行きたいと思い
ます。なお、まるでOEPのための専用サイトのようになっていた
bonetですが、もうすぐラジオポータルとしての機能を実装し
てメディアとして再来しますので、おそらくはそちらでもろもろ文
章をお目にかける機会があることでしょう。ではとりあえず社長日
記は4月にてお開きでございます。
4月29日(月)
今日は休みだったのだ。いわゆる昭和天皇の誕生日なわけだがすっ
かり超会議の影響で見落としていた。世間ではおとといから数えて
すっかりゴールデンウィークだったわけだ。徹夜で乗り切った反動
か、疲労困憊で十何時間も寝てしまった。起きたら夕方。とりあえ
ず整体に行き身体を整えた後、行きつけのバーに飲みに行った。こ
こは愉快な店である。今日は客がいなかったのかマスターと話の流
れで『バイオハザード6』をやることになった。最初のゾンビを倒
すことができずに4回死に、あまりの難易度に疲れてしまった。シー
バスリーガルを飲みながらやっていたのだが、見事に3D悪酔いを
してしまい、それを理由に退店してしまった。こんなことがあって
いいのか。
4月30日(火)
深夜あるいは早朝のことである。ゾンビに苦戦したことで悪酔い
した私はとぼとぼと帰ろうとしていたのだが、その道すがら、昔う
ちで働いていたK元社員と偶然出会ったのだった。彼は新しい言語
で作業しなければならなくて最近はこんな時間までかかってしまっ
たと言っていたのだが、久々に会ったことによってかテンション高
く、前言ってたバーに連れて行ってくださいよーという話になって、
彼とともに飲むこととなった。話を聞くに今日はレジャーで赤ワイ
ンをしこたま飲んだようで、ちゃんぽんが怖いからとこの店でも赤
ワインだった。私は最初にトマトジュースを飲み(悪酔い!)、酒
を飲まないことに申し訳なくなったので次はスミノフアイスを頼ん
だ。色々と希望的なことを語り、満足した気持ちで別れたのだが、
そのあとまた別口の知人とまみえ、しょうがないからとさらに深夜
にやっている店を開拓して刺身などを肴にホッピーを飲んでいたの
だが、客の絡み方が不愉快だったのでさっきのトマトジュースの店
に出戻りした。朝までやってるバーはとてもすばらしい、と思った
のだった。トマトジュースおいしかった。酒を飲んでばかりに見え
るかもしれないが、昼には起きて企画書を3本書いた。酒は仕事を
進めてくれる……というのは危険な思想である。
総評
ということで休みを挟んだせいで完全なオフ記になってしまった
が、こんなところでおしまいだ。これまで1ヶ月分の日記をふりか
えってみて思ったのは、けっこう色々やっているな……ということ
であった。これは別に僕に限ったことではなく、だいたい人間3日
以上前のことは忘れているものなので、記録をつけておくとその事
実の厚みにびっくりすることだろう。『ドラゴン桜』に、勉強の記
録を手帳につけることの意義が書かれていたが、自分も忘れていた
ような自分自身と出会う経験は感動的である。むろん、それが努力
の証明であればいいのだが、風説や他人の評価という形で、自分が
知りもしなかったような悪い自分と出会うこともある。自分とはいっ
たいなんなのだろうか。それはやはり差分である、とこのようなこ
とを考えていると思う。過去と現在の差分。自己と他者の差分。そ
のズレの重なりにおいてしか我々は我々自身というものを認識でき
ないのではないだろうか。では、いまこうして動いている自分とは
何なのだろうか。わからない。まことに不思議である。文章とは、
そんな曖昧な自己なり現在なりというものを、変質した形にしてし
まうとはいえ、残しておくための慰みのような営為であると感じる。
とはいえ……昔、フランス現代思想界隈ではよく、書かれた言葉は
既に他者の言葉である、などと言われていたわけだが、書いている
今この瞬間はそんな割り切ってやれるものではない。やはり日記は
秘して自分という特別な他者に向けて書かれるべきであると強く感
じた。そりゃあルソーなんかにしてみれば、『孤独な散歩者の夢想』
だの『告白録』だのずいぶん露悪的な日記をわんさかと書いている
わけで、なんでも開いていけよ、という勢力がいるのかもしれない
が、多少そういう開かれが重要なのかもしれないにしても、完成品
になるまで作品の公開を許さなかったがゆえにほとんどの作品が死
後の強制的な公開にさらされてしまったカフカのような奥ゆかしさ
の方が、気が楽だ、と思うのだった。それと読み物として考えてみ
た際に、日記なんて、ほとんど僕のプライベートが知りたいという
奇特すぎる人間のためのコンテンツであるのは間違いない。私も私
に対してよく思うのだが、もうちょっとはものを考えて書け、とい
う感じである。書くためには読まねばならぬ。もしくは体験。読ま
ず歩かずでものを書こうなどという横着をしてはならぬ。かような
散文は適当にbonetで書いていくことでしょう。ではみなさん
また今度。
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