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ビュロ菊だより 第一号 2012.10.17
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ビュロ菊だより 第一号 2012.10.17

2012-10-17 01:00
  • 3


━━━━━━━━目次━━━━━━━━

■菊地成孔の1週間

■グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」
最初に/第1回 <深夜で、大勢で、毎日>

■動画「ビュロー菊地ポップアナリーゼ中継」 
第1回 <少女時代「GINIE」①>

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

菊地成孔の1週間

コチラに詳しすぎるほど詳しく書いたので、詳細はそれをご参照頂くことにしまして、先ずは何よりも当「ビュロー菊地チャンネル」の会員になって下さった皆様、有り難うございます。
 
 で、良いのかしら?これで合ってる?というのが、開設3時間前である12年10月16日22時の6分のワタシの状態です。そもそもニコニコ動画とニコ生と、ニコニコちゃんねるの違いが解っておりませんし、テメエでやってる「ビュロー菊地チャンネル」と「ビュロ菊だより」の違いもあまり解っておりませんし、初月無料とか、コンテンツのバラ売りありますとか、料金システム全体についても、ぜんっぜん把握出来ていないので、要するに、有り難うございますと言っても唇寒し、誰にどれぐらい有り難がれば適性なのか解らず、つまり、目隠し五里霧中のまま「有り難うございます、有り難うございます」と呟いて、とぼとぼ歩き出した人。という、ブサイク極まりない感じですね(面白いですけど)。

 まあ、感謝なんてお前の気持ちひとつなんだよと言われれば、これはもう、天然自然、宇宙、世界中の、遍くありとあらゆる存在、ですね。原発や天然痘ウイルス、憎き恋敵や関係妄想症のストーカーファンの方々、等含め、もう総てに感謝。ですけどね。感謝ですよー。さっき急いで部屋に入ろうとして、クリーニング屋さんのビニール袋で滑って転んだんですが、「ありがとう!ツルツルしててくれて!お陰で気合いが入ったよ!」と。

  開設ギリギリに滑り込みで書いているのは、単純なケアレスミスで、開設日を1日間違っていて(笑)。←と、出ました最初の「(笑)」ですが、この日記、コンテンツのタイトルとしては「菊地成孔の一週間」とさせて頂きましたけれども、初回のタイトルは「(笑)からwwwへの自己更新を目指して」とさせて頂きます。もう別人ですよね。慣れ親しんだカッコ笑いを捨てて、反射的にダブリュウをパンチするようになったら。

  現在の予想では、一生「(笑)」を使い続けるような気もしますし(結構保守的なんですよね。先日、「菊地さん、もうOMSBはペペのメンバー。で良んじゃね?」って言われて、そいつのつま先にテーブルの脚乗せてから、そのテーブルの上に座り「<良いんじゃねえの?>が正しい」とか言っちゃったんですね。我ながら恐ろしいです自分の保守性が)、一方、もう次回には平然と使っている気もします(結構「郷に入っては郷に従え」タイプなんですよね。先日「菊地さん、もうOMSBはペペのメンバー。で、よくね?」って言われて、「やあ、でもやっぱあフィーチュアリングのがよくね?」と、超合わせて言ったんですよね。違和感ゼロ。恐ろしいです自分の適応力が)。兎に角ここは、自分的には。ですが、この連載の最重要ポイントですね。思い出しますよ最初に眉のトリミングした日のこと。運命ごと変わるんですね人は。カミソリ一丁でね。

  という訳で、コンテンツの説明をさせて頂きますが、毎週水曜更新。こうして先ずは、一週間分の日記で始まり、続いてグルメエッセイと映画評が交代で隔週連載となります。動画はレギュラー枠がアナリーゼ毎週30分(きっちりではなく、尺は若干伸縮します)、それと別にワタシが思いついたら別の番組もイレギュラーで製作してお届けします(今考えているのは、金曜夜の歌舞伎町から二丁目にかけて日産エルグランドでクルージングする事ですね。いろんな人乗せて。ご要望の多いライブ動画ですが、全部冨永監督が撮影してるんで、条件が整いさえすればいくらでも出しますんでお楽しみに)。

  あとは「ニコ生」というのですか?あの、ドミューンみたいな奴も、環境とか条件とか揃えば、いろいろやってみたいですね。一回目は絶対に「三輪君がマッサージを痛がっているところ(2時間)」二回目は絶対に「三輪君が麻雀で可愛い女の子に振り込み、ものすげえ悔しがっているところ(2時間)」ですが、三回目以降も夢は広がる一方ですね。三輪君のファンの方も、そうでない方もお楽しみに。

  と、さてここまでは開設に際してのご挨拶でありまして、今後「菊地成孔の一週間」がどんな感じなのか?というパイロット版を書きます(30分間で)。パイロット版なんで、昨日と今日の3日分だけですが、今後これが最低でも7日分づつになります。

 

 

          *   *   *   *

 

「菊地成孔の一週間」

 第一週<(笑)からwwwへの自己更新を目指して>

  10月15日(月)

 午後3時、と、結構早起きをしたので、フラフラしたままワーナーの試写室で、イーストウッドの主演最新作(監督やってない)「人生の特等席」を観る。

  山田洋次の様なタイトルになってしまっているが原題は「Trouble with the curve」で、これはかなり洒落ているし、この映画が、ここ最近のマルパソ(イーストウッドの製作プロダクション)作品の中でも、ぎりぎりコメディタッチと言っても良いぐらいのライト感がある(それでもマルパソはマルパソだから、「凋落国アメリカの反省」という重さはしっかりマウントしているのだが)作品だという事のウインクになっているのだが、まあそれは言うまいという所。

  ワーナーでの試写会では著名人を良く見かけるのだが(前はおすぎ氏と戸田奈津子氏がいて、きゃあきゃあ言って手をつなぎ、楽しそうに話していた。おすぎ氏は戸田氏を「なっちゃん」と呼んでいる事を知る)、今回、早めに着いたのでタリーズのポルチー二クリームのホットドッグを齧っていたら、ピーター・バラカンさんがいた(奇しくも臨席になったのでご挨拶さし上げたら「ああ、そういう格好だと解らないね(笑)」と言われた。「バラカンビートと粋な夜電波をハシゴする人が多いみたいですよ」と言いかけたら暗く成って映画が始まった)。

  作品はとても良い、またしても脚本はガチガチのフロイディズムで、最近のアメリカ文芸映画は、臨床としてのフロイドは信じていないが、フロイディズムは信じていて、脚本がウォークする中枢に据えられている。という二重構造になっている。「頑固オヤジ」という人格類型に「なんで頑固なのか?」というフロイド的な説明がつく事など、長い間無かった。

 夜は青葉でクウシンサイ、アヒル、ワタリガニ、等々。久しぶりだったせいもあり、アメリカン・オールディーズ・ポップスが流れる中でアヒルの窯焼きを噛みしめ、昔のデパートの大食堂のソーダ水のようなルックスをしたライチ酒のソーダ割りを飲むと、泣けてくる。


 10月16日(火)

 17時起床で映画美学校の理論科初等へ。行く前に、長年に渡って膨大な数のメールを送ってくる、つまりこちらのPCのメーリングソフトの中で一人でツィッターを延々とやっている女性に、まあ、こんな事をしても無駄だよなあ。と思いながらも「もう、送らないで下さい(毎日毎日、大量のメールをドラッグしてゴミ箱に入れて捨てるという日々の勤めに疲れて来たから)」と丁寧にメールしたら、数分後に平然とメールが来た。「やはりな」と口に出してから部屋を出る。

  初等科は今日からモードの勉強に入った。モードを教えるのは本当に際どい事で、古典調性と違って一般的な教育システムがない、どころか、一般的な構造把握もないケモノ道だからだ。その事を生徒に説明しながら、概論からゆっくり教えて行く。際どい行為だが楽しい。安定的な事も際どいことも、両方楽しい。

  急いで日記を書いてマネージャーに送らないと開設に間に合わない。せめて今週一番旨かった皿を書いておこう。シェフとマネージャー/スムリエが変わった、新生ブリッコラに関しては、完全にイエスである。もう時間がないので内容にまで言及出来ないが、アンティパストのミストが残さずどれも高水準にある事は、地力という言葉以上のものがあると思う。これでは小林信彦の、昭和の日記のようだ。小林信彦はまったく悪くないが、これではいつまで経ってもwwwには到達出来そうも無い。次回から文体そのものを変えようか考える事にする。

  ワインはプーリアのスピノマリーノ10年。グレーコという土着品種を使っているが、上手く出来ているゲヴェルツみたいな川の水感がかなりヤバい。トリンバックの78年を飲んだ事があるが、あれと似ていた。新しいスムリエ氏の才覚は凄い。これをマネージャーに送ったらまっすぐにブリッコラに行く。

と、日記初回を書き終えたら、見透かしたかの如きタイミングで、モーションブルー横浜の岡島くん(ものすげえグルメ)から、ぺぺトルメントアスカラール11/26公演のスペシャルメニューがフィクスしたとの報が届く。スタイリッシュでダンディな彼は、全部すっかり決めてから報告が来るので楽しみだし気持ちが良い。というか、すげえ旨そう。としか言えない。

これぞビュロ菊だより最初の速報、ということで取れたての全文を転載します。ここだけの話だが、日本の「高級ジャズクラブ」の中で最も料理の水準が高いのがモーションブルーである事は、好事家あいだの統一的な意見である。食べるだけでも充分どうぞ。

 

菊地さま

お疲れさまです。

大変お待たせしました、10/26のワイン&料理テキストです。

各料理&それに合うオススメのワイン(グラス売り可)と、スペ
シャル・セレクト・ワインというラインナップです。

スペシャル・セレクト・ワインは、イチオシの1本のみ紹介していますが、他にも赤白数種ずつ取り揃える予定です。

よろしくお願いします。

岡島

________________________

(前菜)
フォアグラとポットベラのテリーヌ/フレッシュいちぢくとマスカットの白ワイン煮を添えて/バルサミコのレデュクション ノワゼット風味


フォアグラは酒でマリネし低温で火入れをし、こだわりキノコ生産者、長谷川農産より届いた大きなブラウンマッシュルームはソテーして香りを引き出します。

両者をテリーヌ型にてモザイク状に詰め、そこに旬のフルーツをあしらい、バルサミコを煮詰めたものにヘーゼルナッツオイルで軽く香り付けしたソースを添えた一品。

こちらに合うワインとして

Predicador Blanco / Bodega Contador / Spain Rioja
プレディカドール・ブランコ / ボデガ・コンタドール /スペイン リオハ

土着品種に拘っている生産者で、このワインのメイン品種はビウラ。骨太でパワフルなうえ、爽やか。

はちみつ、黄桃、ヴァニラ、ローストナッツなどのアロマが見事に調和されたワイン。
※グラスでも販売します


(魚料理)
ヒラメのムニエル/下仁田ネギのエチュベ
/キノコのソテー 根セロリのエキューム/シェリービネガーソース

ヒラメはフィレにして粉を振りムニエルに。
ネギの王様、旨味の強い下仁田ネギは少量のブイヨンで甘みを引き出します。

数種のキノコを刻んだエシャロット、にんにく、パセリを合わせソテーし、これらをフォン・ド・ヴォーにシェリービネガーソースと焦がしバターを加えたキレのあるソースで。
全体のバランスをまとめる根セロリのピューレをベースにした泡状のソースを添えます。

こちらに合うワインとして

Condrieu Blanc La Galopine / Delas / France Rhone
コンドリュー・ブラン・ラ・ギャロパン / デュラス / 
フランス ローヌ

3つの畑のブドウをブレンド。アプリコット、桃、はちみつ、ドライフルーツなどの多彩なアロマが香る、ラ・ギャロパン "若い淑女" の名の通り、リッチで華やかな辛口の白ワイン。

ボリューミーでコクがあり、余韻も十分にたのしめる1本。
※グラスでも販売します


(肉料理)
シャラン鴨胸肉のロティ/アルゼンチン産赤ワインで煮込んだもも肉のパネ(クロメスキ)カブ ジロール茸を添えて

フランス産シャラン鴨を、胸肉はロースト、もも肉はアルゼンチン産のタンニンの強い赤ワインで煮込み、ほぐして、キューブ状に型取りパン粉をつけフリットにします。

ソースは、もも肉を煮込んだものを煮詰め、仕上げます。付け合わせは相性のよいカブ、ジロール茸のソテーを添えます。

こちらに合うワインとして

Golden Reserve Mlbec / Trivento / Argentina Mendoza
ゴールデン・レゼルヴァ マルベック / トリヴェント / アルゼンチン メンドーサ

料理に合わせてアルゼンチンのマルベックをチョイス。ベリー、プラム、モカの香り豊かな、優雅で力強い味わいの赤。

味の深み、複雑さ、飲み応えともに申し分のないフルボディー。
※グラスでも販売します


(スペシャル・セレクト・ワイン)
Chateauneuf du Pape Rouge Les Oteliees / Les Vins De Vienne
シャトーヌフ・デュ・パプ レ・ゾテリエ / レ・ヴァン・ド・ヴィエンヌ

フランソワ・ヴィラール氏、ピエール・ガイヤール氏、イヴ・キュイユロン氏、優秀な醸造家3人が1996年に設立した注目のドメーヌ兼ネゴシアンによる、自然農法(リュット・リゾネ)のワイン。

シラーのスパイシーな味わいとグルナッシュの濃厚な甘みが絶妙な逸品です。

今回はペペ・トルメント・アスカラール初演年である2005年ヴィンテージをチョイス。
※ボトルのみでの販売となります。

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■グルメエッセイ
「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」


最初に
 
 このコンテンツの編集担当は高良くんと言って、私がもし16歳で身を引かず、未だに24時間コーラを常飲する男として生きていたら、間違いなく「コーラくん」と、新聞の4コマ漫画の主人公のような名前で記述されていたはずだ。実家では業者との関係でコークだったが、個人的にはペプシ派である。それはともかく、何せ自分の家に売り物として常に冷蔵状態で満載されていたし、それは(どういうわけだか。恐らく二次大戦経験者である両親が、子供を豚児に育てることで「健康(栄養が行き届いている)」を確認したかったからだと思われる)売り物であるにもかかわらず飲み放題だったので、水道水などほとんど飲まなかった。朝起きてすぐ飲み、一日中飲み続け、ゲップをしながら寝ていた。
 
 なので、あのまま現役を続けていたら、かなり高い確率で糖尿病になっていたであろうし、運良く演奏活動を始めていれば良し、もし(腹が出ているので面倒で楽器なんかやらない。といった理由で)始めていなかった場合は、人格が破綻し、ゲップをしながらニヤニヤ人を殺めていたかもしれない(陰惨な方法ではなく、ゆっくりとした、甘くて狂おしい方法で。であるだろうとは思うけれども)。コーラくんだのエッセイだのといった話ではないのである。
 
 彼は私の唯一の映画批評の本『ユングのサウンドトラック~菊地成孔の映画と映画音楽の本』の編集者なのだが、飲み食いが好きということで(この連載にも後で必ず出てくるが、新宿で最も古いトラットリアである「プレゴ・プレゴ」の元バイトで、つまり「作家さんに気に入られる意外な経緯を持つ」という、不器用な者をイライラさせるような特殊能力を大いに発揮し)、出版後そのまま私の喰い仲間となってかれこれ3年ほど経った。
 
 その間中、彼がずっとトライしていたのが私の、所謂「食エッセイ」の出版だったのだが、ずっと(要するに、この連載に至るまで)果たせなかった。方向性が全く違ったのである。
 
 私が書きたかったのは、90年代まで食の荒野と言われ続けた新宿という街が放つ最強のグルメガイドで、ミシュラン2スターのフレンチや懐石から、ゴールデン街で明け方に出てくる、コーンビーフの缶を自分で開け、100円ライターとカウンターに並んでいる調味料を使って、自分で加熱調理する逸品まで、曼荼羅のように100店舗選んで私が紹介し、毎ページに料理の写真、それを私が旨そうに喰っている写真、店長と握手してニッコリ笑っている写真が掲載され、新宿が青山や目黒周辺、銀座や自由が丘といったゾーンに対抗しうる独立戦線を張る。という、戦闘的かつ非常に愉快で、強烈に腹の減る実用書なのであった。
 
 しかしそれは退けられ続けた。彼だけではない。「グルメエッセイ出版」の依頼は少なく見積もっても10社ぐらいから来ていて、大変有り難い話なのにも関わらず、私はその総て(そのほとんどが、熱狂的と言って良いアプローチを見せていた)を、時に非常に丁重に、時に返事もせず黙って、とにかく断り続けた。何年もの間。
 
 それらは総て同じ方向性を求めており、「まあ仕方がないとは言え、悲しいかな凡庸」と言うしかないそれらのオファー群は、一言で言えば「極めて文学的な食エッセイ(ちょっと泣けたり、欲情したり出来る奴)」というものだった。旨そうに喰ってる写真が満載のタウンガイドなど、とんでもない話なのである。
 
 私は若い時分に『スペインの宇宙食』という本で、これをわりと派手にやってしまい、いつまでも大人に成れないし成りたくないというブッキッシュな青春病の患者達に、依存に近い感銘を与えてしまったかもしれないことを、今でも(部分的に、条件付で。ではあるが)はっきりと悔いている。若気の至りは誰にでもある。その程度のことではあるとしても。何せあの本は、34~5歳ぐらいから書き始めたものをまとめ、40歳の時に出版した、立派な中年エッセイストの本であるにも関わらず、(良い意味でも悪い意味でも=褒めてます貶してます)煌めくような青春の書になってしまっているのである。
 
 クリエーターに悪名高いアマゾンのユーザーズ・レビューにあった一文が、少なくとも私の主観上は書評として最も正しい。そこには(大意)「彼が本当のグルメにも本当のファッションに触れたのも最近のことだ(だから、惑わされて過大評価を下してはいけない)」とあった。
 
 私の知る限り、批評はやはり優れた素人に限る。正鵠を射られて絶句するという経験を何度かしているけれども、決して数多いわけではないその何件かは、総て素人が射った矢によるものだ。99・99%の素人の矢は、ブラウン運動のようにそこら中に霧散するだけだが、一矢が報いれば敵は殺せる。私はPCの前で、左胸を押さえてゲラゲラ笑いながら「言われたー。とうとうやられたー」と、声に出して言った。
 
『スペインの宇宙食』当時の私は、なけなしの金を振り絞って、怯えるようなメンタリティで、辛うじて支払い出来る料理店に行っては、酒も頼まず水ばかり頼んで、国産の紙巻きタバコ(喫するに値する味のものは絶無)を何本も吸い、そのくせ毎回異様に興奮して、熱病のような状態でその食経験を書き綴った。
 
 これが、胸が張り裂けんばかりの青春の行いでなくて何だろうか。噎せ返るほど青々しい、修業時代の魅力でなくて何だろうか。青春よりも更に強く「少年が書いた」と言っても良い。前述の名も無き賢者は正鵠を射抜くと同時に、この本が青春の書であることも保証してしまっている。
 
『スペインの宇宙食』出版から2年後に自由が丘から歌舞伎町に移った私は、更にその1年後の06年に喫煙を止めると同時に酒の味を覚え(なので、日常的な酒のキャリアは43歳からの僅か6年である)、収入が増えると、その多くを飲食につぎ込んだ。5大シャトー、全国、全世界からのジビエ、料理人とのつきあい、日々の、予算を全く気にかけない料理店巡りによる、ミシュラン星のコンプ。今では死語になった「大人買い」という言葉が最も適切だと思う。
 
 私は無邪気に、この暮らしをブログで開陳していた。料理もワインもとてもフォトジェニックであり、写真を撮るのも楽しいし、料理通な方からファンメールが届くと、文通みたいなことをして情報交換を楽しんだりもした。いつしかグルメコメンテーターのような仕事も舞い込み始め、小生意気にも、あすこのアレが旨いよみたいな話を、稿料を貰って書かせて頂いたりもした。まあ、加齢とともに、お気楽になったのである。少なくとも、ある側面は。
 
 そんな最中、前述の通りオファーは頂き続け、断り続けて来た。99%が30代前半だった彼等は、全員『スペインの宇宙食』の熱烈な読者で、中には付箋が本書よりも分厚くなっているボロボロのそれに、サインを求める者もいた。
 
 大勢の人間が、瞳孔を開いて頬を紅潮させ、あなたの修業時代のファンですと言って憚らない状況に対し、未だに修行中とはいえ、苦笑が精一杯、誠実にお答えしようにも、困惑の顔が作れず、大変難儀した。こうして、編集者の要求と私の現実との、広がる一方の解離は「予告しておきながら、いつまで経ってもグルメ本が出ない」という数年間を生んだ。
 
 大袈裟に過ぎるという誹りは承知の上で書くならば、これは退行や青春期への執着という、現代病という名を借りた、人類の特性を示す典型だと思う。あなたの若い頃はもう終わった。あなたは劣化した。と賞味期限切れの宣告を受けるまでの速度も強度も飛躍的に上がる一方、対象(=自己)の加齢を全く認識せず、ボロボロになった相手(=自分)を、いつまでも若く輝いていた頃と同一視するという二極化。
 
 音楽家としては遅咲きに類する私は、音楽ではこの齟齬と直面していないが(厳密には「動画サイトスパンクハッピーしがみつき」等、若干あるけれども、単純に数的に少ないし、彼等は現在の私の仕事を直接的に制限しないので、実害のようなものはない)、まさか私は、転がり込んだ話に転がされるような形で始めた、エッセイストという仕事で、自分がこうした、少女アイドルや女優のような局面を迎えるとは思ってもみなかった。「次のグルメエッセイ」は、というより「次のエッセイ」自体が、しばらくはないだろう。自分が転移の渦を起こしてしまった結果である、(読者/編集者達の)青春期への固着という熱が冷めるまでは。
 
 でも、というか、なので私は、もう、自費出版でも良いので「次のグルメエッセイ」を出したいと思っていた。ブログはその肩ならしのようなものであって、内的な準備は着々と進んでいた。「菊地成孔の<おとなの週末>新宿エリア全域」完成による、自己更新に向けて。
 
「あいつはもう金持っちゃって実際に喰えるようになっちゃったから終わったね。つまんなくなった」「エッセイや詩というのはさ、青春の産物なんですよ」「もう俗物。成功者。絶対信用しない」等と、何が何でもガキ共に言わせないといけない。この段落で最も歯がゆいのは、実際のガキ共の生き生きとした口調が活写出来ないことだ。
 
 とはいえ、こういったことは、知的、恣意的に出来ることではない。かと言って、何もしないと始まらない。ミシュランの星を潰したり、ロイヤルホストで人間観察をしたり、コンビニで買ったおにぎりを帰宅までの道すがら食べてしまったりしながら、つまり、ディナー1食20万円から2000円から500円(一人分換算。ワイン&デザート込み)の間を忙しく往復しながら、私は穏やかなような、激しいような内面を飼いならし、ひたすら食と音楽に淫していた。
 
 ドワンゴのプラットホームに乗ってメルマガを始めるに際し、高良くんが改めてプレゼンしてきたのは、「近過去(04~11年)に私がサイトに書いた日記から、飲食に関する記述を彼がチョイスし、毎月そこから2点ずつを私に投げ、私はそれを読んだ上で、それに続いて書く。という、変形の(私と高良くんの)往復書簡のようでもあり、お題のテキストがセルフである、近過去の自己との対話のようでもある形式だった。
 
 私は反射的に「うーんと。そうだなー。まあ、ちょっと面白いかも」と思った。「文学的な食エッセイ」のB案のようではあるが、何せ、外食産業を対象にする限りにおいて(1)リーマンショックの前後と(2)SNS普及の前後と(3)「女子会」という言葉の発明前後と、言うまでもなく(4)震災前後には、大きな断層が入っており、それのレポートとしてもこの企画は若干の有意義性を持つだろう。「震災を跨いだ近過去」との対話、というのは、ひょっとしてこれから、文学やアートのテーマのひとつになるやも知れない。果報は寝て待てと言うが、まあ、自然とスペイン熱が冷めたのかな。と思う。冷却はこの国の抑圧されたオブセッションになってしまっている。
 
 というわけで始めさせて頂く。モチベーションの大半は、運が良ければ連載中に50歳になるということだ。『スペインの宇宙食』当時から15年でおおよそ15倍ぐらいになっている。年収も、負った傷も、得た快楽も。

 
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面白かったです。グルメエッセイ楽しみにしてました。
ただ写真がもう少し大きいとうれしいですが、何とかならないですかねえ。。。?

No.1 147ヶ月前

あ、写真大きくなりましたね!ありがとうございます!

No.2 147ヶ月前

のっけから面白かったです!
でもやっぱ本で手にとって読みたいという欲望が・・・

No.3 147ヶ月前
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