僕が「京マチ子の夜」を作曲したのは1997年です。この曲と「ルペ・べレスの葬儀」をレパートリーにしていたという意味でペペトルメントアスカラールの源流の一つと考えられる「菊地成孔トリオ」は、ティポグラフィカ活動中に、ティポグラフィカの支流でありながらティポグラフィカでは出来ない、僕がやりたかった世界観を表現するために、リーダーをやったことがない僕が、リーダーとして最初に組織したグループですが、記憶によれば95年から活動しています(因みに「スペインの宇宙食」という本の最初のブロックは全て、このトリオのフライヤーに添えられたテキストです)。
ビュロ菊だより
<菊地成孔の日記 /5月16日午前5時記す>
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コメント
コメントを書く(母)と言う
幼女と老女をタンデムに
行き着く先は何処ですかね。
>>1
いやあ、そりゃあ死でしょう(笑)。どなただって。