「菊地成孔と学ぶ手仕事のポリリズム」
~両手と簡単な数学で、魔術を再魔術化する21世紀型グルーヴマスターに向けて~
「リズムのかっこよさなんて、学校で学ぶもんじゃねえよな。センスっていうか、演奏の中で掴むもんでしょ」という人物と、「結局、リズムの揺らぎってかなり数学的だよねDAWやってみて実感したよ」という人物がいたとして、一緒に酒でも飲んでいるとしましょう。この2人は一見、喧嘩しそうだ。グルーヴ論の途中で。
でも、彼らは喧嘩はしません。理由は、<そもそも現代人に、面と向かって喧嘩する能力が去勢されている(=キレたら一気に殺したり閉じたりしてしまうような身体性になった)から>ではなく、両者の意見は、大きく離れているように見えて、実は同じだからです。
現代というのは、肉体に感受性の全てが託されているとも、またテクノロジーにこそ全ての未来が託されているとも思えない、その両極に挟まれてバランスしているような状態が、20世紀よりも遥かに一般的になっている状態です。
これは人間としてとても健康的なことです。僕自身も音楽家として、ステージパフォーマンスが発生させる力と、AIのディープラーニングによる発生の力は、ほとんど同格にあります。どちらも、脳をどうにかさせてくれるんですね。
もう10年ほど前に、リズムに関する包括的な本を書く、と出版社に約束して、我ながらかなりの下準備をしてから、結局まだ書けていない状態になっているんですが、これは意欲の低下とか、コロナによる全生活の変化とか、そういったファクターは関わっておらず、一番大きかったのは、前述のAIも含む、音楽テクノロジーの驚異的な発達によって、「コッチの勉強もちゃんとしないと、総論は書けないし、もしくはDAWの天才的な使い手と共著で完璧な本にしないと意味がない」と思った、というのが大きいですね。今でも共著者を探しています。我こそは、という方はご連絡ください。
僕個人は、エイブルトンひとつ動かせないどころか、そもそもMIDIを自分で動かせない。全てが手仕事なんですよね。レヴィ=ストロースが「ブリコラージュ」という概念(*後注1)を発表したのは、僕が生まれる1年前(1962年)ですが、僕は幼少期から、部屋の中や、自分の体自体や、一番良いのはエレベーターの中なんですが、流行歌を歌いながら、手足を使って、床や壁や胸や腹を叩きながら、どれだけ変わったリズムで「演奏」出来るか、熱中しながら楽しんでいましたし、実は今でも日常的にしています。
その前提の上で僕は、「モダン・ポリリズム」という名称で、僕なりに体系立てたクロス・リズム(交差リズム)からポリ・リズム(重合リズム *後注2)までの律動理論を、教育システムとして、つまり大人数のワークショップ型の空間で、学校の授業のように、あるいはトライブの合奏のように、互いに学び会えるように枠組みし、20人程度のクラスを、ここ20年ほど稼働させてきましたし、動画コンテンツとして、1回1時間平均、全92回の物を販売しています(*後注3)。
ただこれ(クラスレッスンの方)は、諸般の事情により、クローズ型つまり、僕が運営している「私立ペンギン音楽大学」の、大学院修士課程として、卒業者だけを対象にしていたんですが、時節柄というか何というか、ここ何期かは、一般に開放してきました。「時節柄」というのは、僕が実作者、実演者、としてオンステージ出来る時間も先が見えてきた=未来を担う若い方々にバラまくべき。といった現役感覚の変容もありますが、何より、サンプラーの発達が、手打ちの打楽器化に向かって来たことが非常に大きいです。
クロス / ポリ・リズムを骨格化した、アクロバティックなリズムフィギュア作曲(DCPRG等)の可能性、も得られますし、それを求める方がほとんどなんですが、実のところ、最も大きい収穫は、「一見、何の変哲も無いリズムが、微妙な揺れによって魅力を数倍化させている事の理解と実践(J・ディラからブラックレイディオまで)」、そしてその真逆にある、「緻密に細分化されたリズムの計画性によって、歪んだ4拍子のように聴こえるニューグルーヴの理解と実践(アニマルズ・アズ・ア・リーダーズからペッター・エルドまで)」の方です。
広めの貸しスタジオ、でも、20人入れたら大変な過密です。コロナによって最も大きな被害があったのはこのクラスで、前期(20年度)結果として1年予定が、中断を含め2年以上になってしまいまして、今季(23年度)から仕切り直しになります。既に打楽器奏者として活動している方も、音楽はDAWしか経験ない、という方も歓迎していますが(詳しい要項は、ご応募いただいてからお届けします)、複数クラス持つことは出来ません。25人限定1クラスのみ、とさせて頂き、僕個人としては最も避けたいことではあるのですが、苦渋を飲む気持ちで試験を行わせて頂きます。
リズムへの理解と崇拝は、生への肯定と祝福以外の何物でもありません。リズムは人を生かしさえ出来るものの、殺すことは原理的に出来ないからです。僕が考え、実践してきたことも、完璧であるはずがありません。「共に学ぶ」というのは、金を取っておきながらの偽善に読めてしまっても致し方ないのは重々承知していますが、「本当の事なのだから仕方がない」以外の回答を今は持ち合わせていません。ご応募をお待ちしています。
菊地成孔(音楽家 / 文筆家 / 媒介者)
*1 ブリコラージュ
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(1962)より。<器用仕事>と訳されるが、第一にそれでは意味がわかりづらい。近代西洋側が「未開人」と見做してきた、あらゆる地域の先住民の呪術的な思考様式。もうひとつの科学。と言えば、逆に安直な誤解ばかりが増す。
「ブリコラージュ」は「もうひとつの科学」の換喩表現だが、これもまた、「コラージュ(callege=糊付け)」の逐語訳とミスリードされやすい。
「ブリコレ(bricoler)」は、打ち合っているボールがファウル=アウトの方角に飛んでしまう/直進している動体が障害物を避けるために一時的にコースアウトする、といった、逸脱的な偶発運動をあらわす動詞であり、レヴィ=ストロースのブリコラージュとは「計画的に準備されていない、ありあわせの道具と材料を用いてものをつくる作法 / それを実行する人」の意味で、実行者はブリコルール(器用人)。エレベーターや部屋や電車内等々を一時的にリズムボックス化するのはブリコラージュのリズム的な実行例。
ポリ・リズムは一般的には「複合リズム」と称されがちだが、化学における重合概念の方がはるかに実像に近い。「重合」は、類語である「複合」「混合」のような、溶解、融解によって均一化する物質のことではなく、レイヤーされ、分離するものの共存状態、例えばオイル入りサラダドレッシングに似ている。使用前に瓶が振られ、一時的に偽融解化するが、時間が経てば水と油に分離する。一度撹拌したら元には戻らないカフェオレ(特にアイス=最初に二層に分離している点ではドレッシングと同じなので)との違いが重要である。液体原料による化学繊維である「ポリエステル」や「ポリエチレン」等は、重合体=振った後のドレッシング状態の液体を加工することで独自の伸縮性や質感を獲得。
*3 動画コンテンツとしての「モダンポリリズム」
ドワンゴをプラットフォームにした有料ブロマガ「ビュロー菊地チャンネル」内のコンテンツ。
https://ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi
(参加に必要な楽器)ボンゴ、コンガ、カウベル等々の、「音程に高低差がある」打楽器。エレクトリックの場合は、出力器が必須。
講義予定)5月より1年間、月2回、金曜夜間2時間を予定
受講料)7000円 (一回あたり、学割あり)
実技面談と説明会)4月実施予定(無料)
場所)御苑スタジオ(https://www.gyost.com/)
応募方法)
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を明記の上、
pendai@kikuchinaruyoshi.net
までメールを送信ください。入試に関する詳報、入学後の校則をまとめたメールを返信させて頂きます(「受験料」は必要ありません)。
応募締め切り) 4月22日(土)
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