菊地成孔です。もう既に公式発表が済んでいますが、私と岩澤瞳さんと、数多くのビートメーカー、衣装デザイナー、メイクアップの人々による運動体、<二期スパンクハッピー>の音源は、さほど多くなく、今だったら「ミニアルバム」と呼ばれたかも知れない3曲入りのシングル2枚(インターナショナル・クライン・ブルー」「ANGELIC」)と、フルアルバム2枚(「Computer house pf mode」「Vandome,la sick kaiseki」)、そして、番外盤である「普通の恋 cwフロイドと夜桜」と、20数年前のコンパクトディスク時代に、わずか5枚の作品を残して活動を停止しました。

  これらの作品群、特に「普通の恋」は、主に権利関係の未整理から長い間、実質上の廃盤となっており、亡霊のように様々なメディアに点在したままになっていました。全ての作品の、発売当初のセールスは、惨憺たるものでした。
 

 これら作品が、当時3作だけ製作されたMV(「ANGELIC」「SWEETS」「Vandome,la sick kaiseki」)の公開とともに、全曲配信されることになりました。来る12月6日から、現在流通しているあらゆる音楽と同様、全ての端末で聴くことが出来るようになります。
 

 私は、二期スパンクハッピーのみならず、自分が作り出した運動体が、人々を狂わせ、人生を変えてしまう力を自覚しています。それは、「作品が愛されること」には違いはないのですが、愛にもし、質量というものがあるとしたら、二期スパンクハッピーのそれは絶大なものがあり、凡俗な言い方が許されるならば、作り出した私の思惑を遥かに超えて、人々を狂わせ、磔にしたまま、永遠に古びない。という、恐ろしい力が漲っており、時折私は、もう20年も前の作品である楽曲を聴くたびに「ああ、もう、自分は、言いたいことの全てをこの頃、既に言い終わってしまっていたのだ」と、慄然とします。
 

 この20年以上、厳密には1995年から、つまり、21世紀の助走から現在に至るまで、基本的にカルチャーは変わっていません。20世紀のようには。真綿で首を絞めるように我々を覆う抑鬱感は、その事と関係していますし、二期スパンクハッピーの永遠とも思える命は、そんな新世紀の姿を予見しています。


 私がまだ40代だった頃、巷では渋谷系と小室系が時代を席巻している時代、私はポップミュージックというものが何か?自分がそれをするのだったらどうしようか?という金属のようなアティテュードが、湯水のように沸いていた、奇跡のような季節でした。
 

 それは、肉声による世界で最初のヴォーカロイドであり、来るべき「AIによるヴォーカリスト」誕生の遥か以前、旧石器時代のAIとして発掘を待つ岩澤瞳さんの存在抜きには成立しなかったでしょう。我々は時折、古代に絶滅した文化に対して畏怖の念を持ちますが、その古代のひとつは、たったの20年前なのです。
 

 ヴォーカリストというものは、作曲作品の、特に歌詞、次にはメロディを「理解」し、自分の肉体や気持ちを歌声に込めて歌い上げるものであり続けています。
 

 しかし、岩澤さんは、私の作詞に対して「一文字も理解できません〜」と笑いながら言って、彼女の歌詞カードは、私が半分以上ひらがなで書き換えなければなりませんでした。テイク選びどころか、プレイバックを聴くこともしませんでした。歌い終わると、スタジオのソファで寝てしまうか、いつの間にか家に帰っていました。私は、今よりも遥かにオートチューンが難しかった時代、岩澤さんのヴォーカルトラックの音程を、磨き上げるように丁寧に丁寧に修正し、自分のヴォーカルトラックは、いじらずにそのままにしました。
 

 人間のくせに、人形愛をわざわざ演ずる者たちは19世紀からあとをたちません。ありったけの愛を込めて彫像を作り上げ、大理石を愛して狂ってしまった者たちは、ギリシャ時代から後をたちません。アニメという言葉は、ご存知の通り、「(生命のないものに)生命を吹き込む」ということです。岩澤さんの歌は、これらの全てと違い、また、これら全てでもある、異形の母性と少女性を湛えた人工物でした。


 「ここまで心を込めず、美しい歌声」というものを、不幸にして私は知りません。岩澤さんの歌声は、<歌とは何だろうか?>という根源的な問いを、永遠に問い続けたまま、結晶化して、今どこで何をしているのか、全くわからず、つまり「失われた」まま、磔になったままの特定少数の人々における、愛について、存在と言葉について、神の存在とその懐疑について、狂わせ続け、確信させ続けていると私は思います。
 

 岩澤さんが現在どこで何をしているか、私はこの機会にと、たったひとつの情報を頼りに、震える指先でファーストコンタクトを試みましたが、結論から申せば、岩澤さんは発見することが出来ませんでした。
 

 それで良かったと思っています。私が、人生の黄昏というべき、60歳という精神と肉体の状態でなければ、この企画自体をストップさせていたでしょう。パンドラの箱を開けかねない。これ以上誰かを磔にするのは神が許さないかも知れない。生きていれば45歳になるのね。私の、あらゆる私の、H / I
 

 このレトロスペクティヴを記念し、全曲をDJプレイするパーティーを行います。私事ですが、この夏、私は25年前に岩澤さんと会うきっかけにもなった病気ーーそれは熱病なのですがーーを再発し、癌の可能性から生検手術を受けながら通院生活しました。そして現在は腰椎の横突起を2箇所骨折し、リハビリ状態にいます。1998年に私を臨死に追い込んだ<壊死性リンパ結節炎>の再発は、二期スパンクハッピーの権利関係が整い、全曲配信が可能だ、という報を受けてからのことです。
 

 それによって、年内を予定していたこのパーティーは来年に延期となりましたが、必ず行いますので、情報をチェックして下さると有り難いです。ですのでまずは、この全曲配信を、私と<存在しない>岩澤瞳さんからの、ささやかなクリスマスプレゼントだとお考え下さると幸いです。
 

 クリスマスカードのメッセージとして、「Vandome,la sick kaiseki」の歌詞を添えさせて頂きます。私はこの歌詞を、パニック発作の症状に苦しみながら、15分ほどで一気に書き上げました。MVではこの歌詞が、日本語、北京語、フランス語のトリコロールで御鑑賞頂けます。 


<追加情報>
 

 2期スパンクハッピーのイベント名は「セカンド・スパンクハッピー・レトロスペクティヴ<DJ premier jour / PERFOrmance le jour suivant>」に決定。


 菊地によるDJプレイ(未発表音源含む)がメインの DJ premier jourが4月、ライブアクトを中心としたPERFOmance le jour suivantを6月に、各々開催


 両日共に松永天馬、浜崎容子( アーバンギャルド)、ゆっきゅん、ルアン(電影と少年CQ)の協力が決定。イベントコンテンツをはじめとした全ての詳細は後日。

 

 *セカンド・スパンクハッピーはこれに伴う資料提供者を募集しています。掲載誌、同人誌、非合法録音のライブ音源、あらゆる何かをお持ちの方は、(株)ビュロー菊地までご連絡ください。

 

Vandome,la sick kaiseki2003)> 

 

あなたの国は小さい子のヌード写真が多すぎるって


どのパーティーでも言われた


裸の女の子の写真があふれていて


電車の中にまで吊ってあるのは絶対おかしいって

 

でも、まさかその中のひとりがあたしだってことは


誰も気づかなかった


あたしは こういう所に集まるマダムたちは


エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて


馬鹿になっちゃたんだと思って育ったの

 

パパは「この国には肉食の文化がないから、みんな我々のように、乳飲み仔牛から腐りかけ成牛までの、色々な肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかがわからない。だから子供の裸ばかりありがたがるんだ。一種の国家的変態だよ」っていう、お得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。小さな卵を食べるのは野蛮人だって

 

フォクシーひと粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるって聞いたから、あたしは自分を魔女だって言ってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高によく効きますように、そして憧れのトレーシーみたいになれますように、って魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲み干した。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズあなたは、あたしが知る限り本当の天才、そして天使

 

あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ


黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)


あのヴィデオキャッセをパパから盗んでからあたしの人生は変わった


あれがバイブルになったの

 

あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの歳だわ。そう思うととっても変な気分。まだフォクシーは全然効いてないみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり

 

生きてれば74歳になるのねあたしのグレース・ケリー、生きてれば15歳になるのねあたしのジョンベネ・ラムジー

 

あなた方のことを考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの


パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対間違ってる

 

でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い

 

あたしはこんなに


死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈

 

HOOK


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki

 

たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか精神分析とか、そういうつまらないものが流行っていて

 

でも、彼女たちが好きなものは結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ

 

裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけれども効果はすごいんです。真っ赤な血が、うっとりするような香りで

 

宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には水晶以上の魔力と、生体化学的な影響力があって、まあ、若返るんだと

 

こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのがわかる。後で呼び止められるから絶対

 

それで、彼女たちの宝石箱から一つ残らず出させてね


身に付けさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです

 

滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える


お腹を宝石でパンパンにした御婦人が喘いでるんですから

 

勿論、楽しくも何ともなかった、気持ち良くも何ともなかった、嬉しくも何ともなかった

 

この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も通いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は二十歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて

 

最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて、ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいなのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし。っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました

 

嫌な感じの嘲笑しか出来ないから。生まれてからずっとそうなんです


復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね

 

アメリカのポルノ女優に憧れてるっていう日本人の女の子がいて「さっきフォクシー飲んだの」って。この子は全然踊ってなくて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた

 

世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。「オレみたいになるなよ」って、誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かもいない

 

生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って

 

でも諦めました。彼女は、消えてた

 

HOOK


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki


Vandome,la sick kaiseki