これを読むのは可能な限りラジオデイズ最新回、「決闘そしてニューオーリンズ」を聴いてからにして頂きたい。もしくはこれを読んだら、すぐに「決闘そしてニューオーリンズ」を聞いていただきたい。西部劇みたいに「ニューオーリンズの決闘」としたかったのだが、決闘の相手が小田急線の自動券売機なので分節した。

 

 母方の寿司屋は「根本」家といった。「丸子」という屋号は戦前から3代続いたもので、前回書いたように、銚子大空襲(これは有名な「東京大空襲」の帰路、「東京に落とし損ねた爆弾」を「最後に落とせる場所」が、関東最東端の銚子市だったことから、キャンプの最終日に残りの缶詰とか酒とかを全部<やっつけて>しまうのと同じで、銚子市の70%超は焦土と化し、満州から復員した父親は、国鉄の銚子駅から、半壊した実家=「きくち食堂(当時)」が見えたそうだ)を辛くも耐え抜き、戦後に新装したものの、結果、ラジオデイズある通り、花板である母方の長男である徳次郎=徳さんが潰してしまった。

 

 戦前の銚子は勝浦、鴨川、舘山などと並ぶ千葉県の海浜リゾート地Aリーグに属していて、成田や千葉、果ては両国から観光客が来ては犬吠埼で海と海豚、日の出などを見て、歓楽街である「観音町」で観音寺詣をし、映画や大衆演劇を楽しんでから、飲食に入るのだが、「きくちの天ぷら」と「丸子の寿司と伊達巻き」は、2時間も3時間も並ばないと食えなかった。