菊地成孔の一週間~ここ数回、一人称を「自分」にしていた事にお気づきでしょうか?というかそれで大丈夫でしょうか?と会員の皆さん一人一人にインタビューして全国を回りたい1月第2週~

1月7日(月曜)
 
 年末年始がご存知の通りだったとはいえ、何か凄く乾くな。何だこの異様な乾きは。と思っていたらそうか伊勢丹にひーふーみーよー、うはー11日間も行っていない!!都内在住で1年に1度しか新宿伊勢丹に行かない人だって何万人もいるだろうに。

 この乾きは言うならば禁断症状、、、と書こうとして、そうえいばここのところ「禁断症状」という言葉も聞かなくなったなと思う。新春から毎度おなじみお安いパソコン社会学だが、人類がネットに依存しているという事実が「禁断症状」という言葉の使用で一気に「悪く」リアルになる事を忌避しているのではないか。

 勿論コレは、誰かがネット禁断症状で苦しんでいる。という状況を隠蔽する。とかいった意味ではない。「禁断症状が出る」ような状況、つまり依存対象と隔離されるような状況さえ、今やネットはなかなか起こし得ない(課金ネトゲにハマり過ぎて親に携帯を取り上げられる。等といった話は牧歌的だ)という意味である。これは物凄い依存だ。家族や恋人を「空気や水のような存在」と言うが、あれとほぼ同等である。空気も水も、依存だの禁断症状だのいう話ではない。無くなると死んでしまうのである。

 と、脱線が続くが、パソコンに限らず、テクノロジーなんつう物の出自というのは大抵悪い。「悪気は無かった」という言葉もあるが、パソコンは弾道計算用に、つまり、こちらからの攻撃精度のみを上げ、丸見えの相手を死角から打ち込むミサイルによってやっつけたいという、かなりエグい欲望から生まれており、今や日常的光景である、ネットでの匿名の中傷といったかたちの攻撃性の誘発にその出自が痕跡化している訳だが、この汚れた手をロンダリングしたいという欲望の発生は当然で、マッキントッシュがビューティフルでドリーミーでフューチュアルでクールでスマートであるという崇拝に似た傾向はその端緒だろう。

 再び勿論、マックユーザーが偽善者だとかパソコンが悪いとか言っているのでは全くない。出自の悪さを受け入れる事や、内なる悪と戦うのは物凄く良い事だ。自分もやっている。そんな事言ったら、そもそもPAシステムを作ったのはナチスドイツだ。レイブやクラブカルチャーはファシズムが起こした悲劇のロンダリングという側面を孕み、ハッピー、ピース、ラヴを痛切なまでに求める、どっちかというとキリスト教寄りの善行である。

 とまあ、そんな青臭い事を書いた「スペインの宇宙食」の出版から、今年で丁度10年だという事を、2段落目を書いている最中に突如思い出したという訳だが、10年後がどうなったか、という評価は人それぞれだろう。

 自分的にはロンダリング勢力(悪い意味ではない。マネーロンダリング等とは違う)はギリギリで苦戦しているように見える。ジョブス信者や、スマートなマックユーザーの数は、MIT全体をそこにインクルードしたとしても尚、かなりハイセンスな特権階級ではないか。最近は資料人類学の学生がフィールドワークに行けないらしい。「ここはネットが繋がらない環境だ」と現地で伝えられ、集団でパニック発作を起こす学生がいた。と伊藤先生に聞いた。

 テレビを消音でつけっぱなしにしたり、ウォシュレット搭載のマンションで絶対使わない人や、新聞いっぱい取って、ほとんど読まない人はいる。あんな良い塩梅に成らない物かと思う。目線が昭和だなあ。しかし、その通りなのである。「昭和40年代のお茶の間にPCやネットがあったら?」というのが、最近よく考える事だ。


 今やネットの完全不使用というのは電気の完全不使用と似て、現実的ではない。こうして自分も使っている。絶対にあり得ないと断言した上で予言するが、今年は「ネコロジー」が流行ると思う。猫に関する学問ではない。それだったらもう溢れかえる程ある。

 「ネットに繋がりっぱなしに成っていると苛立ったり無気力になったりするので、使っても良いから、ほどほどにしときましょう。世界中の人が、起きて生活しているあいだに、一斉にネットの接続から離脱しましょう。一日3時間ずつぐらいから」とかいう、スローライフへの提言で、これを提唱すると、先進的で地球に優しい、良い人みたいに思ってもらう事が出来るという訳だ。

 いきなり話は伊勢丹に戻るが、今年の新春バーゲンはどういう理由による物か(おそらく「寒いから」だと思う。マジで)、第二週がプレで、第三週が本格スタートという、何と言うかスローバーゲンみたいな事に成っている。来週はバカみたいに買いまくるとして(靴やアクセばかり買って、服を1年ぐらい買っていないので)、今年最初の伊勢丹詣でに行った。

 詣では(三度目の)勿論、たとえ話だが、もうほとんどたとえ話ではなくなっている。どの入り口からアクセスしても霊験新たかな神社に行って身も心も清められた気分である。「オデッサの階段」の収録で(*11日に収録)、「どれだけデパートが好きですか?」という問いが出たので(この番組は、ひたすら問いの字幕に答えるだけの番組)、「これはオンエアでは使えないと思いますけど、もし地震が来て、まあ死ぬと。その時、伊勢丹の中にいたら、そうですねえ。シャネルの壁が崩れて、ミュウミュウの服が落ちて来て、伊勢丹の天井や壁が崩れ落ちて来て、そういったものに潰されて死ぬ。という事に成りますよね。それはそのう。不謹慎ですが、、、、とても幸せです」と答えた)。

 財布を買いに来たのである。素晴らしいプラダのバイカラーと(今年の「バイカラー決戦」はセリーヌとプラダである。今年はあの二つのどちらかをもっている人を見たら「うっわー、それ素敵ですよねえ。ワタシもすげえ悩んだんですよ」と言えば良いのだ)接戦の末に勝ち抜いたアレクサンダーマックイーンの蛇革の財布(赤く着色されて、留め金がスカルになっている奴。ノーマークだったのだが一目惚れ)を取り置きしてもらう。取り置き交渉中に一人、コスメ売り場を高台(伊勢丹用語=1Fと2Fの間にあるトイレのフロアの事)でうっとり眺めているときに一人、ファンの方に話しかけられ、握手する。どちらも物凄いお洒落男子だったが、これはまあ場所柄。という物だろう。

 すっかり清められ、エネルギーも充填して、向かいにある丸井の1階にあるブーランジェリーで軽く2つ3つ。イートインのウインドウから新宿通を歩く人々を見ていると、街というのは良いなあ。と腹の底からこみ上げてくる。お洒落な人々が次から次へと流れてゆく。音がしないだけのファッションショーである。取ってつけたように言うが、「ビックロ」というのは、今のところ、とするがバカである(笑・というか、「服も家電も進化する!」と書いてあるが、家電は知らないけれども、服は100%間違いなく退化している)。

 ペン大理論家高等の授業。このクラスはあと2回の授業で終了し、「ペン大学院」に進む。高等科最後の分析対象曲は、この仕事を始めてから一貫してドナルドフェイゲンの「スノーバウンド」である。スティーリーダンのマニアには、特別な名曲とは看做されておらず、おそらく佳曲ぐらいのランキングに入っているだろう曲だが、まるでポップス楽理の教材用に作られたかのように、あらゆるポップスのトピックが奇麗に詰め込まれている。

 夜は「匠 達広」に行く。コスパなどという言葉で賞賛するのは気が引けるが(コスパが良い。という状態があるとしたら、「素晴らし過ぎてコスパなんか関係ない」と思わせてくれた瞬間である。「ああ、コスパが良いなあ」と実感する事は、コスパが良いようにはとても思えない)、得られる経験の対価としては、一瞬気を失うかと思う程安い。店内は新築される歌舞伎座のようである。この店内に入ると先ず、卸したての和服をピシっと着付けたときの様に気持ちが引き締まり、背筋が伸びる。そして着席すると、信じられない程のリラックスが訪れる。
 
 後はもう極上としか言いようの無い、磨き抜かれた寿司が、磨き抜かれた肴と交互に、ひとつづつ出てくる。磨き抜かれた日本酒と共に。90年代に使い古された言葉をルネッサンスするが、至福の時間である。
 
1月8日(火曜)
 
 今年最初のサキソフォンの練習。ピットインスタジオにて。そうそう、いきなりネコロジーの話なんかで始まったせいで書き忘れたが、元日から早朝6時就寝、午後1時起床という生活サイクルが続いている(トレーニングメニューも継続)。

 ここ4~5年、早朝10時就寝、夕方4時起床だったので、もう一生矯正出来ないと思っていたのだが、正月のトレーニング(前回参照)によって、まあ、少なくとも今のところは。とするが、3時間は引っ張った。

 1980年代の最初の5~6年間は、午前4時就寝、正午起床で「いいとも!」を見ながら歯を磨く。という生活を続け、これが今のところ、上京してから最も早起きだった時代である(健康な状態で。パニック障害だった1年間は午前2時就寝、午前10時起床という、凄まじい早起きぶりだった)。いつかこのサイクルに戻る日が来るのだろうか、、、、と遠い目で歌舞伎町の夕映えを見つめていたりしていたのだが、なんというかまあ、やれば出来る物だ。自分の人生を一言で言い表せ。といった愚問が雑誌かなんかから来たら「やってみたら、意外に出来ちゃうもんですよ」にする。

 「ピットインで昼からスタジオに入り、サックスを吹く」なんて、だから4~5年ぶりだ。懐かしいなあ。前はほとんど毎日ここでサックスを吹いて、隣のドミニクサブロンのイートインで2つ3つやっていたのに。あの頃はまだマキさんが生きていて、楽しく話したりしていたのである。懐かしいなあ。

 メニューはロングトーン、インターヴァル、アルペジオ、エリックドルフィーのコピー。と、別段変わった事をする訳ではない(ドルフィーのコピー。は別段かも知れないが。とにかくドルフィーとショーターはコピーがしずらい)。

 事務所に移動して、オープンリールアンサンブルの皆さんと対談(彼らの書籍に収録)。彼らの作品はパリコレのイッセイミヤケのショーで聴いて、余りの素晴らしさに、WWDで大絶賛したのが最初だったのだが、不勉強ながら、日本人の、若き音/芸大生のバンドであるとは思ってもいなかったのでびっくりした。

 彼らがDCPRGやダブセクステットや著作のファンだという事で、対談することになったのであるが、彼らの音楽性(イッセイミヤケのショーはむしろ外道で、DVDとCDを観たら、最後の方はサカナクションとか、凛として時雨みたいになるので、うわあ現代的だなあと思った)に関しては実際に聴いて頂くとして(対談の内容は本を見て頂くとして)、まあとにかくあらゆる意味で若いの若くないの。そして全員物凄いイケメンである。なんだかんだ楽しく2時間位話す。

 久しぶりでロイホなれどWBO吊れず。年末にボクシング世界戦があったからだろう。試合は総て見応えがあり、檀蜜のラウンドガールは少々見応えがあった。「檀蜜が黒木香をリスペクトしているかどうか」は、願わくば知りたくない。

 ロイホでは黒×黒ハンバーグとガンボを喰った。結構ちゃんとしたガンボが出てくるファミレスなどロイホ以外に考えられるか。しばしデニーズ様に行きがちだったので、余の旨さに泣きながら食べる(愛に起因するので)。「ロイホはコスパが悪いね」などと嘯くコスパーは、せいぜいジョナサンにでも行くが良いのだ。

 ヒッチコックが主人公の劇映画が公開されるに際し、ブルータスがヒッチコックの研究所を出す事に成り、「ヒッチコックと音楽」の章を担当する事に成ったので、TSUTAYAで(映画エッセが遅れていて済みません。来週の配信で書きます土下座)イギリス時代を除いて全作レンタルした(イギリス時代はVHSで持っているので)。

 これから毎日少しずつ観ては分析し、原稿に備える。今日は「レベッカ」「舞台恐怖症」「見知らぬ乗客」「鳥」を観たが、この4作だけでも、音楽監督が全員違い、作風から音楽の量から何から全部違う。ネタバレとも言えないレベルの話なので書いてしまうが、ヒッチコックがバーナードハーマンと名コンビ(フェリーニ/ロータみたいな)だったとするのは、非常にありきたりな歴史の誤記である。勿論、ヒッチ×ハーマン組の黄金時代というものは間違いなく存在したけれども、ヒッチコックほど映画音楽など何でも良かった人(どうでも良い。という意味ではない。今様に言うと「何でもありの人」)はいないと思う。