ベイビーステップ(1) (少年マガジンコミックス)

 『ベイビーステップ』はいま最も熱いスポーツ漫画だ。主人公の「エーちゃん」こと丸尾英一郎は、高校でテニスと出逢い、のめりこみ、成長の階段を登って行く。今週号でついに英一郎はついに高校全国ベスト4にまでのし上がった。

 漫画ならではのご都合主義と見るか、驚異的な成長速度と見るかは人それぞれだが、ぼくはあえて不条理な展開とは思わない。漫画であればこそ、ということもたしかだが、作中の描写には英一郎の急激な成長を納得させるだけの説得力がある。

 英一郎はいままでのスポーツ漫画にはまったく登場しなかったようなキャラクターだ。頭脳派であることはともかく、徹底的に几帳面でものごとに細かくこだわる性格は、豪放磊落を良しとする過去の漫画には似合わないもの。しかし、この性格こそがかれを一流のアスリートへと成長させていく。

 今週号の掲載誌で英一郎はついに「天才」と呼ばれる。わずか二年半で全国ベスト4。結果だけ見れば、まさに天才としかいいようがない。しかし、いままでかれの物語を見てきた読者は、英一郎が決して生まれつきの才能に頼ってここまでのし上がってきたわけではないことを知っている。読者はあらためて考えざるをえないだろう。いったい天才とは何なのだろう、と。

 結論から書くと、天才とは、結果から推測される類の幻想である。ある人物が、天才としかいいようがない業績を挙げたとき、そのひとは天才と呼ばれることになる。卵が先か鶏が先かといった議論に見えるが、じっさいそうなのである。ひとは結果を、結果「だけ」を見て、あるひとを天才と呼ぶ。

 たとえばイチローや石川遼が天才と呼ばれているのはなぜか。若くして天才的な業績を獲得したからである。ひとは結果だけを見、そこにいたるまでのプロセスを無視する。そうして賛嘆して言うのだ。まさに天才だ、凡人の遠く及ぶところではない、と。

 じっさいにはイチローにしろ、石川遼にしろ、その偉大な結果に至るまでには常人の想像を絶する過酷な努力の日々があったはずだ。しかし、ひとはそれを無視する。プロセスを無視して、結果だけを見れば、一足飛びに階段を駆け上がったように見える。一瞬で結果にたどり着く能力を持っているように見える。