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ここのところ、毎日、「小説家になろう」で『無職転生』を読んでいるのですが、いやー、おもしろい。いままでもおもしろいと思っていたし、そう書いてきたのだけれど、おもしろさの質が一段上に上がった気がします。
いま第六章の終わりまで来ているのですが、このエピソードで主人公は決定的に変化します。ネタバレなので書けませんが、ある登竜門をくぐり抜けるわけです。これがね、なかなか興味深い。
この小説を読んでいて強く思うのは、ひきこもりの妄想的な世界観と現実の世界とはやはり違っているのだということです。ひきこもりが想像する世界が「一部のパワーエリートがひたすらに弱者を虐げている」という単色のイメージで塗り込められているのに対し、現実の世界は、豊かで、残酷で、美しく、醜く、鮮やかで、繊細と、対立しあう概念の豊かなグラデーションのなかに存在しているわけです。
ひと言で「現実とはこうだ」といい切れないことこそ現実の本質である、とぼくは思います。『無職転生』の主人公は初め「一部のパワーエリートがひたすらに弱者を虐げている」というその世界観で生きるひきこもりです。
しかし、かれが転生してからじっさいに出逢う世界は、そんな単純なものではありません。そこには正義もあり、悪もあり、陰謀を企む人物がいるかと思えば、すべてを洗い流してしまう大災厄が起こったりもするという、きわめて複雑なタペストリが広がっているのです。
この「頭のなかだけで考えた世界」と「現実の豊穣な世界」との落差、これこそが『無職転生』の最大の魅力といってもいいのではないでしょうか。世界は「リア充爆発しろ」と叫ぶひきこもりやオタク少年が想像するようにはできていないんですね。
そもそも、「小説家になろう」の小説群を生み出しているのは、前者の世界観をもとにした想像力であるように思います。「世界は一部のチート持ちが牛耳っている」「そのチート持ちになって剣を振るい、女を抱いて生きることが最大の幸福である」というような想像力。
エロゲ的想像力というか、いっそポルノ的想像力といえばいいかもしれません。しかし、ポルノ的想像力には明白な限界が存在します。たとえば、ポルノでも仮にヒロインが妊娠してもそこで物語は終わってしまいます。面倒な子育てのディテールが描かれることはまずありえない。興ざめだからです。
しかし、じっさいにはセックスすれば子供ができる可能性があり、そうなったらその子供をどう育てるか考えなくてはならず、そうでなくても相手に対する責任が生じるわけです。
もちろん、そういった責任すべてを放棄して、相手の身体だけを自由にするという「鬼畜ルート」も考えられはしますが、「なろう」を読んでいるオタク青少年の大半は、ポルノのなかではともかく、現実にはその選択を選べるほど「鬼畜」ではないでしょう。
いや、ポルノ的作品のなかですらも、ほんとうに真剣に考えていけばどこかでその現実と向かい合うことになってしまうわけです。ここでは仮にそのポイントを「ポルノ的想像力の地平線」と呼ぶことにしましょう。
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最初から地平線を越えている、リアル路線のような作品もありますが、1つの作品内でポルノ的なものから現実的なものに移っていくっていうのは珍しいですね。