フライト FLIGHT 映画パンフレット 監督 ロバート・ゼメキス キャスト デンゼル・ワシントン

 きのう、映画『フライト』を観て来ました。ぼくにとっては今年7本目の映画。好みに合いそうな映画だけを狙いすまして見に行くのだからあたりまえといえばそうですが、いまのところハズレはありません。この『フライト』も重厚な人間ドラマで魅せる傑作でした。

 監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『フォレスト・ガンプ』の大物ロバート・ゼメキス。ここ何作かはCG映画に夢中だったようですが、ついに実写映画にカムバックしてくれました。

 物語はウィトカー機長(デンゼル・ワシントン)と同僚のキャビン・アテンダント(ナディーン・ヴェラスケス)の情事の後から始まります。ふたりは夜の間中、酒を飲んでセックスに耽っていたと思しく、機長はその疲労をごまかすためにドラッグ(おそらくコカイン)を吸引してフライトへ向かいます。

 そしてそこで機体の損傷による事故に出逢い、神がかり的な操縦を見せて乗客を救うのです。絶体絶命の条件であったにもかかわらず死者はわずか六名。「英雄」が誕生した瞬間でした。

 ところが、事件の真相を求める安全委員会による調査で、かれの血液からアルコールとドラッグが検出されます。このままでは終身刑を免れないところ。ウィトカーは嘘に嘘を重ねてこの罪を逃れようとするのですが――というお話。

 あらすじだけ見ると丁々発止のやり取りが繰り広げられる法廷ものを想像されるかもしれませんが、そういう映画ではありません。これは「嘘」と「欺瞞」、そして「真実」を巡る物語です。

 この映画が法廷ものだったら、英雄と呼ばれた機長の欺瞞を暴き、その罪を告発してゆくプロセスがメインになるものと思われます。しかしじっさいには映画は終始、「告発される側」の視点から描かれるのです。

 また、これはアルコール中毒にかんする映画でもあります。深刻なアルコール中毒の患者が回復へ向かうためには、「自分はアルコール中毒である」という事実をしっかり認めなければならないといいます。

 作中のウィトカーがまさに典型なのですが、ある種の患者は「自分は病気などではない」「楽しんで飲んでいるのだから何が悪い」と病を否定します。しかし、そうして自分をごまかしている限り、決して病から逃れることはできないのです。

 この映画を見るひとはウィトカーの嘘と欺瞞で塗り固められた人生に唖然とするでしょう。一見、優良企業のトップパイロットであるかれは、その実、日常的に酒と麻薬に溺れており、仕事中にすら酒を手放すことができません。また、家族関係は破綻しており、息子は父を憎んでいます。

 しかし、それでいてやはりかれが超一流のパイロットであることも間違いないのです。機体トラブルによる絶体絶命の危機において、かれが下す冷静で的確な判断の数々は見るものを圧倒します。

 なぜこれほどクールで仕事ができる男がアルコールの魔性に飲み込まれてしまったのか? 観客は疑問に思わずにはいられないかもしれません。しかし、なまじ仕事ができるからこそ、そのストレスとプレッシャーを癒やすことができるのはアルコールとドラッグとセックスしかなかったのだということも想像できるのです。