弱いなら弱いままで。
その一歩が世界を変える。わずかな勇気を振り絞り、高貴なる抵抗を貫こう。(2669文字)
http://togetter.com/li/487360
先日亡くなられたヤマグチノボルさんへの追悼から始まった話題は、そのうち「現代の物語における最先端のテーマ」へと移っていきます。これは「ラスボスがいなくなった世界」の話です。
ぼくたちの話は現代ではひとを善と悪に分ける単純な二元論的な物語は失効してしまったという認識からスタートしています。善と悪ではなく「非モテ」と「リア充」でも「被害者」と「支配者」でも何でも同じなのですが、ひとを二極に分けて行動の動機を調達する物語はエンターテインメントのメインストリームではむずかしくなってきている。
これはそういう物語が悪いというのではなく、現代においては説得力を持ち得ないということです。なぜなら、現代はどこかに超越的な「ラスボス」が存在していて、そいつがすべての責任を担っていると考えるには複雑すぎるからです。
もし世界がどこかに「鬼畜リア充」的な絶対悪の存在がいて、そいつを倒せばすべては解決するといったシンプルな構造になっているのならどんなに簡単でしょう。しかし、現実はそういうふうにはできていない。
社会の民主化から100年、200年の時をかけて成熟しつづけた近代社会は超複雑化し、「ラスボス」といえるような存在はいなくなってしまっている。打倒すべき「悪のフィクサー」なんてものはもはやリアリティを持ちえないのです。
昔はね、そういうキャラクターも一定のリアリティを持ち得たんですよ。『男組』の闇の総理とかね。このブロマガを読んでいるひとの九割以上は読んでいないだろうからその話はしないけれど、まあそういうひとはありえたわけです(現実にいたという話じゃないですよ。念のため)。
いまはもう無理。見る側の目が肥えてしまったから、なかなかそういう展開では読者を納得させられなくなってしまった。で、そういう世界ではヒーローもまた行動の理由を確保することに困ります。具体的に何をなせば世界を救ったことになるのか? どのようにすれば世界をよりよくできるのか? そういう問いが生まれてくるわけです。
ここらへんのテーマを追いかけた最先端の作品が神山健治監督の『009 Re:Cyborg』であったり赤松健さんの『魔法先生ネギま!』であったりします。
特に『009』は『攻殻機動隊』テレビシリーズから一貫して「報われないヒーロー」の物語を描きつづけてきた神山さんの集大成ともいえる作品で、ラスト、主人公の島村ジョーはだれも見ていない宇宙空間で、だれにも称賛されずに自己犠牲を行い、地球を救います。
まさにヒロイックな行動。しかし、それはまったく報われないのです。で、こういう「孤立したヒーロー」を孤立させることはいけないという考え方にもとづく物語が『まおゆう』であるわけですが、それは即ちひとりひとりの人間がリーダーシップを求められることでもあります。
ひとりひとりが小さなヒーローにならなければならないということ。でも、ヒーローが批判ばかりされてまるで報われないポジションである以上、それは非常にむずかしい。メイド姉のような傑出した天才ならともかく、凡人にそれができるか。
しかし、凡人がやらなければ意味がないのです。なぜなら、「傑出した人間にすべての責任を負わせること」こそ否定しなければならないのだから。と、ここまでは既存の先端的な物語に描かれている。
で、ここからどうするのかというのがほんとうの最先端のテーマというわけです。だれもがリーダーシップを取らなければならないが、それは報われない損な選択であり、普通はできない。ならばどうすればいいのか?
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