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ペトロニウスさんに奨められて「小説家になろう」の人気作品『Re:ゼロから始める異世界生活』を読んでいます。
まだ序盤で、いまのところ、なかなかおもしろいですね、というくらい。いまとなってはお約束ともいえる定番のループもので、「死ぬと過去に戻る」という能力を持っている主人公の話みたい。
まだ全貌が見えるところまで行っていませんが、ペトロニウスさんが絶賛するほどの作品ですから、「何か」はあるのだと思います。続きが楽しみ。
で、直接は関係しない話なのですが、このお話のなかに「剣聖ラインハルト」という人物が出て来るんですね。ぼくはこの名前を見たとき、ちょっと苦笑してしまいました。いやいや、ラインハルトといえば金髪の孺子だろう、と(笑)。
ひょっとしたらわからないひとがいるかもしれないので解説しておくと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは田中芳樹『銀河英雄伝説』の主人公(の片割れ)です。ぼくのなかではラインハルトといえばこの金髪の若者であって、ほかのラインハルトなどありえないんですね。
あまりに有名なキャラクターだから、ほかの作品でもかれの名前を使用することは避けて当然だと思うんだけれど、この作品ではそういう配慮はされていないみたい。で、ふと思ったのは、ひょっとしたら作者さんは『銀英伝』を読んでいない世代のひとなのだろうか、と。
ぼくの感覚では、まあ『銀英伝』を読んでいないことはまだありえるとしても、ラインハルトの名前すら知らないなんてことはありえないことなんですが、もうそういう時代じゃなくなっているんだろうなあ。
昨日のラジオでも少し話したんですが、オタクにとっての「常識」というものが急速に崩壊しつつあるようです。「あの作品を読んでいないのはオタクとしてダメだよねー」みたいなオタク教養主義はとっくに崩壊したけれど、教養なんてものじゃない「これはさすがに読んでいるだろう」みたいな作品でも、「存在すら知りません」ということがありえるようになった。
ぼくはそれを非難するつもりはないけれど、やっぱりね、もったいないとは思う。ひとつにはリアルタイムで生み出されるコンテンツがあまりに充実しているので、古典的名作(クラシック)に目が行かないということもあるんでしょうね。
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正直、銀英伝を神聖視しすぎではないかな?とおもいます。
もちろんラインハルトと言えば、銀英伝がまっさきに思い浮かびますが、
スールズカリッターならともかくラインハルトなんて
一般的にも使われる名前ですし、歴史上にも何人も存在します。
「不朽の名作である銀英伝の主人公」がいるから以後の作品は
名前を使うのを避けて当然と考え、そこから作者の「教養」を疑うまでいくと
名作、古典至上主義的な傲慢さを感じます。
古典や名作を読むべき、読んだほうがいいという意見はある程度同意します。
過去の作品を知ることで現在の作品のルーツが分かって、より楽しめるでしょう。
しかし、過去の作品やオリジンを着にしすぎて、新しい物を受け入れがたく感じるのであれば、
それこそ現在の作品を楽しめていないのでは?