ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

 リンダ・ハミルトン『ワーク・シフト』は2025年の未来を予想し、その社会における働き方を考えた本だ。もちろん、それは2013年に生きているぼくたちにとって役に立つ洞察に満ちている。

 そこで語られていることのなかで最も重要な予測は、「これからの社会はさらにすべてが高速で動いていく社会になるだろう」というものだ。

 2013年現在、インターネットをぼくたちはすべての物事が恐ろしいスピードで動いていく社会に生きている。その象徴が「リアルタイム・ウェブ」と呼ばれるシステムで、ぼくたちはついに情報を秒単位で消費し、発信する時代に突入してしまったわけだ。

 それはぼくたちにとって最大の快感でもある。ぼくたちはもはやスローな社会に満足することができない。信じられないほどのスピードと、ちょっと目を話せば目の前の光景が変わっているスリル、それなしではぼくたちの世代、さらにその下の世代は生きていけないことだろう。

 しかし、それは同時に恐ろしく疲れることでもある。だからこそ、「スローライフ」などという言葉が脚光を浴びるようになったのに違いない。社会があまりに「ファーストであること」にばかり価値を置いたため、いままで侮蔑と冷笑の対象でしかなかった「スローであること」にふたたび価値が認められようとしているのだ。

 たしかに何もかもが速いのは素晴らしいことではあるけれど、それではぐったりしてしまう。せめて時々はゆっくり、ゆったりしたい。そういう願望が「スローライフ」「スローフード」「スローセックス」といった言葉には表れていると思われる。

 しかし、古来より「貧乏暇なし」という。時間資産を大量に消費することは生活に十分な余裕がある人間の特権だ。これからの時代、そこまでの余裕を持たないぼくたち労働者階級は、ますます忙しくなり、ますます時間的余裕がなくなっていく。

 インターネットは相対性理論の限界に挑む速さで情報を運ぶ。人間は光の早さで動くことこそできないが、かぎりなくそれに近い速度で働くことを要求されるというわけだ。

 それはつまり絶え間ない消耗を意味する。非常な高速で高度な仕事をこなすことを求められたぼくたちは、少しずつ、少しずつ疲弊していくに違いない。そしていつの日かそれが限界に達した時、心の軸がぽっきり折れてしまう。そうならないためにはどうすればいいか。