『少年サンデー』で田部イエロウの新連載が始まっています。『ハヤテのごとく!』が例によって女装している一方で、『アラタカンガタリ』が性転換ネタやっているのが気になったりもしますが(可愛い)、新連載の話!
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意欲すらない人間はそもそも自己肯定なんてしようと思うんでしょうか。
賢いフリは、止めようや…。
自分の「愛し方」を間違えている…。
その一歩を踏み出せば、誰だろうとマイノリティだ。
タダの愚か者だ。
正直、今それを実感している。
愛する才能は「幻想」だった。
先は果てしなく遠い。
残りの時間でソレを果たす自信など無い。
足元に見えた「欠片」を拾い続ける毎日…。
「遊び」と思わなければ正直辛い…。
だが、だからこそ「笑える」。
自嘲の笑みか、未知への歓喜か…。
自分が「始まっていない」君に分かるだろうか?
マジョリティの中に自分の人生がある人間なんて居ない。
多数派という名の「幻想牢獄」=「現実」で出されるメニューは手の込んだ「後悔」だけだ。
「馬鹿」になることで人は「自分」に成れるのだろう。
無条件の「自己肯定感」は「正しい」。
比較論からの「開放」も誠その通りだ。
だが、それだけでは「足りない」。
それがこの議論が「自閉」し、物事に繋がらない最大原因だと考える。
何故か?
別に「自殺島」なんかに行く必要もない。
本物の怪物は「此処に」いる。
自分自身が「本当の恐怖」だからだ。
一歩の先にある「自分」がどれほどの「暴れ馬」か…、分かるかね?
それが「自分の命」の真実だ。
正気と狂気を超えて、只ある「力」そのもの…、貴方を押さえつけているモノの正体だ。
そして此処で、最初の問いに戻る。
貴方の「賢さ」は、自分では「ない」安住の地に留まり未知を遠ざけようとする「貴殿の命」が言わせているにすぎない。
決して貴方自身では「ない」のだ。
それから離脱を意識するだけで、それは無茶苦茶に暴れはじめる。
手を変え品を変え、貴方を止めおこうとする。
何処にこんなエネルギーがあるのか?と正直呆れるほどだ。
私はバカだから、チョットばかりこのバケモノが「軽い」のかもしれない。
「自分は本当に「自分」の味方なのか?」
この裏切りに異を唱えないかぎり、「自分の人生」など空念仏だとハッキリ言っておこう。
それと戦い始めて、剥ぎ取られ「浮かび上がる」モノこそ、やっと「本当の自分」だ。
だから…、始めよう。
自分という「敵」に向き合い、会話しよう、「からかって」みよう。
行き着く先など、見えはしないが。
これが自分の「愛し方」だ。
「他人の芝生は青く見える」
楽しんでいるようにみえる人間は、その実、自分との戦いに明け暮れているだけかもしれないよ?。
変に感情的に成ってしまったな、散文調で失礼した事をお詫びする。
以上