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もっともらしいことのすべてがもっともなだけではなく、また、もっともであるにもかかわらず少しももっともらしくないことも存在する。
つまり、いくらそれらしく響いても、まるで事実を表していない言葉というものはたくさんあるのです。
いかにももっともらしいだけの空虚な言葉たち。そういう言葉に惑わされないようにしたいものです。
何が云いたいかというと、ですね。震災を契機にオタク文化は激変すると語った評論家が何人もいたわけですが、いや、まったく変わりませんでしたね!ということなんですよ。
かれらの論旨は、簡単にまとめるなら「東日本大震災と原発事故という大事件を機に日本は貧しくなり、オタク文化を展開することは説得力をなくすに違いない」ということだったと思います。
しかし、前の記事でも書いたように、現実にゆるい萌え系の作品はちっとも減っていない。むしろ増えているかもしれない。
ようするにこの「震災をきっかけにしてオタク作品は劇的に変わる」という意見は、あきらかな間違いだったことがわかった、というわけです。
もちろん、まだ言い訳の余地はある。いや、いまはまだ変化のプロセスなのであり、これから変わっていくのだ、という云い方はできるでしょう。
ですが、震災から2年半が過ぎている以上、これから変化が訪れるとしても、それは「震災をきっかけにした変化」とは云えないでしょう。
震災とは関係なく、時が経つことによって変化しました、というだけのことなのだと思います。
いうまでもなく、長期的に見れば、どんな文化も、表現も変化していきます。
しかし、少なくとも「震災以前」「震災以後」でくくれるような巨大な差異は、オタク文化にはほとんど見られないのではないでしょうか(いわゆる「女性向け」はどうなのかわかりませんが)。
認めましょう。「震災によるオタク文化の劇的な変化」はもっともらしい幻想に過ぎず、じっさいにはそういうことは起こらなかったのだということを。
あるいはすでにオタク文化は震災前とはまるで違うものに変化している、と強弁するひともいるかもしれない。
しかし、ぼくの目にはよりゆるくなっているようにしか見えない。だって、じっさいやっていることと云えば、「やまのてせんげーむ!」ですよ(前記事参照)。
いったいこの表現のどこに「震災の爪痕」を
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コメント
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震災は確かに大勢の人に大きな被害があった大事件でしたが、個々人にとって震災が人生最大の事件だったとは限らないですからね。
海燕(著者)
そういうことですね。現代日本のような国では状況はそれほど劇的には変わらず、少しずつ変化していくのだと思います。