弱いなら弱いままで。
才能という概念の正体を考察する。(3225文字)
【才能とは何か】
時々、「才能」ということについて考えます。ひとによって才能の埋蔵量に差があることは議論の余地がないことだと思いますが、そもそも才能って何なのだろうと。
生まれつきの向き不向きのことでしょうか? それとも後天的な努力が大切なのでしょうか?
棋士の羽生善治さんは文句のつけようがない天才だと思いますが、そのかれが「才能とは継続しつづけられること」という意味のことを述べています。
現代の鬼才にしてこの言葉、やはり才能なんてものは儚い幻影なのか、継続して努力しつづけられることが大切なのか、とも思ったりします。
しかし、努力しつづければだれもが羽生善治になれるわけでもない。やはり生まれつきの資質の差というものはあるでしょう。
いったい才能とは何なのか? ぼくの結論としては、「もともとある資質を継続して研ぎつづけるひとが最強」ということになります。
優れた資質を持ちながらそれをダメにしてしまった歴史上の才能はたくさんいます。
芸能人なんかを見ていてもたまにいますよね。だれよりも花やかな才能を持っているように見えるのに、それを無駄にすり減らしてしまうひと。
そういうひとたちは、いわば一時だけ咲いた時分の花です。生まれ持ったものを大切にすることを知らなかったために、せっかくの花を枯らしてしまった人々という云い方もできるでしょう。
とにかく、長いあいだ才能を発揮しつづけることはできないわけです。
それに対し、時が経つほどにいっそう凄みを増していくタイプのひともいます。十年、二十年と時間が過ぎても、一向に衰える気配すら見せない怪物的才能。
そういうひとたちは、やはり「才能を研ぐ」ことを怠っていないのでしょう。つまりは、生まれついてひとより抜きん出ているだけでは十分ではないのです。
それを営々と磨きつづけた人間こそが、至高の玉座に座す。
【不平等な世界】
はっきり云いますが、ひとは平等ではありません。あるひとにとって非常に
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