新・ライトノベルを書きたい人の本



【「萌え」への集約】

 書店の一角でライトノベルの棚を眺めていると、つい物思いに耽ってしまうことがある。このジャンルも変わったものだ、と。

 ぼくは黎明期からライトノベルを読みつづけている。『ロードス島戦記』『フォーチュン・クエスト』『スレイヤーズ』といった初期のヒット作からきょうの作品まで知っているわけだ。

 その上で現在のライトノベルを見つめてみると、ある種の感慨がある。ほんとうに変わった。そして、その変化は、現在のオタク文化全体を象徴するものだ。

 即ち、萌え美少女キャラクターの席捲と、そして物語内容の「売れ線」への集約。あらゆる作品に「萌え」美少女が登場するようになり、物語はその少女を中心としたものへ変わっていった。

 もちろん、既に80年代、90年代において一部のファンの間で美少女キャラクターは人気を集めていた。しかし、ゼロ年代以降、「萌え」という言葉が生まれて以降の美少女キャラクターの氾濫は、やはりそれまでとは一線を画する。

 何しろきょうのライトノベルのカバーを見れば、その大半に美少女が出ている。しかもきわめてよく似た絵柄だ。

 もちろんぼくのような「熱心なファン」はその違いを見て取れるが、くわしくないひとは区別がむずかしいのではないか。それくらい個々の差が小さくなっている。

 つまりはライトノベルは、イラストにおいても、物語においても、およそ四半世紀の時をかけてひとつの形に洗練されていったのである。そしてオタク業界全体も。

 何もかもがより快楽的に、より欲望に忠実に完成された。2013年のライトノベルのエンターテインメントとしてのもてなしのよさは空前のものがある。

 ヒット作を見れば、読者がひっかかる要素はことごとく排除されている。読者は物語へ気持ちよく入り、気分よく出て行くことができるのである。

 それはどんな望みも叶う願望充足の小宇宙。思春期の少年が望むものすべてがそろっている――しかもすべてが微温な形で。

 ぼくは皮肉を云っているつもりはない。このライトノベルの「萌えへの集約」は、ライトノベルがビジネスとして洗練されていくなかで生まれた必然の結末だ。

 そして、その事象には正と負の側面がある。いつもそうなのかもしれないが、現在は極端に表れている。



【正の側面、負の側面】

 正の側面とは、作品の数が増え、クオリティが上がり、サービス精神が増し、またインターネットのソーシャルメディアを用いて感想を共有できるようになったことだ。

 個人的な好みはあるにしろ、20年前のライトノベルと現在のものを比べれば、やはり現在のほうが平均品質は上だろう。

 あるいはそれは「素人だまし」に過ぎないとの意見もあるかもしれない。表面的な要素が改善したに過ぎず、本質的な点では劇的に変わってはいない、と。

 しかし、そうだとしても、客層の大半がその素人である以上、かれらを魅了する作品を生み出すことは重要である。一部のマニアにだけ評価されればいいというものではない。

 それでは、負の側面とは何か。ひと言で云えば、