弱いなら弱いままで。
恋愛における疑似科学理論は当然のように氾濫している。
このブログは気の向くまま心の促すまま書いているわけなのですが、ひとつ記事を書くと興が乗って次の記事も書きたくなります。
そういうわけで、夜中ではありますがもうひとつ更新しておきたいと思います(じっさい更新されるのは早朝になる予定ですが、書いてるのは深夜なのです)。
さて、何を書こうか――最近、NAVERまとめをテーマごとに読み耽ることが趣味になっているので、その話でもしましょうか。
いやね、色々なテーマのまとめを読んでいくと、自然と一定の傾向が見えてきて、実に面白いのですよ。
もちろん、各まとめはそれぞれ別人がまとめているわけだから、内容的にはまったく共通してはいないはずなんだけれど、それにもかかわらず、ずっと読んでいくと「この社会の通念」というべきものが見えてくる。
たとえば「恋愛」とか「ダイエット」の項目を読んでいくと、この社会においてそれらの概念がいかに歪んでいるかが見えてくるわけです。
特に「恋愛」は非常にそこが端的に表れています。今回、NAVERまとめの「恋愛」関連記事を読んでみて驚かされたのは、非常にオカルトじみた情報がたくさん掲載されていることでした。
なるほど、一般に恋愛はオカルト的情報と相性がいいんだな、と考えさせられました。考えてみれば恋占いなどは一般的なわけで、あたりまえといえばあたりまえのことではあります。
しかし、ぼくのなかではこうまで露骨にオカルティックなトンデモ情報が飛び交っている世界だとは思っていなかった。いやー、何ごとも興味をもって調べてみるものです。
恋愛にかんして最も一般に流通しているトンデモ情報は、「男女の脳の違い」や「進化論的な差異」に恋愛関係の傾向の根拠を求めるものでしょう。
いやまあ、一定の根拠がある話ではあるわけで、それをトンデモというのはいい過ぎかもしれません。でも、これ、じっさいには科学的なバックグラウンドがあるわけではない疑似科学話だと思うんだよなあ。
NAVERまとめを眺めていると、「男性は狩猟時代の本能を残しているから多くの女性を狙い、それに対し女性は子供を育てる本能を持っているから愛を求める」といった話をよく見かけます。
でも、ぼくには人間がそんなわかりやすい本能で動いているとはとても思えません。まあ、そういうふうに説明できるかもしれないというだけで、きちんとした根拠がある話ではないと思うわけなのですね。
やはりこれは似非ダーウィニズムというか、ある種の疑似科学と受け取るべきでしょう。
もちろん、様々な点で心理の男女差がないわけではないと思います。でも、それは社会的、文化的に構築されていく側面が大きいと考えます。そもそも近代的な意味での恋愛の観念自体が、本能的なものというよりは、文化的なものであるわけですから、恋愛における男女差が本質的なものだとは思えない。
ただ、恋愛という得意なシチュエーションにおいてそういうオカルティックな知識に頼りたくなる心理はよくわかるのですよ。
ええ、まあ、そこはだてに長年ウルトラ非モテライフを送っていない海燕さんですから、
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