アダルトビデオを観たことがあるだろうか。もしあなたが男性なら、かなりの確率で何かしら鑑賞経験があるはずだ。
もちろん、そのたぐいのものを嫌悪し、避けているひとも少なくないだろうが、それでも生まれてから一度もAVを観たことがないという男性はやはり少数派なのではないか。良くも悪くもAVは日本の裏面を象徴する文化であり、きわめて広い層に浸透している。
本書はそんなAVに出演しては倒錯的なセックスを見せつける女優たちの実態に迫った一冊。といっても、よくあるインタビュー本ではない。
著者は十数年にわたって彼女たちにインタビューを続けてきた人物だが、今回、かれの視線は個々の女優というより業界全体に向けられている。たくさんのひとが必要としながらも白い目を向けるこのアンダーグラウンドな世界の秘密に、かれは執拗に迫っていく。
その内容を説明する前に、ひとつ確認してみよう。アダルトビデオに出ているのは皆、特別性的に奔放だったり、何かしら事情を抱えたエキセントリックな女性たちばかりだ、イエスかノーか。
答えはノー。いまやAVに出演する女性たちは社会のあらゆる階層、学歴、年齢に及んでいる。あの過激なAVに出て変態的なプレイを演じているのは、ある意味ではあなたの娘や、妻や、恋人、あるいはとなりの綺麗なお姉さんであってもおかしくないのだ。
それくらいふつうの女性たちが、ふつうの感覚でAVに出ることがあたりまえになっている。本書はそんなショッキングな事実を暴露する。
それではそんな「かわいいふつうのお姉さん」たちが大挙して過激なAVに出演するのはなぜなのだろう。おそらく多くのひとは、AVに出演する女性たちは金になるからこそ人前で裸になり、セックスを演じ、あるいはセックス以上に変態的な行為すら見せるのだ、と考えるだろう。
しかし、著者によれば、その認識は致命的に間違えている。いま、すべてのAV女優は「単体」「企画単体」「企画」という厳密で残酷なヒエラルキーに分けられているのだが、一本数百万円もの金額を稼ぎだすことができるのは全体の数%というわずかな単体女優だけ。全体の実に80パーセント以上は一本数万円の報酬で仕事を請けおっている。
つまり、AV出演は危険で過酷なわりにほとんどお金にならない「日当3万円」が当然の世界なのである。AVの映像のなかで、うっとりと男たちの精液を浴びてほほ笑んでいるかわいいあの娘は、わずか数万円のためにそうしているのだということ。
それでも女性たちは集まる。それどころかいまのAV業界は過剰供給の域に達していて、AVの道を選んでも出番がない女性たちが大量に存在しているという。この業界は「受験生が一流大学に合格するより、就活生が一流企業に内定をもらうよりも厳しい競争社会」なのだ。
それならいったいAV出演のメリットとは何か。詐欺師のようなスカウトマンに言葉巧みにだまされているのか。違う。ここらへんの事情は90年代前半までと現在では大きく様変わりしている。たしかに90年代まではそういうことも少なくなかったが、現在では自分からAVに出演したいという女性たちが列をなしているのだ。
しかも彼女たちはいわゆる「親バレ」「友達バレ」をも恐れず、カメラの前でのセックスを明るく楽しみ、「できるだけ長くAVを続けていきたい」と語る。いったいなぜ、何のための彼女たちは「職業としてのAV女優」を選ぶのだろうか。
その背景にはセックスに関する意識の変容がある。90年代後半からゼロ年代にかけて、日本の未曾有の不況を通して、若者たちの倫理観や貞操観念は崩壊した。生涯、夫や恋人とのあいだにしかセックスをしない、という「あたりまえのこと」が必ずしもあたりまえではなくなってしまったのである。
男性と女性の性欲は異なるとはよくいわれるが、女性でも過剰な性欲を抑えきれずにいるひともいるし、また、人前でちやほやされて認められたいという欲望もある。そんな欲求をもったひとたちにとって、AV出演とは、手軽に「夢を実現できる」選択肢のひとつとして、十分に一考に値するものなのだ。
そう考えると、かつての、あれほど派手でセックスまみれに見えるバブルの時代ですらも、現代に比べるとやはり保守的な女性が多かったのだということになる。逆にいえば、それほど現代の性は自由になってきているということ。
保守的な政治家あたりが聞けば確実に「若者の性が乱れている」と捉えるだろう風潮だが、はたしてそうだろうか。こうして女性たちが自由に性を楽しむようになってきていることは、基本的には良いことなのではないか、とぼくなどは思う。
そもそも、歴史的に見ていままで男性は女性に比べて圧倒的に自由にセックスを楽しんできたはずだ。女性には貞操だの純潔だのを押し付ける一方で、男性は「据え膳食わぬは男の恥」などといって、奔放なセックスを味わってきたのだ。
女性のセックスが方向性は違うにしろ同じレベルで解放されてきたとして、何の問題があるだろう。彼女たちが売っているのはほかならない自分の身体であり、しかも自分で自分の体験を楽しんでいるのだ。被害者などどこにもいないのである。
古くさいモラルに依るのでなければ、こうした若き逸脱者たちを非難するべき理由は何もないように、少なくともぼくには思われる。
しかし、その一方で、AV業界そのものの未来はあかるくない。出演女性たちのレベルは上がり、内容的にも過激になってきているにもかかわらず、セールスは落ちている。そのため、ただでさえ安い出演料はさらに下がっていく一方だという。
出演するたびに何百万円かの収入を獲得する少数のエリートAV女優が存在する一方で、大半の女優ははした金で使い捨てられていく。それが現在のAV業界の現実。悲惨といえば悲惨な話だが、これもまた不況日本のリアルだ。
しかし、それでは売ってはならないものを売り、見せてはならないものを見せることによって、何千万、何億円もの巨額のマネーを稼ぎ出すという「アダルトビデオドリーム」はやはり夢物語に過ぎないのだろうか。
そうでもない。本書によると、この話には「例外」が存在する。「元芸能人」という例外である。2012年現在、何人もの元人気芸能人たちがAVに出演してセックスを見せるようになっている。そのなかで最も代表的なのは某国民的人気グループ出身のやまぐちりこだろう。
一流芸能人がAVに! 信じられないような話ではあるが、よくよく考えてみればありえる話だ。アイドルビジネスで大金を得ているのはプロデューサーなどの大人たちであって、当の本人は少なくともその絶頂期ではあまりお金につながらないといわれる。
いくらひとにちやほやされて、人気を得ても、それが即現金収入に直結するというわけではない。AV業界では違う。人気と知名度はすなわち高い収入を意味する。先ほどAV女優はほとんど儲からないという意味のことを書いたが、芸能人出身ともなればべつである。
やまぐちりこの場合、実に億単位のお金が動いていることが予想される。AVは映画などと違って人気作も撮影費がほとんど変わらないから、そういうことがありえるのだ。
アイドルや女優の旬の短さを考えれば、芸能人をやっているよりもAV女優のほうがお金になる、といういい方もまんざら間違いではないだろう。下手をすると、「AV女優へのステップとして、アイドルになる」ということを考えるひとが出てもふしぎではない。
これは余談になるが、このブロマガを始めてから、ぼくは「知名度」というものの価値について考えるようになった。ほとんど無名のぼくが、ブロマガという場を通して、仮初めにもあのGACKTや小沢一郎と同じ土俵で勝負することになったからである。
もちろん、「勝負」とはいっても、初めから対等のやり合いになるものではない。あたりまえだが、どうあがいても人気では芸能人に勝てないのだ。
その人気はかれらが実力で手に入れたものなのだから、べつに嫉妬するつもりはない。ぼくがいいたいのはそういうことではなく、この社会で知名度がいかに価値があるものなのかあらためて思い知らされた、ということなのである。そして知名度はお金に直結する。
落ちぶれかけたテレビメディアにいまなお何らかの価値があるとすれば、それは出演者の知名度をいっきに上げてくれるという効果に他ならないだろう。だからテレビで得た人気を利用して、ほかのメディアで商売する。それが効率的なビジネスなのではないかと思う。
そしてその「ほかのメディア」のひとつとして、AVも考えられるということだ。テレビを捨ててAVに出ることは淪落のきわみと見えるかもしれないが、それも考え方しだいである。大作文芸映画に出ることがAVに出演することより魅力的なことだとは、必ずしも一概にいい切れない。
そうはいっても、AV業界とはヤクザな業界で、一度関わったら一生涯、アウトサイダーの烙印がついて回るのではないか、と考えられる方もいらっしゃるだろう。もちろん、この業界が法的にも倫理的にも灰色のいかがわしい業界であることに変わりはない。
しかし、それでも数々の事件を経て業界の「体質改善」は着実になされている。いまでは、この業界はある意味で「清潔」で「健全」にセックスを大量生産して売っているだけだ。
違法性と裏腹のギラギラしたキラメキが失われてしまったことを嘆くひともいるかもしれないが、そこで働く女性たちにとっては良いことだろう。著者は過去のAVを巡る悲惨きわまりない事件も報告しているのだから。
とにかく、良くも悪くもAVを巡る状況は変わった。いまやAVに出演することは恥でも何でもなく、「ふつうのこと」である。しかも出演しているのは多く清純で健康などこにでもいる綺麗な女性たちであり、特別、心病んでいるわけでも、不幸な過去を抱えているわけでもない。
それは異常なことに思えるかもしれないが、「セックスは恋人と一対一でするもの」という「常識」にだって、考えてみれば何の根拠もないのだ。わずかな金銭報酬と引き換えに過激なAVに出演したがる女性たちをたとえば「淫乱」などと呼んでさげすむのは、あきらかにばかげたことであり、男性のエゴイズムにすぎない。
AVの見方が変わる一冊。AV好きのひとにはもちろん、そうでないひとにもオススメの本だ。オナニーのあいまにぜひどうぞ。