「うーん、幸福って何?」
「またすごい質問だなあ」
「なんだと思うの?」
「そうだなあ、わからないけど、なんとなく、今思ってるものだけどいい?」
「うん、なに?」
「ガラクタ」
「えー、幸福はガラクタなの?」
「気に入らなかったら、違うのもある」
「なに」
「ほら、マンガとかでさあ、馬の頭に釣り竿つけて、先っぽにニンジンつるすでしょ。馬はそれを追いかけてずっと走るって」
「うん」
「あのニンジン」

 ――『CARNIVAL』

 あなたは人生に満足していますか? 自分の仕事に誇りを持っていますか? それとも人生は退屈だと感じていますか? つまらない仕事に過ぎないと思っているのでしょうか?

  ベン・スティラー監督の映画『LIFE!』は、そのいずれだとしても観る価値がある映画。ひとを励まし、勇気づけ、行動するために必要な活力を与えてくれる一作だ。

 物語の主人公は、雑誌『LIFE』を出版する企業に務めるひとりの男。かれは時々、現実を離れ空想の世界に入り込んでしまうという困った性癖を持っていて、そのせいもあって冴えない生活を送っている。

 16年間写真のネガを管理する仕事を続けてきたのだが、会社の合併によってそれも風前のともしび。しかも、そこで世界的写真家が送って来た写真を紛失するという致命的な事件が起こる。

 このままではクビは間違いない。そこで、かれは写真家が送って来たほかの写真から推理して、かれの居場所を探し求める旅に出る。おどろくべきことに、それは、世界中を経巡ることになる大冒険の始まりだった――。

 いや、ほんとうにすばらしい映画だった。べつだん、歴史にのこる大傑作といったものではないかもしれないが、ぼくは好きだ。こういう映画を観たくて、足しげく映画館に通っている。

 リアリティという意味ではツッコミどころが多いのだが、ぼくはそういうところは気にしない。気にするひとは評価が下がるかもしれないが、それは仕方ないところだろう。

 この映画のメッセージはシンプルだ。「たとえ無駄に思える仕事でも、評価してくれているひとはいる」。そして、「行動せよ」。

 物語はある種の予定調和のまま進んでいき、終わる。ある程度映画を見なれているひとは予告編さえ見れば結末が予想できてしまうだろう。しかし、それでも、いや、そうだからこそ、いい映画なのだ。

 この作品はひとのあるべき姿を示している。「行動せよ。そうすれば、世界はひらかれる」。そのメッセージは、まさにいま、ぼくが必要としているものだった。このタイミングでこの映画と出逢えた幸運に感謝したい。

 それにしても、この映画を観ていると、いったい映画とは何だろうかと考えさせられる。映画は「たとえ無駄に思える仕事でも、評価してくれているひとはいる」と語っているように思える。

 しかし、現実には往々にしてだれもそんな仕事を評価していない。どんなに一生懸命仕事をしたところで、世界的写真家に高く評価されたりすることはないのがシビアな事実だ。

 また、勇気を出して一歩を踏み出したところで、それが大冒険へとつながっていくことはめったにない。仮にあったとしても、サメに食われて終わるか、雪山に骸を晒すかすることになるのが関の山だろう。現実はきびしい!

 ほんとうはこの世に希望は存在しないのだ。映画が見せてくれるものは、しょせんは映画のなかで完結している夢まぼろしであるに過ぎない。

 しかし、それなら、映画は無意味なのか? 物語には存在する価値はないのか? そうではないとぼくは思う。あきらかに映画には価値がある。

 たとえそれが現実から遊離した架空の世界に過ぎないとしても、映画は、ひとはこうあるべきであるという規範を見せてくれる。世界はこのようにあるべきだという理想を示してくれるのだ。

 そう、映画がひとに訴えかけるのは、それが現実を反映しているからではなく、本来そうあるべき人間と世界の形をアピールしているからだ。

 文学や音楽がそうであるように、それは、現実世界を何ら変えられないかもしれない。無力で無意味なものかもしれない。それでも、一本の映画を胸に立ち上がるひとは絶えないだろう。それこそが映画が持っている至上の力なのだ。

 『LIFE!』に話を戻そう。