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現代社会における「しあわせの形」とはどのようなものか。
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現代社会における「しあわせの形」とはどのようなものか。

2014-07-24 07:00
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     いつも思うのだ。ひとはどうすれば幸せになれるのだろう? カネか? モノか? 愛か? 家庭か? 仕事なのか? いったい何をどう充実させれば本物の幸福に手が届くのだろうか。

     伊藤洋志&pha『フルサトをつくる』を読んだのも、そういうテーマを考える一助にならないか、と考えたからだ。

     この本はある種の「田舎本」で、田舎に自宅とはべつの拠点を作って「パラレルライフ」を楽しむ方法が書かれている。処理しきれないほど高速な情報にあふれた都会だけで暮らすよりも、田舎にも住みかを作って自由な暮らしをしたほうが良いのではないかという提案。

     こう書くと、いわゆる「ロハス」とか「スローライフ」の本か、と警戒するひともいるかもしれない。しかし、そうではない。それらの思想と本書の考え方が根本的に違うのは、この本は「社会を変えよう」とか「生き方を根本から見直そう」とは考えていないという一点にある。

     本書における田舎暮らしは、あくまで無数の選択肢のひとつである。「田舎バンザイ!」、「都市生活よさらば!」などと語ったいるわけではない。

     そういう意味で、本文中にもあるが、ヒッピーのコミューンなどとは根本的に違う思想に貫かれている。筆者らは近代文明を否定するのではなく、ただその足りないところを補完しようとしているに過ぎない。

     ようは「いいとこ取り」の発想であり、「都会もいいけれど田舎もね」という「中庸」の思想である。これは、現実的であるばかりでなく、理想的でもあると思う。

     じっさい、都会生活に疲れたひとでも、「じゃ、あしたから田舎に転居しよう」とはなかなか思えないに違いない。しかし、ちょっと田舎に隠れ家を持つ、ということなら魅力的だと考えるひとは多いのではないか。

     都会が楽園ではないように、田舎もまた完全な理想郷ではない。それはそうだが、やはり田舎には田舎の良いところがたくさんあるのであって、それらを「いいとこ取り」して暮らすことができれば、いままでよりハッピーな生活が送れるかもしれない。

     本書の提案を乱暴にまとめると、そういうことになるのではないだろうか。

     個人的な話になるが、「どうすればこの現代社会で幸福に生きられるのか?」ということをずっと考えている。それがこのブログの最大のテーマであると云ってもいい。新たにブログのタイトルに据えた「成熟社会の遊び方」とはそういうことだ。

     過去を振り返ってみれば、高度経済成長期にもバブル期にも、その時代に応じた「幸福のモデルケース」があったように思う。

     もちろん、そこから阻害された人たちは大勢いたわけだし、それはある種の幻想に過ぎなかったとも云えるわけだが、ともかくあったことはあった。

     しかし、現代は社会が成熟し、価値観の多様化が進み、わかりやすい「幸福の形」を見いだしづらくなっている時代なのだと思う。

     それはぞれぞれの人間がそれぞれなりの「幸福の形」を追い求められるということで、素晴らしいことではあるのだが、あまりの自由さに困惑している人も少なくないだろう。

     いま、ぼくたちはカネやモノだけで必ず幸せになれるという時代には生きていない。経済は沈滞しているし、原発は爆発してしまった。おそらくもう二度と日本にバブルのような時代は訪れないに違いない。

     だが、カネやモノがすべてではないとすれば、いったいぼくたちはどうすれば幸福になれるのだろう? ここでぼくは悩んでいる。

     こういう話をすると必ず出て来るのが、これからの時代は精神的、文化的な成熟が大切だという話だ。物質文明の空虚な繁栄は永久には続かない、欲を捨てココロを充実させることが大切なのだうんぬんかんぬん。

     これはある意味ではまったくその通りだし、ちょっと正面から反論するのはむずかしいようなところがある。ただ、ひとはやっぱり「衣食足りて礼節を知る」わけで、「清貧の思想」を貫徹することは、凡人にはむずかしい。

     まして他人にそれを強制するようになったら暴力的と云えるだろう。むしろ、いまのぼくたちにはチャップリンの「人生に必要なのは、勇気と想像力、そして少々のお金だ」という言葉のほうが響くのではないだろうか。

     どんなに勇気や想像力があっても、やはり「少々のお金」は必要なのだということ。近代社会からの脱出なんて、たいていの人にとっては夢物語だということだ。

     『フルサトをつくる』にも書いてあるのだが、ここらへんを履き違えると、ポル・ポトだの毛沢東だのの思想になってしまう。

     ただ、その一方でやっぱり守銭奴的な生活はばかげているということも、いま20代から30代は痛感しているはずだ。くりかえすが、ぼくたちはもうカネとモノがひとを幸せにしてくれる、と無邪気に信じられるほど子供ではない。

     そういう意味ではたしかに成熟した社会を生きているわけだ。つまりは、何ごとも極端に振れることは良くないのだというのが、ぼくたち若い世代がこの社会で得た教訓である。

     このブログでは、そういったことを踏まえて、ひきつづき「成熟社会における幸福のモデルケース」を探って行きたい。

     といっても、あまりにも雲をつかむような話である。そこで、ぼくはさっきイタリア料理店でシーフードパスタランチ(1380円)を食べながら、何かとっかかりはないかと考えた(この記事は予約更新です)。

     そうすると、まったくの私見になるが、この社会で幸せになるために大切なのは以下の四つではないかと思えてきた。 
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