弱いなら弱いままで。
ぼくの感想は――いや、ふつうに傑作でしょ、これ。それはたしかに、CG映画で『ドラえもん』を制作すると聞いた時には、ぼくも「大丈夫なのか?」と思ったし、予告CMにはそれほど期待させられなかったのだけれど、じっさいに観てみると、これがもう文句なしの出来。おみそれいたしました。
90分足らずという短い尺のなかで、一から新しい『ドラえもん』を再構成しなおし再提示するという離れ業には驚かされる。
ひとの意見はそれぞれなので、本作に対して批判的な人を否定するわけではないが、少なくとも予告編が生み出す先入観で判断して忌避するのはもったいない出来だ。
まだお盆休みが残っている向きには自信をもってオススメできる国産娯楽映画のマスターピースと云えるだろう。これが日本のエンターテインメントだと世界に誇れる一作だ。
それにしても、ここまでの作品を作り上げてなお、バッシングされる制作スタッフやキャストは可哀想。くり返すが、ひとの価値観は多様である。本作を観てまるで面白くないと思うひとがいても当然だとは思う。
しかし、ぼくには多くのひとが「あざとい「泣かせ」映画」という先入観でもって本作を判断してしまっているように思えてならない。この映画、云われるほど「泣かせ」に拘っているようには思えないんだよなあ。
それはまあ、原作『ドラえもん』のなかでも特に「泣かせる」エピソードをクライマックスに持ってきているのはたしかだけれど、一面でこれはごくあたりまえに笑えるコメディ映画でもある。
映画館では時々、子供たちの笑い声が響いていた。情緒過多という批判も目にしたことはあるが、そうかなあ、ぼくの目にはむしろ演出はしっとりと抑え目であるように思える。
たとえば(少々ネタバレにはなるが)、ドラえもんとのび太が別れる場面を直接描かないあたりの抑えた演出には感心させられた。
ここらへん、何をどうしても「原作が偉大だから」で済ませられてしまいがちなわけだが、ここまで秀抜な作品の功績をすべて原作者に帰すことはどうにもフェアではない。
膨大な原作をどう切り取るかということはあくまで監督や脚本の力量であり、本作において、その両者を務めた山崎貴は素晴らしい才能を示したと思う。
批判するのは自由だが、擁護するのも自由であるわけなので、ぼくは大いに弁護させてもらおう。じっさい、不況の日本映画でヒット作を出しつづけていながら、山崎の能力は過小評価されがちなのではないだろうか。
それもこれも甘ったるい「泣かせ」映画を作りつづけているというイメージから来ているわけだが、ほんとうにそうなのかどうか、ここらへんで再検証してみる必要があるのではないか。
予告編やキャッチコピーから離れて、子供のように純粋に映画を観てみよう。いつだってそこからしか物語は始まらないのだ。
おそらく、本作で最も議論を呼ぶのは「成し遂げプログラム」と名づけられた映画オリジナルのアイディアだろう。ネットを回ってみると、このアイディアが「原作破壊」だという意見をたくさん見つけることができる。
監督のインタビューをひき合いに出し、このようなブラックなアイディアはそれ自体が「ディストピア」的であるとするひとは(おそらくじっさいには映画を観ていないひとも含めて)たくさんいるようだ。そうだろうか。
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コメント
コメントを書く良いものが良いと評価されないネットの風潮には辟易とする。
批判の理由が、批判の内容とは別のところにあることも多いように思う。
ネットで高く評価されることを期待するのはだめですね