何となく書店でタイトルがひっかかって、水沢あきと『アイドルとマーケティングの4P』を読んだ。ぼくはじっさいのアイドルには何の興味もない人なのだが、どういうわけか虚構のなかのアイドルには妙に惹きつけられる。
弱いなら弱いままで。
何となく書店でタイトルがひっかかって、水沢あきと『アイドルとマーケティングの4P』を読んだ。ぼくはじっさいのアイドルには何の興味もない人なのだが、どういうわけか虚構のなかのアイドルには妙に惹きつけられる。
何となく書店でタイトルがひっかかって、水沢あきと『アイドルとマーケティングの4P』を読んだ。ぼくはじっさいのアイドルには何の興味もない人なのだが、どういうわけか虚構のなかのアイドルには妙に惹きつけられる。
角川が一時期たくさん作っていたアイドル映画なんかも妙に好きだ。当然、作品の出来はそれほどでもないものが多いのだけれど、そのいまひとつの出来にも心惹かれてしまう。実はけっこうアイドルが好きなのかもしれない。
が、それはいい。『アイドルとマーケティングの4P』の話。ぼくは普段、このブログでは特に面白かった作品を中心に語っている。そうでなければ読む方も退屈するだろうし、ぼくにしても「ここがこうダメだった」などと語ったところで大して意味があるとも思えない。
しかし、この小説は、正直、そこまで面白くはなかった。決して稚拙でも下手でもない、物語作りの常道を押さえて書かれているのだが、どういうわけかあまり心躍らないのだ。
だが、今回はあえてこの作品を取り上げて、少し分析めいたことを行ってみようと思う。というのも、この作品を通して、小説というか創作の不思議が見えてくるように思われるからだ。
何がいいたいのか。特に面白いとは思わなかった『アイドルとマーケティングの4P』なのだが、特にどこが悪いとも思わないということなのである。
プロットも悪くない。キャラクターも悪くない。アイディアもよく考えられている。が、だから面白いかというと――もうひとつ、ということになってしまう。
この小説を読んでいてよくわかったのは、小説は、あるいは漫画でも映画でも、減点法で語ることはできないということだ。ある基準を用意して、そこが上手に書けていないとマイナスするという評価では、小説の面白さを捉えそこねる。
つまり、面白い作品はいくら大穴が空いていても面白いし、その反対もまたいえるということなのである。
ただスタンダードに小説技術の方法論をなぞっていっても決して傑作も話題作も生まれない。むしろ、才能ある作家が自分の欲望のままに書いた作品のほうが高い評価を受けたりする。
ここらへんが不思議なところで、きょうに至るも小説の書き方は厳密に形式化されていない。多くの人がそれを試みたし、自分はそれに成功したと称する人物も少なくないが、じっさいにはだれもベストセラーを出しつづける方法論など知らないのだ。だからこそ小説は面白い、ということもできる。
もちろん、技術的に洗練された作品を書くことにこだわりを見せる技巧派の作家もいるとは思う。そういう作家は、あくまでビジネスとして、プロフェッショナルに作品を生み出すことを請け負っているのかもしれない。
しかし、そういう作家にしても、いままでこういうやり方で成功してきたからこれからもそれを続ければいい、とは考えていないと思う。もしそう考えるなら、その書き手の行く末は奈落でしかない。
なぜなら、既存の方法論とは、あくまで「過去の」方法論であって、未来においては通用しなくなっていくものだからだ。時は流れ、時代は移ろっていく。
もちろん、そういう時代の変遷を超えた確固たる方法論も、「ある程度は」存在するだろうが、流行小説の最も重要な部分は、決してはっきりと確立できないところに存在している。
じっさい、どれだけの流行作家が生涯にわたって作家業を続けられるかと考えてみればそのことは一目瞭然ではないだろうか?
小説を軌道に乗せるためのレールはたしかにあるだろう。しかし、ほんとうにその作品を傑出したものにするためには、そういうあたりまえのレールから作品をどこかしら逸脱させるものが必要になって来るのだと思う。
ぼくはそれを「才能」とか「狂気」とか「クリエイティヴィティ」と呼んだりする。これが、ぼくには致命的に欠けていて、だからぼくがひとりで書いたオリジナルの小説はなかなか面白くならない(同人誌は共同作業なのでまたちょっとべつ)。
つまりは、ひとさじの狂気が振りかけられていなければ、決して小説というスープはほんとうに美味しいものにはならないわけなのだ。
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