映画『柘榴坂の仇討』を観て来ました。わりに古めかしいタイトルからもわかる通り、中井貴一主演の時代劇。浅田次郎の原作を『ホワイトアウト』、『沈まぬ太陽』の若松監督が手がけた映画となっています。

 中井演じる主人公の侍、志村金吾は、幕末の大老である井伊直弼に仕える男。井伊という人物に惚れ込み、忠義を尽くすつもりでいたかれは、しかし、あるとき、水戸の暗殺者たちに主君を討ち取られてしまいます。

 場所は桜田門外。世にいう「桜田門外の変」です。主君を失ったあとの金吾は、切腹も赦されず、ただひたすら主君の仇を探し求めることになります。

 しかし、その仇たちも次々と死亡してゆき、やがて生きのこったのは、ただひとり、佐橋十兵衛という男のみ。文明開化の明治を迎え、時代が変わった頃、ようやく、金吾の仇討ちが実現するのですが――という筋立て。

 13年もの時間を経て、時代おくれになってしまった金吾の執念は、それでも十兵衛に追いすがり、やがてふたりは運命の柘榴坂へと到達することになるのです。

 うん、なかなかに良い映画でした。初めの雪が降るなか狐の面を被った暗殺者たちが襲いかかってくるシーンに始まり、すべてがいちいち純日本風。

 あらゆるところに日本の美学が散りばめられていて、黒澤明の『乱』のようにありえないほど美しいというほどではないにしろ、実に端正な映画に仕上がっています。この映像美だけでも観る価値があるといって良いでしょう。

 いま大ヒット上映中の『るろうに剣心』みたいな荒唐無稽なアクション・エンターテインメントも良いけれど、こういう古風で端正な時代劇もやはり素晴らしいですね。

 一切の打算を捨て、13年もの月日をかけ、ただひと筋に仇討ちへと進んでゆく金吾の姿には、日本人が大切にしてきたある種の美学があります。

 「時代が変わっても、変えてはならないものがある」というテーマが、これもまた時代を超えた現代日本への提言であることは論を俟たないでしょう。

 金吾と十兵衛は、ふたりとも、新しい時代が来たなかで古い時代の恩讐に捕らわれている人間です。しかし、その寂しく物悲しい姿は、ある種の共感を呼びます。ふたりとも、変化していく時代よりもなお大切なものを持っているのです。

 はたして、決着の柘榴坂において、金吾は十兵衛を斬るのか、斬らないのか――最後の最後まで緊迫感に充ちた芝居が続いてゆきます。

 そんななか、意外な好演を見せているのが金吾の妻を務めた広末涼子。