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 貞本義行による漫画『新世紀エヴァンゲリオン』の最終巻を読みました。連載開始から実に18年もの歳月をかけての完結となったわけですが、卓越した表現力で、テレビシリーズとも新劇場版ともまた違う「もうひとつの『エヴァ』」を描き抜いてくれたと思います。

 ここには庵野秀明の「狂気」はありませんが、その代わり、シンジを初めとする登場人物の心理がとてもていねいに描写されています。

 こういう『エヴァ』が見たかったんだ、という人も多いのではないでしょうか。いまさらではありますが、やはり貞本さんは絵がうまい。一本一本の線の綺麗なこと。この人はこの人である種の天才だよね。

 それにしても18年です。その長い年月の間に、『エヴァ』と別れを告げた人も多いでしょう。いつまでも終わる気配を見せない物語に、「もう『エヴァ』はいいよ」と感じている人もいるかもしれません。

 それはおそらく制作サイドにしても同じことで、あるいは「もう新しいファンがいるのだから、いつまでも古いファンに支持してもらわなくてもかまわないよ」と思っているかもしれません。

 つくづく思うのですが、作品と読者が心の底から互いを愛しあい、求めあう蜜月の時期は短いものです。

 どれほど愛しあった作品と読者でも、かつて愛しあった恋人たちの気持ちがすれ違い、やがて離れていくように、いつのまにか疎遠な関係になってしまったりするようです。

 『エヴァ』にしてすらそういうことはあると思う。いまになってなお新たに生み出される謎、新しく付け加えられる設定――その膨大な分量に、「いいかげんにしてくれ」と思っているファンは少なくないかもしれません。

 しかし、物語が続いていくということはそういうことなのです。ひとつの作品は、それが続いていく限り、変化しつづけ、ある意味では元の魅力を失いつづけていきます。

 読者がどれほど「もういいよ」、「ここで止まってくれ」と望んでも、作り手にはべつの意図があり、そして作り手が続けたいと望む限り、作品は続いていくのです(あるいは完全に人気がなくなって見捨てられるか)。

 こういう構造を、寂しい、と感じる人もいるでしょう。あの日愛した作品にそのままの姿であってほしい、そう願う人はたくさんいるはずです。

 そして作り手の側にしても、叶うものならずっと同じファンに愛されつづけたいと願っているかもしれません。ですが、それは結局、決して叶わない願いです。

 ある物語を続けていけば、どうしたって一途に支持しつづける読者だけというわけには行きません。なかにはかつてその作品を愛したからこそ、可愛さ余って憎さ百倍の思いで攻撃してくる読者もいるでしょう。

 その気持ちはよくわかる。でも、ぼくはそれは正しい姿勢ではないと思うのです。ひとは変わるものであり、作品もまた変わっていく。

 そしてその終わりない運動によって、作品と読者の間には距離が生まれていく。とても哀しいこと。しかし、それは作品のせいでもなければ、読者のせいでもないわけです。

 ひとは変わるもので、作品もまた同じ。時の仮借ない責め立てのなかで、すべてのものは変化していきます。そのことを止めようとすることは、自然の摂理に反することです。

 ひとにできることは、時の流れを受け入れること。無常――何もかも変わっていくというその真理を受容し、笑顔で作品と別れを告げることだけなのではないでしょうか。