弱いなら弱いままで。
ぼくは小説が好きで、たまに自分でも書いたりしているのだが、どうにもうまく物語を作れない。
全体の構造を把握しきっていないまま書き始めるせいもあるだろうが、たいてい、どこかでシナリオの欠陥があきらかになって作品が破綻してしまうのだ。
膨大な物語を読んできているにもかかわらず、ぼくには物語作りの才能がまったく欠けているらしい。
これがどうにも残念で、どうにかならないだろうかと考えていた。
べつだん、プロの作家になりたいとかそういうことではない。
自分が好きな世界を、自分自身で生み出すことができたなら素晴らしいだろう。そういう素朴な想いであるに過ぎない。
それにしても、何度となく失敗を繰り返していると、「なぜ、ぼくはここまで面白い物語がつくれないんだろう?」と疑問に思えて来る。
才能がないからといってしまえばそれまでではあるが、では、その「才能」とは具体的にどのような能力なのか。
呼吸をするように容易に面白い物語を作れる人たちと自分と、いったい何が違っているというのか。
どうにも納得が行かない気分になる。
まあ、いくら納得が行かなくてもじっさい差があるのだからしかたがないのだが、その「差」とはどこの差だというのか? いままでずっと考えていた。
そこで、先日、このような記事を読んだ。
よくある「物語の作り方」的な記事なのだが、物語を作っていく手順を具体的に記したその記述を読み進めていくうちに、ふと、わかったような気がしたのだ。
ようするに、面白い物語を生み出すためには必要な手順があり、ぼくは無意識のうちにそれをいくつかすっ飛ばしていたために物語が破綻してしまったのではないか、と。
たしかに世の中にはときに天才的な物語作家がいて、「ただ思い浮かんだことをそのまま書いただけです」などという。
そういう作家たちは魔法のように自由自在に物語を生み出せるように見える。
つまり、かれらはあるとき突然指を一本立ててこう呟きはじめるのだ。「ここにひとりの人物がいるとしよう。それは――」。
そして、あっというまに筋が通った面白いシナリオを生み出してしまう。
しかし、こういう人を見て、「物語を作るためには天与の才能がなくてはいけないのだな」と考えてはいけない。
ただ、かれらは生まれ持った才能なり熟練の経験によって必要な手順をカットすることができるだけで、物語作りに正当な順番があることに変わりはないのだ。
重要なのは、完成した物語を見てもその手順はわからないということだ。
なぜなら、
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