初音ミク革命―とある大学生の一考察

 きょうは前回の記事の続きを書く予定だったのですが、そこを変更して思いつき記事をお送りします。

 まだ全然煮詰まっていない生煮えのアイディアなのですが、LINEで話していたら個人的に盛り上がってきたのでそのままメモしておこうかと。

 どういえばいいのか、ぼくが昔から好きなある「感性」、あるいは「表現の傾向」の話なのですが。

 うーん、これでは漠然としていますね。

 ぼくは昔からずっと「ある種の作品」や「キャラクター」が好きなのですが、具体的にそれをどう表現したらいいのかわからずにいました。

 いまでもわからないのだけれど、最近、時代がずいぶんぼく好みの方向に進展していると思うのです。

 それで目につくところで起こっている現象をメモしておこうというわけです。

 どこから話したらいいのか――そう、まずは「Future Bass」という音楽ジャンルについて話したいと思います。

 「Future Bass」とはどんな音楽なのか? 実はよくわかりません(笑)。

 この記事(http://www.edmbanana.com/entry/future-bass)によると、「キラキラ系かわいい感じのテイストや、ゴージャスなシンセが特徴で、ときにはゲームサウンドっぽいものが入ったりするElectronic Music」ということのようです。

 じっさいにどんな音楽なのかは、リンク先に飛んで聴いてみてください。ちょっと新しい感じがするものを聴けると思います。

 具体的にどのくらい影響を与えあっているのかちょっとぼくにはわかりませんが、ボカロなんかを聴き慣れている人にとっては耳障りのいい音なのではないでしょうか。

 ボカロのあの現実から浮遊した感じ、生々しさがない感じが共通しているかな、と。

 上記したように具体的にどういうジャンルなのかもよくわからない音楽なのですが、Youtubeなんかで続けて聴いていると、ぼくは非常に自分の好みに合うものを感じます。

 そうそう、これこれ、こういうのが好きなんだよね、という感じ。

 この、音の「軽さ」みたいなものにぼくは非常に惹かれるわけです。

 ぼくがアニメを好きなのも、結局はその「軽さ」が好きなのだと思う。

 ここでいう「軽さ」とは、「生々しさ」の対局にある概念だと理解してほしいところです。

 ちょっとチープな、リアリティのない、ニセモノっぽい、なめらかでプラスティックめいた感じ、といえばわかってもらえるでしょうか。

 アニメのキャラクターが持っているその非現実感が好きなのです。

 とても綺麗で花やかだけれど、現実的から何センチか浮遊している感じ。

 最近、ぼくはゲームをプレイするようになったのですが、欧米のゲーム企業が作る大作はいずれも大金を投じてリアリティを突き詰めているように思えます。

 息を呑むような生々しさ、まるで現実であるかのような実在感。それはそれですごいものではあるのですが、ぼくはそういう方向性にあまり興味がないのですね。

 ぼくはやっぱり非実在の存在であることをそのままに主張しているキャラクターが好きなのだと思います。

 これはぼくだけではなく、日本で生まれ育ち、かつては「オタク」と呼ばれていた人たちにはある程度共通する感性なのではないでしょうか。

 アニメキャラクターが持つ「過剰なまでの清潔さ」をこそ愛するセンス。

 そして、ぼくがその「リアリティから浮遊するほどのクリーンさ」と合わせて重視しているのは「フラジャイル」の感覚です。

 「壊れやすい」を意味する英語ですが、そこには「儚い、脆い、かよわい、虚ろな」というイメージが重なります。

 この「軽さ」と「壊れやすさ」を併せ持つ表現がぼくは好きでならないのです。

 つまり、「非現実的なほどに清潔で、儚く、かよわく、壊れやすい」ものを愛でる感覚。

 わかってもらえるでしょうか?

 おそらく