あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知

 いつになく「つながり」がもてはやされる時代である。

 LINEやFacebookを初めとするSNSの発達で、ひとは24時間だれかとつながっていることができるようになった。

 テクノロジーはついに人々の心から孤独を駆逐しつくしたように見える。

 それでいて、多くの人が「つながりつづけること」に泥のような疲労を感じてもいる。

 それが現代。

 人々はかつてなく長いあいだ他者とつながりながら、その一方でより深いつながりに飢えている。

 そして、それにもかかわらず、ほとんどの人はどうすればほんとうにつながったことになるのかなんて、知りはしないのだ。

 高石宏輔『あなたは、なぜ、つながれないのか』は「つながり」の作法に着目し、それをどこまでも詳細に解体していった一冊。

 ある人とある人が向かい合い、話し合う、それだけのことのなかにどれほどの情報量のやり取りがひそんでいるのか、あらためて自覚させられる脅威の一冊だ。

 ひととひとが向き合ってコミュニケーションを取ろうとするとき、そこには自然とある種のパワーゲームが発生する。

 どちらが会話の主導権を握るか。相手をどのようにして威圧するか。あるいは、どのようにして相手の精神をコントロールし、自分の思うままの反応を引き出すか。

 それらは剣や銃ではなく言葉を利用して戦いあう決闘に似たところがある。

 己の身体と知性の限りを尽くして相手を圧倒しつくそうとする男性的なゲーム。

 しかし、本来、ひととひとのやり取りはこのような力のぶつけあいに留まるものではない。

 ただ自分の弱点を隠し、相手の弱点を狙うといった戦術だけが有効なわけではないのだ。

 それは本来、「その人のことを知りたい」という純粋な好奇心から発して、非敵対的に続いていく共同作業である。

 それは「心を開く」ところからスタートする。相手との接触で自分が変わっていくことを許すこと。

 過剰に自分を防御して相手だけを変えようとするのではなく、自然な変化を受け入れること。

 それが、コミュニケーションだ。

 いわゆる「コミュ障」だけがコミュニケーションを苦手としているわけではない。

 世の中には、だれより饒舌に話しながら、一切、意味のある会話をなしえない人間もいる。そういう人物も広い意味での「コミュニケーション弱者」に入るだろう。

 世の中には、