ジロジロ見ないで―“普通の顔”を喪った9人の物語

 ども、海燕です。

 いま、ぼくは全身脱毛症で困っています。

 全身脱毛症というのはぼくがかってに見立てた病名に過ぎませんが、じっさい全身の毛という毛が抜け落ちているのだから全身脱毛症といってもいいでしょう。

 初めは頭部の軽い円形脱毛症から始まったのだけれど、いまでは眉毛やまつ毛もほぼ抜け落ちているし、腋毛やすね毛もほとんど抜けてしまいました。

 きのう、皮膚科へ行って招待状書いてもらったので、きょう大学病院で検査してもらって来ます。またお金がかかるなあ。ぐぬー。

 しかしまあ、こういう病気にかかると、やっぱり「なんでおれだけが」という気分になりますね。

 じっさいにはぼくだけじゃないし、ぼくよりずっと深刻な病気の人もたくさんいるのだけれど、そういう正論に対しては「あー、あー、きーきーたーくーなーいー」と耳をふさぎたくなる。

 ぼくの場合は肉体的苦痛があるわけではないので、本人が気にしなければそれで終了なのだけれど、髪の毛はまだしもまつ毛まで抜けるとなると、さすがにストレスが大きいわけです。

 検索してみると同じような症状で悩んでいる人は大勢見つかる。

 ぼくはいいかげんおっさんだからまだいいけれど、これが年頃の女性だったりすると辛いであろうことは容易に想像できます。

 「ひとと違う顔」を持っているということはただそれだけで生きづらいことなのです。

 ぼくはべつにそこまで気に病まないけれどねー。うん、さすがにちょっと辛いけれど、まあ、べつにもとからイケメンだったわけでもないしな。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、いまから何年か前、『ジロジロ見ないで “普通の顔”を喪った9人の物語』という本が出ています。

 これはそれぞれの理由で「普通の顔」をなくした9人の人物に取材した本で、初めて読んだときはそれはそれは大きなインパクトがありました。

 ああ、「普通の顔」をなくすということはなんと辛いことなのだろうと衝撃を受けたのです。

 しかし、それから何年か経っていまぼく自身もほぼ同じ状態になってしまったわけなのですが、「ユニークフェイス」の当事者となったいま、顔の問題が人生を決するほど大きいとはやはり思いません。

 結局、当人の受け止め方しだいなんですよね。

 ぼくの場合、とりあえず顔面の毛はほぼすべて抜け落ちましたが、それでひとの目が気になるかというと、まったく気にならない。

 そういう意味ではぼくはたぶんあまりひとの目が気にならない人なのだと思います。

 特にジロジロ見られているとも感じないし、差別的な扱いを受けたわけでもないし。

 これが会社勤めだったりするとまた違うのかもしれませんが、そこは気楽なフリーランス。

 まあ、せっかくなので普通の人が体験できないであろう状態を味わっています。

 いくらかストレスになっていないというとウソになってしまうし、「香港映画の悪役みたいな人相になってしまったなあ」と思わんこともないけれども。

 ちなみに『ジロジロ見ないで!』に出て来る脱毛症の女性は、撮影終了後、自殺されたということです。