MAJOR 2nd(メジャーセカンド) 1 (少年サンデーコミックス)

 最近、満田拓也『MAJOR2nd』を読み返しています。

 いわずと知れた野球漫画のヒット作『MAJOR』の続編で、前作主人公の息子が主役を務めています。

 そこまではいいのですが、興味深いのが、この息子のほうには特別に野球の才能があるようには見えないということ。

 それどころか、「肩が弱い」という野球選手としては致命的な弱点を抱えてすらいます。

 その現実を思い知らされる頃には本人もやる気を喪失し、道具を捨ててしまおうとするありさま。

 それにもかかわらず周りはあきらめずやる気を出すよう勧めて来る。

 いや、べつに才能ないんだからべつに野球やらなくてもいいじゃんと思うのですが、周囲からすると野球を辞めるのならほかのことに打ち込まないといけないということらしい。

 そこで主人公は葛藤するのですが、いやー、この葛藤が見ていて辛い、辛い。

 ぼくが最近読んだ漫画のなかではぶっちぎりで辛い漫画ですね。

 才能がある人間が才能を発揮し切れないという物語は悲劇ですが、『MAJOR2nd』は初めから才能がない人間を描いているので、悲劇になりえません。

 哀しいことを描いていても、どこか滑稽なのです。その滑稽さが、見ていて痛い、痛い。

 もうなんというかひとつの惨劇として完成されていて、いったいこの物語はどこへ進んでいくのだろう、と思いながら見ていました。

 ところが、この漫画、売れているんですよね。

 第2巻の時点ですでに100万部を突破しているそうで、ということはそれなりに需要があるわけです。

 もちろん、大ヒット作の続編ということはあるけれども、Amazonを見ても評価が高いし、意外にウケているらしい。

 となると、この野球惨劇漫画のどこがどうウケているのか、気になります。

 ペトロニウスさんは、この作品に「主人公になれない者の苦悩」を見て取ったようです。

 なるほど、そういわれてみると、そう見えて来る。

 『MAJOR2nd』の主人公・大吾は、まわりから主人公であることを期待されながらその期待に応えられないキャラクターと見ることができるでしょう。

 そもそも普通は少年野球の段階でそう才能の有無に悩む必要もないと思うんですよね。

 親にしても、ただ楽しくやっていればそれでいいという考えの人がほとんどでしょう。

 それがなぜ大吾が余計な苦悩を背負ってしまうかというと、やっぱり往年のメジャーリーガーの息子だからに違いありません。

 つまり、大吾は「主人公の息子」であり「主人公を継ぐ者」であることを期待される立場なのです。

 しかし、かれにはどうしてもそうすることができない。それだけの能力を与えられていない。そこで苦しみが生まれることになる。

 これはたしかに時代的なテーマかもしれません。

 スポーツ漫画の歴史を考えてみると、しばらく前に「天才漫画」が流行ったことがありました。

 『MAJOR』もそうですし、『H2』とか、『SLAM DUNK』とか、人並み外れた才能を持った主人公の活躍を描いた物語ですね。

 スポーツ版の俺TUEEEというか、凡人を常識を絶したまさに主人公となるべく生まれてきたキャラクターの成長を見るところに面白さを感じる系譜です。

 天才スポーツ漫画は、それまでの泥臭く努力するスポ根漫画とは似て非なるものだといえるでしょう。

 もちろん、まったく努力が描かれないわけではないのですが、とにかく主人公が凡人とはレベルの違うところにいることはたしかです。

 これは「努力すれば勝利(成功)できる」というストーリーに対する疑義から出て来た作品群なのではないかとぼくは思います。

 「結局、最後に勝つのは才能がある奴だよね」というわけではありませんが、とにかく努力さえすれば結果が出るのだ!という信仰とは別次元のところにある漫画たちだといっていいと思う。

 そして現代のスポーツ漫画は、そこからさらに一歩進んで、「それでは、天才ではない者が勝つにはどうすればいいのか?」ということを描いているように思えます。

 最もわかりやすい例が『ベイビーステップ』であり、あるいは『黒子のバスケ』でしょう。

 面白いのは、このふたつの作品では主人公が採用する戦略が真逆だということですね。

 『ベイビーステップ』では平均値を高めることで対応しようとし、『黒子のバスケ』では唯一の長所を研ぎ澄ますことを目ざします。

 ともかくここでは主人公が非天才(生まれつき天才ではない者)に設定され、それでもなお、勝利を目ざそうとする姿が描かれるわけです。

 そこには、どんなに絶望の底に叩き落とされてもあきらめない鉄の意志があります。

 そういうふうに考えていくと、『MAJOR2nd』はそのさらに一歩先を描こうとしているのだ、とはいえるかもしれません。

 大吾にはそもそも