年収100万円の豊かな節約生活

 あなたはいま、年間いくらくらいの収入があるだろう。そしていくらくらいの支出で生活しているだろうか。かるく1000万を超えるというひとも、あるいはわずか300万円程度だというひとも、もしいまより年収が下がったら、という不安と無縁ではないだろう。

 そういうひとは山崎寿人『年収100万円の豊かな節約生活術』を読めば瞬く間に目からウロコ、色々な不安も雲散霧消するかもしれない。

 著者は東京大学卒業後、日本を代表する酒造メーカーに入りバリバリ仕事をこなしたあと、30歳でドロップアウト、早すぎる隠居生活に突入したという人物で、20年間、年収100万円という生活を送っているのだとか。

 いや、年収100万とはいっても、それは所有するマンションから入ってくる不労所得なので、実態はほぼ完全なニートといっていい。しかし、それにもかかわらず、その生活模様に惨めさや情けなさは全くない。いやもう、ほんとにこれっぽっちも。

 あるいは本書には書かれていないところで色々な苦労があるのかもしれないが、少なくともこの本から伺われる限りでは実に豊かな生活を送っているというしかない。毎日毎日、満員電車とサービス残業の日々を送るサラリーマン諸氏のなかには、いっそうらやましいと思うひとも少なくないのではないか。

 否。べつだん、窮屈な暮らしをしていないひとにとっても、著者の暮らしには羨むべきものがあるかもしれない。何しろその生活と来たら、

 なにしろいまの僕はといえば――趣味の料理に没頭し、食べたいものをたらふく食べ、好きなコトに明け暮れる毎日。自家製のハーブティーを飲みながら、好みの音楽をBGMに、読書やPCでの調べ物にふける午後のひととき。脳を目一杯開放し、放し飼いのようにして好き勝手に遊ばせる至福の時間。決まった予定は何もないし、眠くなったら床につき、目が覚めたら起きればよい。そのうえ、家は毎週のように、気の置けない友人たちで大賑わい……ここでは常に時間がゆっくりと流れ、過ぎゆく一瞬一瞬を心ゆくまで味わい尽くしながら生きていられるのだ。

 というものなのだから。信じられない? そういうひとはじっさいに本書を読んでみれば一読納得がいくはずだ。著者は徹底的に無駄を削減し、削るべきところを削って、驚くべき生活水準を実現している。

 とはいえ、本書はよくある節約ガイドブックのたぐいではない。著者はあくまでも節約よりも人生の幸せ(というかクオリティ・オブ・ライフ)を重視し、無駄を省きながらもかけるところには贅沢にお金をかけている。

 たとえば料理。食い道楽を自認する著者の作り出すメニューの数々は、ちょっと見、レストランの一品といっても通用しそうだ。

 その名も北インド風バターチキンカレー&自家製ナン、青魚と万能ネギのスパゲッティ、白身魚のカリカリソテーバルサミコソース、椎茸の四川風前菜、エビのチリソース、四川風激辛麻婆豆腐、棒々鶏麺、シチリア風ナスのカポナータ、たこミンチのトマトソーススパゲッティ、海老&卵のタイ風カレー炒め、その他たくさん。

 本書のなかでレシピとともに公開されているビューティフルな品々は、しかし信じられないほど安価なお値段である。そこにはもちろん秘密がある。著者によれば、初期投資を惜しまず購入した機材の数々が想像以上に役立っているのだという。

 たとえば著者が毎朝朝食で食べるヨーグルトは、いちいち購入しているわけではなくヨーグルトメーカーで作っているものだ。ご飯は家庭用精米機で二週間に一度精米したものを炊飯土鍋で炊いているし、ホームベーカリーでパンやピッツァを作り出すことも日常のうち。

 こと食にかんしては、おそらく著者の何倍も稼いでいるひとでもここまで豊かなものを楽しんではいないだろう。もちろんそれなりの手間がかかってはいるのだが、何しろ時間は売るほどあるし、料理することそのものがひとつの趣味であり喜びなのだから問題はない。

 あるいはこういう生活では時間が余り、暇つぶしに困るのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、よく考えてみれば、いまのご時世、安価な娯楽が過剰なほどに存在している。

 著者はそれほど読書に時間をかけていないようだが、本が読みたかったらいまのご時世、ネットで連結した図書館で万巻の書を取り寄せて読めることは皆さんご存知だろう。また、レンタルビデオ(といっても、最近ではDVDやブルーレイだが)も安くなった。

 レンタルで往年の名作から伝説の駄作まで、ありとあらゆる映画を楽しめる昨今、特別お金をかけなくても娯楽には困らないはずだ。

 とにかく「一度やったらやめられないプータロー生活」というのは嘘でも強がりでもないようだ。東大を卒業して一流企業に入社しながらドロップアウト、仙人のようなニート生活に突入というと、よっぽど辛いことでもあったのではないか、と思ってしまいそうだが、そういうわけでもないらしい。

 著者は諸々のリスクに目配せしながらも、いたって楽天的に人生を楽しんでいる。20年前に比べて年収が平均何百万円下がったなどとかまびすしくいわれる昨今である。年間100万円あればここまで豊かに生きていけるとわかれば、ほっとひと安心するひとも少なくないのではないか。

 もちろん、これは持ち部屋があり、かつ扶養家族がいないという条件で初めて成立する生活ではある。万人の参考になるというものではないだろう。しかし、少なくとも「やろうと思えば100万円でも十分豊かに暮らせるのだ」ということはわかる。

 それはひとの心にささやかな安心と希望をともすと思うのだ。そういう意味で本書は救世の一冊である。年収100万円でひとはどこまで豊かに生きられるのか。その答えはここにある。高収入にあこがれる皆さん、東大卒ニートに気楽で幸福な生き方を学ぼう!