壮絶な北海道開拓史 『赤い人』

今回はHONZさんのサイトコラム『おすすめ本レビュー』からご寄稿いただきました。

■壮絶な北海道開拓史 『赤い人』

新装版 赤い人(講談社文庫)

吉村 昭(著)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062772590/erkazm-22/

年末恒例の「今年のベスト・・・」のセレクションがたけなわである。

ちょっと早いが、私が今年復刊されて一番うれしかった『赤い人』を紹介したい。私をノンフィクション好きにしたのは、吉村昭であると言っても過言ではないほど、どの作品も思い出深いが、明治初期の北海道を舞台にしたこの作品は衝撃的だった。

本書は、わずか300頁を少し超えたほどの文庫である。昨今の小説では普通。長編ミステリーとしては薄いぐらいの厚さしかない。

しかしこの重量感はどうだろう。読み始める前と読み合終わったあとでは、手の中にある本が10倍もの重さを持っているように感じないだろうか。

これが吉村昭の作品である。そして醍醐味でもあるといえよう。

『赤い人』は明治維新から10年ほど過ぎた、日本が列強諸国に肩を並べたいと強く思いだした時代から話が始まる。

当時、北海道開発は明治政府にとって急務のひとつであった。幕末の闘いに敗れた幕府軍の武士たちが入植を果たしたものの、その劣悪な自然環境のため、開拓は思うに任せない状態であった。

そこで明治11年、元老院は「全国の罪囚を特定の島嶼に流し総懲地治監とす」という決議を出した。北海道にも集治監設置が決められ、明治維新後の騒乱で東京、宮城の集治監に収容しきれない国事犯や終身懲役囚の中から、体が頑健で建築関係の仕事に器用なものが選ばれて、収監とともに開拓要因として新しく建設される小樽から石狩川の上流、須倍都太へ連行されてきたのだ。

彼らが着せられていた獄衣は柿渋色の単衣。これを称して吉村は「赤い人」と名付けた。

江戸時代まで、日本の罪人たちに対しては、刑罰を処することが中心で、彼らを労働力として使うことは、全く考えられていなかった。しかし欧米の諸事情が明らかになるにつけ、囚人たちを結集して、開拓の著しく困難な場所で働かせることが、非常に有効であることに政府は気づいた。

このとき、一般の移民の募集は続いていたが、気候風土などの障害が多く定着は難しい。また移民への扶助金は国家財政に大きな負担となっていた折である。

最初の囚人たちは、まず、須倍都太という場所まで連行された。最初は自らが住む獄舎の建設からである。

獄舎は樺戸集治監と名付けられ、開拓使本庁から内務省直轄となった。長である典獄にはこの場所を探しだした月形潔が任命された。

彼の名前がそのままに、ここは月形村と名付けられた。

 

季節は春真っ盛り。建設は順調に進み周囲の開墾も著しい。移管された当時、周囲の状況に意気消沈していた囚人たちもこのころから脱獄を企てるようになる。しかし普通なら川を下れば海に出るが、石狩川は曲がりくねり密生した樹木に行き手を阻まれ、結局は獄舎の近くをさまようだけにすぎず、数日後には疲労困憊した姿を発見されるだけに終わった。

北海道の冬は早い。

初夏に収監され比較的順調にその地に馴染んだ囚人や看守も、冬の厳しさに立ち向かわなければならなかった。夏の赤い衣ひとつで足袋も支給されず、その上川が凍ってしまい、物資が届かなくなる。疾病や凍傷だけでなく、樺戸集治監に寄る全員が飢えに苦しめられた。その地を知らない役人たちの決定はあまりにも過酷であった。

やがて時が過ぎ、周囲に他の集治監が建設され、少しずつだが道路の建設も進んでいく。それと同時に脱獄も増え、看守と囚人の間で激しい憎悪が渦巻く。それは明確な殺意となり、感情はエスカレートしていく。過酷な自然状況のなかで生活するうえで、憎悪は生きるためのエネルギーであったのかもしれない。

集治監が廃止されるまでの約40年間に渦巻いた憎悪の記録、それが『赤い人』のすべてである。

吉村昭は、唯一無二、孤高の記録文学作家であると思う。過去の文献を詳細に当たり、事象を繋ぎあげ物語として作り上げた作品は、今ではほとんどノンフィクションと称されるだろう。

実際、吉村の衣鉢を受けてこの分野の作品を書いている作家を思い浮かべても、佐野眞一や立花隆はジャーナリストの延長であるし、柳田邦男や後藤正治などノンフィクションの重鎮たちの作品でも、文学とはいいきれない。沢木耕太郎が目指すもの、高山文彦が試みようとしていることが近いか。いや、今や個人の力ではいかんともしがたい膨大な資料を掘り起こすことができる唯一の機関、NHKこそがあとをつぐべきなのかもしれない。

吉村のように長時間丹念に資料に当たり、現地に飛び多くの人から聞き取り調査をして作品を練り上げることは超人的な仕事である。

『戦艦武蔵』『ふぉん・しいほるとの娘』『関東大震災』など膨大な作品を残しているにもかかわらず、それを人が没頭して読みふけるほどの質に昇華するには、どれほどの努力と才能が必要だろうか。

残念なことではあるが、作家は亡くなると同時に作品も世の中から消えることが多い。吉村昭ですらそうであった。

2006年、惜しくも亡くなり、小説家でもある妻の津村節子が『紅梅』という作品で吉村の最期を伝えたのが唯一の消息となっていた。

しかし2011年3月、東北地方の大震災による大津波が起こる。吉村が1970年に発表した『三陸海岸大津波』の文章がそのまま映像となって我々の目に飛び込んできた。

吉村昭はすごい。だれともなくそれは伝播し過去の作品が掘り起こされて再刊に及んだ事は大変喜ばしい。

日本という国がかつて辿った苦難を、誠実に掘り起し物語とした吉村昭の作品は若い世代に読み継いでもらいたいと切に願っている。

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吉村昭に興味を持ったら

戦艦武蔵 (新潮文庫) [文庫]

吉村 昭(著)

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あまりにも作品数が多いので、代表作は個人の好みになってしまうが、私が筆頭にあげたいのはこの作品。不沈の戦艦「武蔵」の建造から終焉までを血のにじむ思いで取材されただろうと思う。

三陸海岸大津波 (文春文庫)

吉村 昭(著)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167169401/erkazm-22/

悲しいことに、本書が吉村昭を改めて注目させることになってしまった。

漂流 (新潮文庫)

吉村 昭(著)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410111708X/erkazm-22/

吉村昭で一番好きな作品は?と聞かれれば、やはりこれだろうか?

執筆: この記事はHONZさんのサイトコラム『おすすめ本レビュー』からご寄稿いただきました。

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