駒村圭吾慶應義塾大学法学部教授
山尾志桜里衆院議員
駒村教授は恐るべき学者で、
安保法制についてこのように述べている。
駒村教授は恐るべき学者で、安保法制についてこのように
述べている。
「安保法制とそれをめぐる議論を憲法学者が『違憲』と
見ているのは、九条に反する違憲行為であるという意味と、
憲法を尊重し擁護する姿勢に欠け、さらにそれを毀損する
言動を繰り返すという反立憲的な態度を政権与党が
取り続けているという意味の二種がある。」
さらにこうも言う。
「未完である“九条の環”を完結させるには、
憲法改正あるいはそれに匹敵する熟議が不可欠であり、
それを伴わない“戦後レジームからの脱却”は白昼夢に
終わるだろう。」
「立憲的改憲」を国民運動に
広げようという
ゴー宣道場の挑戦が、
いよいよ始動します!
記入項目は…
タイムシフトや動画で後日
ご感想をお寄せください。
コメント
コメントを書く男性 48歳 長崎県
1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか?
現在、与党が打ち出している改憲案の可謬を詳らかにし、有効な対案を現状を見据えた上で打ち出していく上に置いて、
専門家としての忌憚のない御意見を、憲法学者である駒村圭吾先生に学びたいと思ったことと、
山尾志桜里議員、倉持麟太郎弁護士の立憲的改憲案へ向けての進捗状況を聞きたいと思ったからです。
2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください
① 第1部について
駒村圭吾先生の「おぼっちゃまくん」「びんぼっちゃま」を例に挙げた民主主義の問題点、自民党「加憲」案の矛盾点・そしてその危うさについての話は分かりやすく、
為になりました。
また、安倍晋三内閣の2015年の政府見解でも取り上げられた、1972年の田中角栄内閣における(1)憲法は必要な自衛の措置を禁じていない
(2)外国の武力攻撃によって急迫、不正の事態に対処し、国民の権利を守るためのやむを得ない措置は必要最小限度にとどまる――との基本的論理を示し、
「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」と結論づけた政府見解については、不勉強なところもあったので改めて確認させて戴きました。
また砂川判決についての話も興味深かったです。
② 第2部について
山尾志桜里議員が現在進めている立憲的改憲について、立憲民主党の代表である枝野幸男議員は、今後どう考えて行かれるつもりなのか、
小林よしのり先生の話でも出てきましたが、このまま支持者である護憲派に阿ってしまうのか、或いは自らが立憲民主党を立ち上げるにあたって、
自らの軸とされた理念・思想にもう一度立ち返るのか、それに注目する上で、5月がどうなるのか今から楽しみです。
また、「台湾論」の時の話を出されて、台湾でもしも有事が起こった場合、現憲法による自衛権の縛りだとどうなるのか、
また、自民党の加憲案が通ってしまった場合での自衛権の縛りだとどうなるのか、立憲的改憲案が通った時はどうなるのか、
リアルな想定が出来るお話でした。
③ 全体的な感想
憲法を、権力を縛る法規として改めて位置付けることこそ、本当の「護憲」ではないのか。
憲法の「文字」を護らずに、「価値」を護って行こう、という山尾議員の提言が響きました。
自衛隊が「戦力」なのか「実力組織」なのか、ということも、文字に捉われたお為ごかしでしかなく、
諸外国からすれば、自衛隊は軍隊であり、戦力であること、
しかし、実情として軍隊と呼ぶには制約が多過ぎるし、他国の軍であれば当たり前にあるような取り決め(「軍法会議」など)も不十分、
その状態で、名前だけが憲法に記されてしまった場合の恐ろしさ、ということを、もっと広く考えていかなければならないと思うし、
マスコミも取り扱って欲しい問題だと痛切に感じました。
④ 今後「道場」や「ネット道場(動画)」で取り上げて欲しいテーマ(企画)があればご記入ください
現在「ゴー宣」及び「ゴー宣道場」で扱っている喫緊のテーマ「皇統の安定的継承」「憲法改正」については引き続き扱っていって欲しいですし、
そのテーマを深化させていく為に、扱わなければならないようなテーマが出てくれば、扱って欲しいです。
男尊女卑や、「八つ墓村」的な因習からくる弊害も、そのテーマに入るのかなと考えます。
男性 20代 派遣社員
書けるところだけですが
第一部
憲法学者である駒村氏から貧ぼっちゃまの名が出るとは意外
彼は決め台詞で「落ちぶれてスマン」と言ってはいるが、尻丸出しの後ろ半分を決して恥じてはいない
しかしそれはどんなに落ちぶれても元上流階級としての誇り(埃)を強く持っているからで、
ただ開き直っているだけの者らとは一線を画すものだった
尻の割れ目を葉っぱで隠すみっともなさより、その恥ずかしさを跳ね返す本当の意味での埃が欲しいです
第二部
山尾氏の「選択肢の中に本当に正しい選択を入れたい」は重要
大事なのは正しい選択をすることで、それにはまず3択4択の中にそれを入れなければならない
「加憲」にしろ「皇籍取得」にしろ選択肢には入っているのだから(本当は選択肢に入れるか否かの選択肢で撥ねられるべきだが)まずはそこに並ぶこと
そうすることで選ぶ側も初めて正しい選択ができるのですから
同情開始直前に護憲宣言をした枝野党首。真意ある言葉か?言葉の通りの脱落宣言か?
5月の登場を待たずに結果が出るようなことは避けて欲しいものです(良い結果なら早くても良いです
男性 30代 埼玉県 会社員
駒村圭吾教授は学者さんなのでお話が分かりづらいかと思っていましたが貧坊ちゃまを話の入り口に持ってこられ、思いのほか分かりやすかったです。あと戦争はやるなら勝たなければならないという意見には驚きました。当然の話ではあるのですが、リアリズムを持った理論を話される方だなと思いました。
私はアメリカの侵略戦争に加担せず平和を維持するために国家をきちんと憲法で縛るべきであると思っています。そのためにも集団的自衛権は持つべきではないと考えています。一方で北朝鮮や中国からの脅威から国を守るために自衛隊をちゃんとした軍隊にすべきであるとも考えています。そしてそのための憲法改正はするべきだと単純に思っていました。この二つは矛盾しないし多くの国民からもこれならば支持を得られるだろうと思っていましたが、これがかなり難しいという事を今回改めて知りました。立憲民主党は自衛隊を軍隊にすることには反対でその為、改正に関しても慎重なのですね。駒村教授は自衛隊を変えたら韓国や中国が反発すると指摘されてましたが確かにその通りですし、今まで戦後日本が積み上げてきた自衛隊の在り方を変えるということはいろいろな方面から反発を受けるという事に対して想像力が欠如していたことに気づかされました。左側は日本が軍隊を持つとまた侵略戦争をはじめると言い出すでしょうが、そもそもアメリカをはじめとする欧米諸国が侵略戦争を仕掛けてきたのであって決して日本国民が好戦的な国民性を持っている訳ではないという認識が私は正しいと思いますが、多くの人はそうは考えないのですね。しかもこの考え方はアメリカが今度は反発するでしょうしなかなか難しいなと思いました。
そう考えるとマキャベリみたいに馬鹿な国民は放っておいて一部の分かってる政治家が国民や他の政治家を騙してでもやるしかないのかなと一瞬思いましたがそれも違うかなと。生前退位の問題でゴー宣道場が勝利を収めたのは正しい論理に基づいた代案を政府に先んじて出したからに他ならないと思います。そう考えると政治的な駆け引きと正しい論理の両方が求められるのではないか、論理的に正しい思想を国民に伝えつつ妥協できるとこは妥協していくのがいいのかなと思いました。
とは言え山尾志桜里議員は迷っておられるようでしたが、自衛隊を軍隊にすることに関しては絶対に妥協すべきではないと思います。逆にここを言うことで今度は右側を取り込むことができるはずです。自衛隊を軍隊にすることは右側の悲願であり北朝鮮や中国の脅威が迫っている今、安倍晋三の改憲案が欺瞞ということは論理的に考えればわかることですし多くの国民は分かるはずです。
立憲的改憲論は普通の国を作るものであって左側や立憲民主党だけでなくネトウヨや自称保守といった右側と自民党内部からもすなわち国民全体から支持を得なければならないのではないでしょうか。
道場で質問が出来な方ので、こちらに書かせていただきます。
私は、アメリカの侵略戦争に加担したくないと考えていますし、ましてや、地球の裏側まで自衛隊が行くことにも反対です。そのための方法として、憲法で集団的自衛権に制限をかけることが有効なのであれば賛成です。
しかし、駒村先生がおっしゃられていたとおり、万が一、戦争をやる場合には勝たなければならないと思います。
また、憲法9条のような戦力制限規定が、他の憲法の条項と異なるのは、憲法9条においては、「権力」と「国民」の二者だけでなく、「敵国」という第三者を想定しなくてはならない点だと思います。
「敵国」と、万が一、戦争をする場合には必ず勝たなくてはならないと思います。
敵に必ず勝たなくてはならないことを想定した場合に、集団的自衛権を行使しないといった「戦力制限規範」は有効なものなのでしょうか。敵に勝たなくてはならなくなれば、結局は解釈改憲を行って、憲法で制限された戦力や自衛権を解除せざるを得ないのでしょうか。
検閲や拷問の禁止といった、「権力」と「国民」との関係であれば、解釈改憲で検閲や拷問を可能にすることは、国民も許さないと思います。しかし、自衛権の問題については、敵国が存在する以上、結局は、敵国に勝つためという必要性のために、国民としても解釈改憲を容認せざるをえなくなってしまうのではないでしょうか。
私としては、憲法9条のような戦力制限規範は、どれだけ制限をかけても、敵国の戦力や国際情勢が変わった場合には、解釈会見で対応せざるを得ない状況に陥ってしまうのではないかと思います(現状のように、憲法改正に高いハードルが存在している場合には。)。
憲法9条のような戦力制限規範が、憲法の条項に存在していること自体が、解釈改憲の呼び水となり、立憲主義が形骸化する温床になってしまうのではないでしょうか。
この点について、駒村先生に質問してみたいと思いました。
私としては、戦力を制限する規範は、憲法から削除し、どのような戦力をもつか、どのような戦争に参戦すべきか、集団的自衛権を行使すべき状況にあるか否かは、全て国会の議論と法律に委ねるべきではないかと考えています。
駒村先生の貧ぼっちゃまの話を聞いて、貧ぼっちゃまは、隠し立てをしないのに、安倍晋三は、正当性を得たいと欺瞞でもって覆い隠そうとしています。このように、今回のゴー宣道場は、新堕落論に、いちいち共通性を感じてしまいました。貧ぼっちゃまは、新堕落論の象徴になりそうです。
駒村先生の砂川事件判決の話は、流石、専門家だけあって解りやすかったです。これで全て解ったとは思いません。
違憲、合憲についての考えで、専門性を伺えて良かったです。
集団的自衛権での問題は、日本の近隣国との間についてです。自衛権に、個別的、集団的自衛権が含まれていながら、集団的自衛権を立憲で縛るとなると、国際的信義の問題が発生します。こうした非難を受ける覚悟が要ると思いました。集団的自衛権を封印するには、永世中立国の立場が必要と考えます。永世中立国は国際的に認知が要るとの事です。これは難しいです。素人考えでも無理かと思います。永世中立国の認知が無くても、集団的自衛権の封印は続けられるのでしょうか?国際的非難を受けて、個別的自衛権の憲法を守り続けるのは可能でしょうか?また、個別的自衛権を発動する段階で、集団的自衛権が必要になる状況も有ると思います。この峻別は、如何にするのか御聞きしたいです。
主権無き事実上の占領国から、独立国になるのは相当の覚悟の要ります。
中国、ロシアとの戦争は危険です。規定しておかなければ、大変な事になります。安倍晋三は、本当に軽薄です。己の加憲後の始末と影響を全然考えていません。
自衛権と自衛隊は違い、不二一体であることを忘れてはならないと思いました。
枝野幸男氏は、堕落して、一念発起しないと安倍晋三と同類になります。立憲民主党の護憲固執を断たないと、真の支持に応える事にはなりません。自信を持ってもらいたいです。
よしりん先生の政治家への直接的働きかけ(枝野氏脅迫???は)一般国民には不可能です。有り難く思います。板挟みの枝野氏は、苦慮して大変でしょうが、引き篭もるより、今は、絶対に撃って出るべき時です。
質問に答えられた駒村先生の話から、政治の拠り所は、国民主権者と政治家で有り、両者が、しっかりしなければ、何もかも崩壊すると釘をさされた感じです。漫画家の仕事は、漫画を書く事、学者の仕事は、学問を研究する事です。その成果で社会に貢献するしかなく、他は関連努力です。言い方は悪いものの、政治の外に置かれた国民による悪あがきの手助けなのですね。堕落の不足していました。先生達に政治的危機解決を御願いしていたのは反省しなければなりません。
仰るように、悪あがきでも何が起こるか分からないので粉塵努力しかないです。それにしても、余りにも常識と、少数意見をないがしろにする政権です。
ゴー宣道場は、国民のよすがで無く、国民が自身で立つべき起点でしかないと思いました。つまり、やるべき者が、やらなければ無意味です。
行政による司法介入はもとより、行政による大学、報道介入は到っており、両者の社会的効用は破壊されていると、駒村先生の現場の声を聞かされました。理解していながら、理解を拒否していた部分が有ります。堕落が足りませんでした。日本の法治は半ば人治独裁に変わっており、早く、立憲主義を回復しないと未来は有りません。
いくら影響力が、よしりん先生や、学者に有っても、国民が、その呼びかけに振り向きもせず、理解出来無いばかりか、誤解して考えず、更に自身存在の根本を心得なければ、真っ当な議論どころか、正論に行き着くはずも有りません。全ては画餅に帰します。こうなるように、社会制度が、そうなっているのです。
政治家ばかりか、国民が虚栄に安閑としていると、立憲も、その運用も機能しないのです。
性別 男 年齢 37 お住まい 神奈川県 職業 職人
1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか?
平和とは天国とか浄土のような高度な次元のものではない。
平和維持のためには、人脂のべっとりつくような手練手管、
時には犯罪まがいの脅しも必要になる。
そんなことを司馬遼太郎が書いていたような・・・
さあ平和維持のために立憲的改憲ではどのようなことをやろうというのでしょうか?
2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください
① 第1部について
とにかく「やべぇなぁ・・・」というのが正直な感想です。
護憲派が聖典・コーランのように扱っている9条というのがそもそもここまでグレーなものだと、
駒村教授の言葉をお借り頂けるなら、後ろ半分丸裸の貧ぼっちゃまだと。しかし、貧ぼっちゃまのような恥じらい或いは自覚がないと。
ここまでやべぇのか・・・と。
そして例え誤魔化しという砂の上の楼閣だったにせよ、それで70年以上やってきただけに、
それを崩したら崩したで、さらに様々なアフターケアがいると。
こりゃやべぇなぁ・・・と。
つまりは、改憲とは9条一つとってもこれだけ途轍もない、途方もない大事業だと。
相当な根気と覚悟が要って、もっともっと議論の場や啓蒙が要るのではないかと、
こりゃやべぇんじゃないか・・・と。
(今回の話聞いたら、安倍改憲なんてマジでナメているとしか思えない)
で、今までずっと曖昧あやふや、うやむやナアナアにしてきた[戦力]。
そりゃ漫画みたく日本全土をカバーする絶対防御バリアみたいなものでも持ち出してこなければ、
いつか必ず誤魔化しきれなくなってくる、無理が出てくるのは当然、自明の理。
しかし、その現実にしっかり向き合い、向き合わせていかなければならない。
白黒はっきりさせないと先に進まない。
一切誤魔化さずにはっきりとさせることで、何が足りないのか、何が必要なのかが明確となり、
現実的に具体的にどう手を打っていけばいいか、
貧ぼっちゃまはどうすればまともな服装ができるのかという段階に進められるというわけで、
(パッと見キマっているように見えて、実はめちゃくちゃ無防備な貧ぼっちゃまとは、
他に考えつかないくらい絶妙な例えだと、心底唸らされました。)
そういう議論の段階に進むためにはどうやったらいいか?
戦後70年でここまで伏魔殿みたくなっているとなると、やべぇ難題になりそうだなあ・・・と。
(←ただ、『新・堕落論』を拝読しましたが、堕落からの覚醒こそが健全ですが、
堕落の果てに・・・なんてこともあるのでしょうか?なんて思ったり)
だからってやべぇやべぇで怖じ気づいていたら、安倍政権の思うがままにされてしまうわけで、
それが一番やべぇことには変わらないわけで、
一歩ずつでも前進していくしかない、やるしかない、立ち止まるわけにはいかない。
そう思ったら一発目の今回でここまで本質論的に問題が示されたのは、
今後の議論の質の高さを、立憲的改憲の質の高さを保証するということで、成功と言っていいものと思います。とりあえずは。
大変に思えることでも、とりあえず問題提起された。議論の俎上に乗っかった。
これ即ち解決への第一歩と考えれば、やってやれないことでもないのではないか、みたいな。
安倍改憲をまな板に乗っけて、日本の、日本人の精神の丸裸のところを指摘し、問題提起し、追及していけば・・・とか。
そうすると、これはやべぇほど面白い展開になってきそうで。
問題をクリアしていく喜び、新しいものを発見していく歓び、
形而上にあるものを形而下に具現する悦び、
仕事であれ、趣味的なものであれ、創造するということ、何かを前に進めようとすることは、
人が人間となる根源的で本能的な欲望であり、それ即ち人間の実存となるわけで、
トテカンカンなんて聴こえてこなくなるわけです。
私も研究者ですから、この何モノにも勝るこの快感をゴー宣道場で見ていくことになっていくという予感・期待を持たせて頂いたことは、
この上ない慶び!やべぇぜ!
まあこんな感じです。まだありますが、もういい加減にします。
第2部以降は、これから視聴します。
再度、考え足らずのコメントを御容赦願いたく思います。時間の有りません。
集団的自衛権は、他国と干渉する以上、法運用、解釈で、その場に応じて事態に対処するしか無く、侵略加担の憂いと共に、立憲的縛りは用をなさなくなる点で、集団的自衛権に否定なのは、ライジングコメントで表明しました。
集団的自衛権に永世中立国の立場が必要か?と、こだわって見ましたが、現憲法で戦力(自衛権)を取り上げられた時点で、日本は中立国の立場にならざる負えず、そのまま続いてきました。そして、立憲的改憲で、戦力を保持し、個別的自衛権を充実させ、集団的自衛権を封印するのは、日本が、事実上、主体的に永世中立国であると宣言する事になります。
これにまつわる論考を待ち、かつ考えます。
まずは、安倍晋三の軽薄無責任に、国家、国民、自衛官の命を弄ぶ改憲案を抑えられるかです。この為の、議論をぶつけて頂いておられる努力を支持しております。
こぴゃる 女 京都府 33歳
動画で視聴しました。
駒村教授のお話、まさか貧ぼっちゃまを手掛かりに、憲法のお話を始めるとはとても以外でしたが、お話に引き込まれました。
そこから一気に難易度が上がり、「会場の皆さんが見ているテキストがほしい!」と思いながら、砂川判決について聞きました。
一番の要点とおっしゃっていた、「政治性が極めて高く最高裁で法的判断ができないものは、内閣、国会に第一次的に判断を委ね、さらには国民の政治的批判に委ねられる。」という部分、初めて知り、重要な部分だと思いますが、同時に不安もよぎりました。
今後このような事件が起こった時、私も含めた堕落した国民に、政治に対して当事者意識の薄い国民に、まともな政治的批判ができるのか、しっかり考える姿勢をとれるのか。
現在進行中の憲法問題においても、最終的に国民投票なのだから、まさに国民がどんな態度を取るか試されるのだと緊張しました。
2部の質問前の駒村教授と木蘭さんのお話も、印象的でした。
日本史上初めての改憲議論にも関わらず盛り上がらない理由、メディアと大学の言論の自由における役割とその現状についてと、安倍政権がメディアを通して行っている、感情で揺さぶって深く思考させない作戦について、本当にその通りになっていますね。
改憲議論がスタートしてることすら国民はよく知らないまま、ゴール(国民投票)直前で「さぁどっちにする?」と国民を驚かせて慌てさせて、なんてことだけには、それが安倍政権の狙いなのでしょうが、絶対にしてはならないと思いました。
② 第2部について
まずは山尾議員の決意のほど。その魅力を振り撒いて応援したいという気にさせてくれるんだから、敵いません。
新しいものというのは、どんなものでもいきなり人々に受け入れられるというのは、難しいというのは私も身に染みて分かります。
私は或る研究者で、新しいものを追究し過ぎて、誰もついてこれなくなって、異端扱いされてます。
『新・堕落論』のテレビやスマホの話みたいに(まだ私は二周目ですが)。
便利で手放せないですが、SNSで誰かと繋がるとか、そんな新しさには私も全然ピンとこないです。
よしりん先生も同じかと思ってちょっと安心(話がズレてきましたか)。
しかし、要領の悪い浮世離れした私ごときの酔狂とは違って(一応、日本の未来のための研究ですが)、
山尾議員の立憲的改憲は今まさに日本に必要とされているもの。
最初こそ拒絶反応があったって、絶対支持は得られるはず。
というか、支持を得られるようなものをしっかり作っているはずでしょう。
具体的にどういうものなのか、まずは見てみないと先に進まないのですけれども・・・。
よしりん先生の熱弁も本当に説得力と真実味に溢れたもので、
成程!こういう感じで安倍改憲の危険性と立憲的改憲の必要性重要性を語っていけばいいのか!と、
大変参考になりました。
そして駒村教授の[主権を有する国民の政治的批判]の砦としての大学とメディア、
その役割とその萎縮、衰退、凋落についてのお話し、
非常に興味深い話を頂戴しました。
貧ぼっちゃまなんて一見型破りながらも絶妙なことを言うと思えば、
やっぱり学者らしくしゃちほこばってしまうようなことも繰り出してくる。
なるほど笹先生がノックアウトされるほどのモノはある、みたいな。
安保法案の時の長谷部教授の一言で風穴が空けられた、という話は学者という存在における一つの希望か!面白いです!
一人目の質問者に対する回答、ちょっとネット視聴だと聞き取りにくかったのが残念でした。
かなり重要な話に聞こえましたが?
今後の戦略についてあれこれ仰ってましたが、
結局は山尾議員の立憲的改憲案がどれだけのものかが鍵だと思います。
護憲と安倍改憲の間にねじ込んで、どれだけセンセーションを巻き起こすか。巻き起こせるものになっているか。
影響力ある著名人たちをどれだけ味方につけられるか?
(生憎、私にはそういう知り合いはいませんが)
国会が安倍改憲なんてそっちのけで、この立憲的改憲で連日議論百出、侃々諤々、喧喧囂囂となるほどになれば、
話題性十分、毎日報道されることにもなり、市井でもそこかしこで話し合われるようになる。
だって憲法はすべての国民が当事者となりうるわけですから。
今後の議論でそういうところを詰めていけたらいいのではないでしょうか。
慎重になるのは分かりますが、そろそろ議論できる形にして提示して頂きたいなあ。
でないと、私も考えようがないですから(催促しているみたいで恐縮ですが)。
枝野代表がやって来るかどうかではないと思います。
僭越ながら申し上げますが、そういうのは私の好みではないです。惰性、堕落した考え方に思えてしまいます。面白くない。
「俺にも一言言わせろ!」「一席ぶたせろ!」「立憲民主党代表のこの俺をほったらかすとか、そんなわけねぇだろが!」
と枝野代表がたまらなくなってしまうくらいのものをこしらえましょうや、といきたいものです。
そこのところ、もっと攻撃的に、それこそ凶暴にグイグイガンガン攻めていって頂きたく思います。
枝野代表を巻き込めないようなもので、どうやって世間に立憲的改憲旋風を巻き起こすってんだい!みたいな。
何かを新しく創り出すためには、持てる知恵と知識を総動員すること、
即ちアイデア・発明とはその人の人生経験・蘊蓄の結晶。議論するなら幾人分の。
これ程の知的活動はないわけで、果たして山尾議員とゴー宣道場はどこまでやってしまうのか?
私の研究も、言わばルール・法則作りですみたいなものですから、
立憲的改憲議論は私のその本領とすごく似たがあるものでして、
無限に書けそうだぜって勢いでついつい躁状態みたくなってしまいましたから、
そろそろ終わりにします。確定申告あるし(なんちゃって)。
③ 全体的な感想
議論についてはもう十分書いたと思いますし、
敢えて、議論とは全く関係ないことを、恐縮ながら書かせて頂けるなら、
笹先生が「関東圏外からお越しになった方ってどれくらいいますか?」と、聞いていますが、
僭越ながら申し上げさせて頂けるなら、
もうちょっと、踏み込んで頂きたいなあと。もどかしい、歯がゆいなあと。
「うちの方で道場開催してくれたらいいのになあ、と思っている方は?」
「カレーせんべいさんの地方道場開催に関心のある方は?」
あまりあざといのは流石にやりにくいでしょうけれども、
笹先生ならポーカーフェイスでもっと巧妙に誘導したりできたりとか?なんて。
④ 今後「道場」や「ネット道場(動画)」で取り上げて欲しいテーマ(企画)があればご記入ください
前回の道場を視まして、色々質問してみたいことがあったのですが、
何せ視聴したのが一月半ば過ぎで、遅すぎと思いましたので、
今回、ここに書き出しておくことにしました。ご了承よろしくお願いします。
何らかの形で回答が示されたら、身に余る光栄すぎて昇天しちゃうかもですが。
前回の第2部冒頭で、高森先生が仰っていた皇室会議の件についてですが、
例えば今回宮内庁長官の代わりに菅官房長官が入り込んできたみたいな、
あってはならない不備があった場合、
その会議の内容は憲法裁判所の裁量で無効になるとか、
当事者である皇族の方には拒否権行使が認められるとか、
ああいうことが起きないようにどうにかできないものなのでしょうか?
モリ・カケ問題のようなものを起こさせないために例えばどのような手を打てるのか?
安倍明恵夫人や加計孝太郎氏を憲法裁判所の権限で証人喚問できるようにするとか?
内閣不信任も憲法裁判所の権限で、みたいなこともできるように?
モリ・カケ問題なんて、権力の暴走の身近ないい例なのですから、
これを見事に料理してしまえば支持が増えるのではと思いますが、いかがでしょうか?
安倍政権のように、権力の側からメディアへ何らかの働きかけ、会食とか、そういうのをできないようにとかは?
メディア側からすり寄ってくる権威主義としての政治体制はともかく、
権力の側に一定の配慮というか、そういうのは憲法でどうにかできないものなのでしょうか?
憲法には罰則規定はないということですが、
例えば政権が違憲の状態であるなら、それが解消されないうちは、
例えば法案を国会に提出とかできなくなる、みたいなことはできないのでしょうか?
例えば共謀罪は違憲であると、憲法裁判所の判決が出て、
それが廃案にならないうちは、それに賛成票を投じた議員は資格を一時停止みたいな。
違憲の状態だと、内閣も権力の行使に制限、或いは剥奪みたいな。
ただそうなると停止された権力はどこの誰がその権限を握ることになるのか?
ということにもなってきますか?
男性 50代 神奈川県 会社員
Ⅰ.視聴の目的について
小林先生のファンだから。加えて、憲法について、どのような事態が起こっているのか考えておきたいからです。自分も猿のまま手を拱いているわけには参らないと思っております。
Ⅱ.感想
1.第一部
砂川判決が、実は(不完全ながらも)民主主義のルールを追認しているのだ、という点が明確でわかりやすかったです。貧ぼっちゃまのたとえも。同時にその中に潜む日本のかなしい現実と、矛盾点に関しても、西部邁氏が「属国に生まれ、属国に生き、属国に死んだ」無念さとタイアップして感じられました。山尾志桜里議員の、自衛権・交戦権解釈についても、細かいことだけれども、苦労をされているのかと知り、つくづくこの辻褄の合わないことだらけの世界に、暗澹たる気持ちになりました。まけても良いいくさはないですし、あとの方の内容とも重なりますが、負け方も大切だと思います。特攻で散っていった人たちも、後のことを考えて行動したのに、私たちがそれを生かしてゆけないのでは、死んでも浮かばれないと思うのです(ライジングコメント欄への西部さんへの追悼の言葉も、そのような気持ちで記しました。)
2.第二部
山尾志桜里議員危懼されるように、あれでは安倍加憲案が中道で、ほかが極論に見えてしまいます。枝野さんが先生に嘘をついていないか否か、5月3日が気になります。「台湾論」の話が出てきたのは少し意外でした。そこまで考えていなかったからです。でも、むべなるかな、です。人治主義ではなく、立憲主義でないと、支那の中華思想の二の舞になってしまうと思いました。鼓腹撃壌は、ギリシャのアテネの衆愚政治につながりかねないと思います。まづは考えないといけないのでは。我思う、故に我あり、とデカルトもおっしゃっております。「ニュース女子」の話ともつながりますが、さうさう何度も改憲できるものではないし、次があったとしても、現状が一般大衆の間でもまるで盛り上がっていないように、それ以上に活動的ではなくなると予想できます。
駒村先生が、私立大学の学問の独立のことまで触れられたことに、非常に感銘を受けました。
3.全体
繰り返しになりますが、かりにまけてしまったとしても負け方もあるでしょうし、それ以上にまけられない合戦だと思いました。日本人が自身で憲法をつくる、という一大事をもっと真剣に、身近なものとして私たちは受け止めてゆかないと。真田丸のようになってはならないです。先にあげたことと矛盾するかも知れませんが、護憲を唱える人も、立憲的改憲論の結果が気にいらなかったら、その後で「立憲的に」出してみれば良いのです。その中に良いものがあれば、おのづと受け入れられて、選挙改憲のようにもなるかも知れないです。
倉持先生の、政府による蚊取り線香の例えはわかりやすかったです。こんなのに騙されてはいけないです。漫才の人たちも、自分らの発言が世の中をかえるかも知れぬという自覚を持って発言して欲しいです。安倍の食事会などキャンセルするか、ただ飯位に思えばいいではありますまいか。ペンは剣よりも強し、です。
ウーマン何とかという人は、自分の所業が廻りから笑われている、という恐怖感を感じたことはないのでしょうか(漫才のネタ、ということではなしに)。
4.今後とりあげて欲しいテーマなど
毎回記していることなので、省略します。新しいことをつけ加えるとするならば、漫画やアニメや藝術が歴史や社会に及ぼしてきた影響とか、男女問題や文学のことなども、もう一度掘り下げてみて欲しいです。
以上、つたない文面ですみませんでした。