「高野論説」――「日本の“モノづくり”精神の大元はどこか?」激しく同意しながら拝読。とりわけ「稲作と漁撈を中心とする日本型は、耕地の42%が中山間地にあって、そこでの里山的な森と田畑との循環的な生活技術とそれを担う家族労働 集約的な小規模農家こそが主体と位置づけられるべきである」とのご指摘は、昨今安直な「農業ビジネス論」がマスコミに横溢するなかで(榊原英資氏の『大不 況で世界はこう変わる!』の農業論も残念ながらそうでしたね)、さすがThe Journal!さすが高野塾長!と、膝を打った次第。

 ただ一点、「日本の農業自体もまた他の先進国と同様、輸出産業へと転換することが出来るだろう」との説には「(食料、農産物の場合)無前提に輸出=善としてよいか」との疑問が残った。

 高野さんのいう「家族労働集約的な小規模農家」1億5000万人で構成される世界組織「ビア・カンペシーナ」(「百姓の道」、本部ホンジュラス、 92年設立)は「いかなる国家と人民も彼ら自身の農業を定義する権利を持っている」とする「食料主権」を掲げ、その考え方は、新自由主義と対米従属からの 脱却をすすめるエクアドル、ニカラグア、ベネズエラなどでは新憲法にも盛り込まれるようになっている。政治思想家の関曠野氏はこの食料主権について「農産物を単なる商品として流通させる貿易自由化や現地の自作農の存続を困難にする食料援助などは主権の侵害となろう。さらにこれは食料に関連して国土や食文化 の在り方にも及ぶ自分独自の生活様式を選び守る権利」であると述べている(『自給再考 グローバリゼーションの次は何か』)。要するに国家、地域、家族、 個人レベルでも、食料は「自給」を第一義的に追求すべきであり、その妨げとなるような輸出入や援助はすべきではないという原則である。いま日本の農家は、 たとえば汚染米事件を引き起こしたミニマム・アクセス米のような農産物輸入による価格下落に苦しんでいるけれど、たとえ立場が逆転したとして、輸出で他国 の農家を苦しめてよいはずはない。

 ビア・カンペシーナがそうであるように、世界の「家族労働集約的な小規模農家」は競争ではなく共生・共存をめざし、さまざまな交流活動を行なっているが、わが日本でも、90年代から全国の農山村で自然発生的に立ち上がった「農産物直売所」が国際的な注目を集め、JICAなどを介して交流がすすんでいる。

 たとえば長野県伊那市に年間8億円を売り上げるグリーンファームという直売所がある。