名前:海江田万里(かいえだ・ばんり)
政党:民主党衆議院議員
選挙区:東京1区
生年月日:1949年2月26日
血液型:AB型
座右の銘:人生意気に感ず(じんせいいきにかんず)
趣味:映画、漢文、漢詩
好きな食べ物:羊のしゃぶしゃぶ
お気に入りの店:ユニクロ、GAP
ホームページ:http://kaiedabanri.jp/
Q1:なぜ政治家になったのですか?
私の父親は新聞社の政治記者でした。幼少時代から政治が身近にあり、子どもの頃は政治家になりたいなと思っていました。ところが大学に入るとちょうど大学紛争の時で、「議会制民主主義は虚構だ」なんてことを言ってたものですから、政治家とは距離を置いて生きようかと思っていました。
しかし1993年細川政権が出来る前の宮沢内閣の頃、自民党の小沢一郎さんたちが不信任案に賛成して、自民党が割れた時、政治が変わると思いました。政治が変わるなら自分も一つかけてみようという気持ちになりました。
中国の詩人であり政治家でもある魏徴(ぎちょう)が作った「人生意気に感ず、 功名誰かまた論ぜん」という一節がその時頭に浮かびました。 「人生意気に感ず」 ...よし、やる気になった時にやってみて、うまくいくかどうかは後からついてくる。そう思いました。
そしていよいよ解散になり、総選挙まで1ヶ月というところで立候補しようと決意しました。その時京都で講演があったので新幹線でラジオをずっと聞いていました。覚えてますよ今でも。京都に着いてから友達に「おれは政治家になろうと思っているんだ」と言っていました。
Q2:政治家になる前はどのような仕事や活動をしていましたか?
経済評論家としてテレビやラジオに出演してました。いい言葉じゃないですけど「売れっ子」でしたかね。忙しかったです。それも10年ほどやって、収入は良かったのですがお金ではなく何かやろうと思った時が変わり目でした。
Q3:どのような政策にいちばん力を入れていますか?
今はまだ政権交代して間もないですから、マニフェストで約束したこと、何と言っても「官僚との戦い」が一番大きい要素になっていますが次のステップを準備している所です。
「成長戦略がない」と批判されることがあります。もしその「成長」が旧来の言葉として使われているのであれば、成長戦略はなくてもいいと思います。しかし社会保障を充実する時の財源について、無駄遣いの削減から作っていくというのはどうでしょうか。もちろん削減はすべきなのですが、将来お金持ちや儲かっている企業から高い税金をとって充てるようなことがあれば、どこかで行き詰まってしまうと思います。 日本の企業や国民がちゃんと稼げるような仕組み作りをしなければいけないと思い、今まとめているところです。成長に置き換わる言葉を探しているのですが、いい言葉が浮かばないんです。
Q4:地元(東京)の問題と対策は?
東京1区は千代田区、港区、新宿区で、大きなビルをイメージしたりすると思います。私は選挙期間中に路地裏を相当歩きました。1,800ぐらいのスポットで演説しましたが、そこでは有権者、地元の人に悲鳴にも似た言葉を聞きました。まずは地元の人の声である年金や社会保障にのとりかからなければいけません。
それと同時に、東京はこのままでいいのかという気もしています。民主党の政策は「コンクリートから人へ」と言うのですが、それはその通りなのですが、都心部のビルが環境に優しいビルになっているのでしょうか。2025年温室効果ガス25%削減という目標があります。その時に地球環境に優しい住まいのあり方はやらなきゃいけません。東京は直下型の地震が起こるのか、震災対策も必要です。かなり遅れているんじゃないでしょうか。そういう意味で、お年寄りが住み子どもが元気に遊べ、震災に強く環境に優しい町づくりをぜひやりたいですね。
Q5:日本をどのような国にしたいですか?
都心で安心して生活できて、環境に優しく、次の世代にバトンタッチできるような、そういう都心作りをしたいですね。「緑の東京革命」じゃないですが、都市をもう一度リフレッシュしたいです。 また環境は日本が生き延びていく一つの大きな力になると思います。環境対策として環境技術をもっと政治が後押しをすることは、日本の技術力をさらに高めることにつながると思います。
Q6:今回の「政権交代」をどう感じましたか?
まだ実感はないですが、達成感はあります。「オリジナル民主党」は13年前に立ち上がりました。13年前から政権交代を何とかして達成したい、と思い続けていました。細川さんの日本新党に入る16年前に立候補しましたが、その時からの政治活動は「日本を変えたい」「政権交代したい」という思いでした。そういう意味で達成感はあります。「思えば、遠くへ来たものだ」...やっとここへ来れたという思いは人一倍あります。
─「オリジナル民主党」を作るときは深夜まで議論されていたようですね。
イチから立ち上げるんだからいっぱいやることがありました。深夜まで酔っぱらって議論してましたよ。みんな若かったからね、40代後半で血気盛んでした。 最初は20人ぐらいでした。その後羽田さんや最後は小沢さんが加わりましたが、歴史があります。一応民主党結党は去年で10年という数え方をしていますが、オリジナルから数えると13年の歴史があるんです。これについては高野さんがよく知っていますよ。
Q7:民主党の政権維持のポイントは?
まずは国民との約束、マニフェストを出来るだけきちっとやることですね。全部マニフェスト通りにそのままの状態で進めていくようにはならないと思いますが、マニフェストは国民に対する選挙での約束ですので、麻生さんのように俺は反対だったんだなんてことは言わないようにしたいです。
もう一つは情報公開です。本当の意味での説明責任です。経済が右肩上がりの時は、政治の役割はバラマキをするだけで説明責任なんていりません。例えば年金が5万円もらえるはずが7万円だったらみんな何も言わないでしょう。だけど今まで5万円だった年金が3万円になる...もちろん民主党はやりませんよ、やらないけれども別の形で負担がかかるという時にこそ説明責任が重きをなしてくるんです。だからこれから説明責任、特に与党になったわけですから、さっきも言ったように約束は出来るだけやらなければいけない、でも出来ないこともあるだろう、じゃあその時にどんな理由で出来なかったんですかをきちっと説明するということが大きなポイントになると思います。
Q8:国民・支持者者に対して一言!
東京1区の 支持者に対しては、本当にありがとうございました。おかげで私も議席を回復することが出来ました。選挙期間中に頂いた皆さんの声をしっかり国の政治で活かしていきたいとこれは本当に思っています。
今回の政権交代というのは世論調査しても7割以上の人がよかったなと思っています。ありがたいなと思います。私たちはその期待に応えていきます。ただ、すぐに出来ることと時間がかかることがあります。100日経つとマスコミの論評がきつくなると言われますが、長い目で見て少なくとも4年間でどういう仕事をしてきたかということを評価してもらいたいと思います。
Q9:読者からの質問
落選中の4年間どんな生活だったのですか?
選挙が頭から離れたことはありませんでした。昨年の7月、14ヶ月前ぐらいからラストスパートに入りました。月曜から金曜まで朝は駅に必ず立ちましたし、それが終わったら路地裏をずっと回って、今度は昼ご飯食べて、午後も回り、夕方はスーパーの前に行って演説です。土日は祭りに参加したり、ずいぶん餅つきましたよ。
その前は現職の人と意識がずれないように現職の人たちを囲んだ勉強会をしたりしていました。
かなりレアな情報ですが、「ヒコーキ好き(マニアかな?)」だそうです。
特に、「複葉機(ふくようき・主翼が2枚以上ある飛行機)」がお気に入りで、あまり作る時間はないようですが、プラモデルも収集されています。
「長くなるので、次回またゆっくり話すよ」と言われました。