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  • テニミュ仕掛け人が語る「空耳」と「2.5次元」誕生 J-CASTニュース20190105

    2021-01-04 08:032

    平成日本で大きく飛躍したエンターテインメントの一つに、「2.5次元舞台」がある。マンガ・アニメ・ゲームなどを原作さながらのビジュアルで俳優が演じる舞台で、その興行規模は150億円を超え(ぴあ総研調べ)、年々右肩上がりになっている。平成30年(2018年)のNHK紅白歌合戦では、「刀剣乱舞」の刀剣男士が登場、大きな話題を呼んだ。

    その先駆者となったのが、平成15年(2003年)初演の「ミュージカル テニスの王子様」(以下、テニミュ)だ。上演を繰り返し、今やプラチナチケットと化したこのシリーズは、観客動員累計250万人以上を記録し、多くのトップアーティストをも輩出するコンテンツに成長した。

    また「テニミュ」で特筆すべきは、ニコニコ動画に投稿されたこの公演の模様が「空耳」で大流行し、舞台を観たことがないネットユーザーにもよく知られた存在となったことだ。初演当時の思いや、ニコニコ動画などのネット文化とのかかわりについて、初演からテニミュ立ち上げに携わり、その他にも数多のアニメ・舞台を手掛けてきたプロデューサー・片岡義朗さんに「テニミュ」の軌跡、そして舞台とネットの融合について語ってもらった。

    (聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 大宮高史)

    91年にSMAPで「聖闘士星矢」舞台化

    ――あらためて、2018年にはテニミュ15周年を迎えたということで、初演当時ここまで長続きすると思っていたのでしょうか?

    片岡:テニミュが始まる時、ヒットするだろうなという確信はありました。ただ、それがこんなに長く続くとは思いもよらなかったというところですね。

    ――それは何故ですか?

    片岡:日本でミュージカルを大衆化というか、もっと普及できる余地があると思っていました。もともと僕はアニメ制作を70年代からずっとやっていて、アニメーションの力をとても信じていて、マンガ・アニメというものが若者の心を広くとらえているという実感がありました。
    特に80年代からジャンプ・サンデー・マガジンの三大少年誌がヒット作を連発し、団塊ジュニアの若者たちが読むようになって急速に部数を伸ばしていた。あのころの中学生~大学生くらい若い世代の興味といえば「マンガ」「スポーツ」「音楽」なんです。そういう中で僕自身演劇が好きで、60年代のアングラ演劇あたりからずっと舞台やミュージカルを観てきて、マンガ・アニメの表現を活かして、もっと大衆的な舞台を作れないかと思っていました。

    ――そういう考えがあって、まず1991年に「聖闘士星矢」を舞台化されましたね。確か、SMAPが主演していました。

    片岡:ジャニーズ事務所に相談に行ったら、ジャニー(喜多川)さんにメモ書きを渡されて、そこに配役がすべて書いてありました。それが、ジャニーさんの字ではなく、子どもの字のようだった。たぶんSMAP6人が「俺これ!」って決めて書いたんだと思います。つまり当人たちが原作を読んでいて、それで舞台にも熱が入って成功したと思います。当時聖闘士星矢はコミケで一大ジャンルとなっていて、BL同人誌を描いているようなファンの方も来てくれました。

    実は別の作品のはずだった「テニミュ」

    ――その後も「姫ちゃんのリボン」「HUNTER×HUNTER」などいくつかの漫画を原作とするミュージカルを手掛けられて、03年に「テニミュ」が始まります。

    片岡:実は最初「HUNTER×HUNTER」の続演をやる予定だったのですが、諸事情で制作中止になってしまったんです。で、代わりになにか上演できないかということで、集英社から話があったのが「テニスの王子様」で、これはすごく大衆性があるなと思いました。

    ――先ほど話があった、若者が好きな「マンガ」「音楽」「スポーツ」の三要素がすべて詰まっていますね。

    片岡:スポーツって非常にシンプルで勝った・負けたがわかりやすくてドラマがあります。それでテニミュの初演を手掛けた時は、それまでとは違う確信がありました。
    また今思うと許斐剛先生の描くマンガが、時代を先取りしていたんです。それまでのスポーツ選手に求められるものは、汗と涙や努力といった泥くさいものでした。でも許斐先生は「かっこよさ」を追求しました。どのキャラクターもかっこよくイケメンに正面から描いたのは「テニスの王子様」が初めてだったと思います。
    今や羽生結弦選手や錦織圭選手みたいに、男性のスポーツ選手に普通に(テニミュの登場人物と同じように)かっこよさを求める時代になっていますよね。だから時代の旬を捕まえたという自信はありました。

    ――プロデューサーの片岡さんの他にも、各分野から多才な方が結集されました。

    片岡:脚本・作詞の三ツ矢雄二くんに、作曲の佐橋俊彦さんと演出・振付の上島雪夫さん。それに、僕と一緒に舞台制作をずっとやってきた松田誠くん(現ネルケプランニング代表取締役会長)。この5人の仲間で作り上げてきた作品です。誰がどの仕事をやったという区切り意識はあまりなく、本当に様々な意見をぶつけあって、喧々諤々の議論もして一緒に作ってきました。

    ――後に「空耳」で有名になる三ツ矢さんの歌詞が特徴的ですね。

    片岡:三ツ矢くんは声優として、アニメの現場で一緒に仕事をしてきた仲間ですが、僕とぜんぜん違う角度から世界が見えていて、僕の感覚とはまるで違う言葉が出てくるんです。例えば人が「きれい」と思う時に「ガラスみたい」って言ったりする。え?どういうこと?と思うけど、歌詞にするとぴったりはまる。例えば跡部景吾のナンバーに「俺様の美技にブギウギ」があります。「俺様の美技に酔いな」ってマンガ原作にあるセリフですけど、それを音楽の「ブギウギ」と組み合わせるって発想がちょっとありえない。すごいと思います。
    演出面では上島さんの、テニスの試合中のボールの行ったり来たりを照明の光で表現する演出も、もう彼の発明といっていいくらい素晴らしいものです。

    ――初演での客席の反応がすごかったようですね。

    片岡:初日は空席が目立ったりもしましたが、幕が開いて青学の9人のシルエットが浮かび上がったら溜息が出たんです。幕間休憩になるとお客さんが皆ロビーに出て、当時SNSもなかったから(笑)、一斉に携帯電話で話し始めたんです。「もう、まんまだよ」って。それくらいキャラクターらしさにこだわりました。興行的には赤字でしたが、尻上がりに動員が良くなっていったので、シリーズを続けようと決めました。

    ――「キャラクターらしさ」は、今、2.5次元のどの舞台でも重視されることですね。

    片岡:アニメ制作の経験から、キャラクターを原作通り正確に描くことがどれほど大事かというのはわかっていました。生身の人間が演じても「キャラクターらしく見えること」を大切にすれば原作ファンも受け入れてくれるだろうと。だから髪型や身長まで細かくこだわりました。そんな中でも例えば、アニメでは黒髪の跡部の髪をシルバーがかった色にするといった、舞台映えする工夫もしています。

    ――キャストは当時無名の俳優の方々でした。

    片岡:無名の俳優を起用するのも、キャラクターにこだわる一環です。すでに売れている人だと、その人個人のイメージとキャラクターのイメージが対立してしまう。俳優の人となりについてもそのキャラクターに近い人を見極めようとしました。
    例えば初代越前リョーマ役の柳浩太郎くんをオーディションした時、彼の体型を見てみたくて「(上半身の)服を脱いでくれない?」って聞いたんです。そしたら、上下全部スウェットを脱いでパンツ一丁になろうとした。だから「いやいや全部脱がなくていいよ」と止めたら、彼は「脱げって言ったじゃん」と言い返した。彼のマンガ的なルックスだけでなく、そういう、一見斜に構えてるけど、心の中では熱くてやる気が満ちているところも越前らしいなと思いました。

    ――そうして抜擢したキャストを交代するというのもテニミュの特徴です。

    片岡:これもかなり激論がありました。折角ヒットした顔ぶれを変える不安はありましたが、長く同じ俳優が演じ続けていると、「このキャラクターにこの俳優」とイメージが固定化されてしまう。本来キャラクターがあって、それを俳優が演じるはずが、立場が逆転する恐れがあった。だから僕は早めに代えた方がいい、新しく俳優を育てていく方が長期的にはいいと考えて、初代のキャストは約1年半で卒業となりました。またテニミュでブレイクした彼らのために新しい舞台も作ろうと考えて、テニミュ以外の2.5次元舞台も展開を始めました。

    「空耳」、見てみたら面白かった

    ――そんな中、2007年頃にニコニコ動画で突然公演の空耳動画が流行り始めました。

    片岡:あれは知った時、見てみたらすごく面白かったんですよ(笑)。僕は削除要請しようと思えばできたし、関係者の間でも激論になったんですが、これはスルーしようと決めました。もちろん著作権法上は違反しているんだけど、ユーザーは面白がってやっているし、直接的な損失はないんです。だから、せっかく楽しんでいるからいいのかな、と。
    また、アップされていた氷帝戦の舞台は柳くんが0312月に生死をさまよう大事故に遭ってから、初めて1人で越前を演じきった公演だったので、悲劇性をも帯びた熱さがありました。その中でも手塚国光役の城田優さんと跡部役の加藤和樹さんが重要な役どころで、二人ともものすごく歌がうまい。その二人による跡部と手塚のマッチが直前にあって、(空耳が流行した)クライマックスの日吉戦の歌「あいつこそがテニスの王子様」が始まるので、すごく熱くてファンの印象に残る場面なんですよ。そういった事情も(ニコ動でのブレイクに)影響したのではないかと。

    ――結構下ネタのような空耳もあって、もともとのテニミュファンの間でも賛否両論あるようです。

    片岡:これもある種の同人文化なのかもしれないですね。確かに許しがたい表現かもしれませんが、許斐先生から特に何か言われたこともなく、ファンは自分の見方に染めて味わいたいと思うので、それを無理に制限したり拒絶したりすることはないんじゃないかと思いました。

    ――その空耳ですが、間違って面白く聞こえてしまう理由に、はっきり言えば役者の歌唱力の問題もあるんじゃないかという印象を受けましたが......

    片岡:確かに歌の下手な人はいます(笑)。フルコーラス全部外して歌ったりとか、かなり特訓もしましたよ。他にも運動神経の悪い役者もいたりします。でも技術よりもっと大事なことがあるというのが僕の持論です。

    ――それはテニミュではやはり「キャラクターらしさ」でしょうか。

    片岡:それよりもまず「熱」ですね。キャラクターになりきりたい、この役を大切に思って、ものにしたいという気持ちです。その熱気の総量が舞台の熱量になります。その次に来るのがキャラクターになりきることで、稽古場にはいつもマンガ全巻を置いて役者が研究できるようにしていました。気持ちがあれば技術は後からついてくるし、そうした様子をファンは「成長している」と応援したくなるのが心理です。

    ――そうして経験を積んだ俳優には城田さんや加藤さん、さらに古川雄大さんや宮野真守さんなど、トップアーティストがたくさん居ます。彼らにどんな影響を与えたと思いますか。

    片岡:垣根のない活躍ができるきっかけになったと思います。今はボーダーレスの時代で、俳優個人としても、いろいろなジャンルでディープに活躍できる「タコツボ」を持っている方がいい。例えば宮野くんも声優に舞台に音楽とマルチなエンターテイナーになっています。また初演の頃からアニメ楽曲のアーティストをテニミュに起用するなどして「舞台はアニメと別物じゃなくて、一緒に楽しんでほしい」というメッセージを込めていました。

    ――ボーダーレスといえば、テニミュではライブも積極的に開催しています。

    片岡:もっと俳優個人のスキルや個性を披露して楽しんで観てもらいたかったし、公演の間隔が数か月空くその間でも何か情報を発信したい、またキャストの卒業を祝う特別な場にもできないかと考えて、年1回はライブを開催することにしましたね。

    川上量生氏「ニコ動がここまで大きくなったのは...

    ――その後で、片岡さんはドワンゴに転職されますね。そもそも何故ドワンゴと縁があったのでしょうか。

    片岡:ニコ動でアニメの正規配信事業、そしてミュージカル制作を創業者の川上(量生)さんから請われたのがきっかけです。で、入社して川上さんに「何故僕を呼んだんですか?」と聞いたら「ニコ動がここまで大きくなったのは、「東方」「アイマス」「ミク」そして「テニミュ」の相乗効果だ」とかえってきたんです。
    他の3コンテンツはネットで生まれた男性ユーザー主体のものですが、テニミュはリアルの文化がネットに輸入された上に、女性ファンが多い。「テニミュのおかげで女性のニコ動ユーザーが増えたんだ」と川上さんに直接言われて、そんなに影響があったのかと想像以上で、嬉しいと共に驚きでした。

    ――それほどまでに影響があったと。そして実際にニコニコミュージカルを展開されました。

    片岡:テニミュの延長線上で、ニコ動独自のミュージカルを展開してネット中継も行って、女性のニコ動ユーザーを増やして演劇も身近にすることが狙いでした。その時、今まで通りの2.5次元舞台の他にボカロというネット発の新しい文化に注目してみました。「ココロ」「カンタレラ」「千本桜」などのミュージカルを手掛けましたが、こちらの方がうまくいきました。なぜかというと彼ら(ボカロP)が作る詞の世界が、それまでの音楽業界にはない斬新で、独特の物語性があった。もちろん初音ミクをはじめとしたミクファミリーのキャラクターたちが彼らの創作欲を刺激してくれた。これもある意味キャラクターあっての二次創作で、ネット特有の文化で世の中の旬だったので、それを捉えられたのがよかった。

    ――そうした新しいビジネス展開で、演劇文化やネット文化にどんな影響があったとお思いですか。

    片岡:劇場でしか観られなかった舞台をネット配信し、チケットも販売するシステムも定着しました。小さな劇団でもノーコストでできるし、俳優が田舎の親族に活躍してる姿を見せて安心させることもできる(笑)。劇場という物理的な障壁を取り払って舞台を楽しむビジネスモデルを川上さんが確立し、その中身を僕がプロデュースさせてもらいました。

    ――今やテニミュ以外にもアニメ関係のライブが盛況ですし、ニコ動もニコファーレのようなリアルイベントが一層大きくなっています。

    片岡:「ネットとリアルはイコールになる。近いんだ」というのが川上さんの発想です。ネットの普及で1日スマホの前で過ごせるようになっても、人はその埋め合わせというか、バランスを取ってつながりを求める。そのつながりを共有できる場がライブエンタテイメントで、近年あらゆる娯楽の中で唯一伸びている分野です。2.5次元やボカロ音楽が世界にも普及してそういう時代が来るのに、テニミュと空耳も少なからず貢献したのかなと思います。

    ――今振り返ってみて、平成初期から抱いていた、舞台芸術をもっと面白く、日本に根付かせたいという夢は叶ったでしょうか。

    片岡:嬉しいですね。僕がラッキーだったと思うのは、日本にミュージカルを観る文化がそこまで普及してなかったことでした。そこで、僕がずっと仕事をしてきたマンガ・アニメをミュージカルにしたら面白いんじゃないかと思ってやってみたら、時代も後押ししてくれたと思います。
    何か社会の中にひょっとした現象があったら、それが時代を映す鏡だと思ったら、それをアニメなどのコンテンツにすれば広がる。僕がずっとやり続けてきたのはそういうことでした。

    片岡義朗さん プロフィール
    かたおか・よしろう 1945年生まれ。アニメプロデューサーとして「タッチ」「ハイスクール!奇面組」「るろうに剣心」などのプロデュースに携わる。マーベラスエンターテインメント(現マーベラス)在籍時の2003年にミュージカル「テニスの王子様」を制作し、その後も多くのマンガ・アニメのミュージカル化を手がけた。2009年から2013年にはドワンゴ執行役員としてボカロ曲のミュージカル化や堀江貴文主演「クリスマスキャロル」などをプロデュース。現在はコントラ代表取締役社長として、コンテンツビジネスのコンサルティングやアニメ・舞台企画に携わる。

     

  • 2.5次元ミュージカル~スタンダード化と世界普及への挑戦(2020/06/25)日本規格協会HPへ寄稿

    2021-01-04 07:07

    僕が、どうしていわゆる2.5次元ミュージカルを僕の独自の方法で作り始めたのか。

    どうして2.5次元ミュージカルが、僕が作り始めた方法がベースになって今や日本の娯楽の一つのジャンルとして定着し、年間300万人ともいえる観客を動員するまでになった、のかを僕なりの仮説としてここに提示しておきたい。

    初めに言いたいことは、僕は舞台つくりの常識は破ったが、ミュージカルの型式=フォーマットは守った、だ。

    僕が19918月にSMAP主演で作った「聖闘士星矢」@青山劇場、
    1993
    12月草彅剛・長瀬智也・入絵加奈子主演「姫ちゃんのリボン」@博品館劇場、

    200012月竹内順子・甲斐田ゆき・三橋加奈子らのアニメ声優に声で演じたキャラクターを舞台上でも演じてもらった「HUNTER×HUNTER@新宿スペースゼロも、
    そしてついにブレイクして一般の人も観に来てくれるようになった
    2003
    4月の無名の新人俳優たちで作った「テニスの王子様」@池袋芸術劇場中ホールでも、
    僕が意識したことの第一は、今までのミュージカルや演劇の常識は信用しない、新しい基準で作ろう、だった。
     

    それは⽇本でも世界でもミュージカルの世界での常識とは、舞台上では俳優の技術は完璧が求められる、歌唱⼒ のない俳優は舞台に⽴てない、ダンスが踊れない俳優は舞台に出てこられない、セリフをきちんと発声できない 役者は役者ではない、稽古場で仕上げて初⽇公演では完璧を⾒せる、だった。こんなこと誰が決めたんだ、って思った。
    これが観客が求めているものだったら、それはそのような俳優と観客 たちに任せておけばよい。でも⾃分が⽬指していたものは、漫画アニメ世界の再現だった。

    技術が稚拙でもキャ ラクターに⾒えればよい、初⽇にできていなくてもやっているうちに成⻑し完成度は上がる、で何がいけないん だ。 キャラクターが好きになった漫画アニメファンをさらに、その世界にのめりこんでもらうために、その世界に浸 ってもらいたいがために作る、漫画アニメファンに向けたミュージカルを作るんだ。⾳程が取れなくても、ジャズダンスの基本の1番か ら5番のポジションを知らなくても、セリフがはっきりとは聞き取れなくてもいい。セリフは観客が知っている、 いつものあのセリフだとキャラクターの決めセリフはすでに頭に⼊っている、もごもごでもいいんだ、ただし思 いっきり叫べ、体全⾝でそのキャラクターになり切れ、汗をかけ、全⼒で⾛れ、とほとんどが何の経験も持って いない俳優たちに何度も念を押した。

    観客が求めていたものは⾃分の好きなキャラクターが⽬の前に現れることで、俳優がそのキャラクターになり切 ってくれていれば、あとは⼆の次になる。なり切ることに誠実であるかどうか、漫画アニメのキャラクターと同 じ熱量がその俳優たちにあるか、舞台上にファンである観客たちがいつも接している漫画アニメ世界と同じ熱量 を感じられるか、舞台上に⾃分の好きな漫画アニメタイトルへの愛があるか、そこが最⼤の関⼼事であるはず だ。

    この1点で僕は、漫画アニメミュージカル=2.5次元ミュージカルを作り始めた。

    それまでは⽇本でも世界でも、漫画アニメのファンに向けて、ファンの望む題材をファンの望むキャラクター重視の⽅向でミュージカルを作るということは、エスタブリッシュされた舞台の世界では常識ではなかった。

    外国では話題の「オペラ座の怪⼈」「マンマミーア」「キンキーブーツ」「ミスサイゴン」「エビータ」でも⽇ 本ではそれを知っている⼈は⼀部に限られる。舞台用に書き下ろされたオリジナルの脚本でも⾝近な題材を扱ってはいるかもしれないが 知られていないと話題が回らない。

    TVアニメのミュージカル化であれば、観劇後に学校に⾏き「昨⽇、テニミュ観たよ」と⾔えば、クラスの友⼈が 「越前リョーマ、ってどうだった、ちゃんと⽬⽟⼤きかった、⽣意気なクチきいてた?」と会話が弾む。娯楽の 広がりに必要な、旬の話題が詰まっている。

    テーマに普遍性が必要なことは⾔うまでもないが、その語り掛けを 旬の話題で振らないと伝わらない。 「テニミュ」で⾔えばスポーツの持つ勝った負けたのドラマ、勝者の寛容/敗者の美学・ノーサイドの精神が普遍のテーマで、原作漫画が異次元の新しいスポーツ漫画として描いた、選⼿に汗と泥まみれを廃しクールなイケメンを配置したことが旬の切り⼝だった。それらが⽻⽣結弦君や錦織圭君の登場前で時代を先取りし、漫画は時代の前触れの役割を果たした。

     

    この例に限ら ず、時代の旬を感じる⼀番⾝近な共通の話題は、今や⽇本の⻘年層ではそれは漫画アニメの世界の出来事となるだろう。

    作り⽅や題材は常識に反したものにするけど、ミュージカルとして成⽴させるほうが多くの⼤衆には⾒やすいは ずだ。ミュージカルの表現形式は、感覚のレセプターが視覚・聴覚・体感が働くので⾳楽とダンスがある分、脳 内への伝達チャンネルが多い、ストレート演劇より有利で黙ってみていれば⾃然に楽しめるようにミュージカル は作られている。だからミュージカルのフォーマットに則って作るほうが良い、と考えた。

     

    そのために、ミュージカル「テニスの王⼦様」(原作:許斐剛)では、ミュージカルの世界ですでに活躍している ⼈たちをスタッフに迎えた。
    演出・振り付けの上島雪夫さんは劇団四季のダンサーから振り付けで退団し宝塚と 東宝ミュージカルの振り付け担当というキャリア、作曲の佐橋俊彦さんは東京芸⼤作曲科卒劇団四季でオーケ ストラ譜⾯の作成担当、脚本の三ツ⽮雄⼆さんはアニメ声優であり、⾃⾝でも劇団持ち脚本・演出も⼿がけるブ ロードウェイ観劇オタク、を選任し、主要3スタッフと僕ともう⼀⼈のプロデューサー松⽥誠くんの共通認識として、ちゃんとしたミュージカル作ろう、を共有した。

     

    オペラから始まりオペレッタを通してミュージカルが⽣まれた、その誕⽣からでいえばすでに100年以上の歴史が あり、その間に表現は洗練され、定着し、完成された型式として整っている。
    具体的に⾔えば、オーバチュア序曲が奏でられるその序曲に乗って世界観が提⽰され⼈物の登場紹介が あって物語が始まる⇒1幕の終わりは希望・不安・恐怖・熱気などの感情の昂りで終わる休憩トランスアク ション(気分転換)軽い話題の別場⾯から2幕が始まる物語が語られカタルシス⼤団円エピローグカー テンコール(俳優が登場⼈物から俳優⾃⾝に戻る)という流れだ。⾳楽でいえば、主旋律のリプライズ、主観の詞の主旋律の歌唱、客観の詞による情景描写と場⾯転換、感情表現 のあるダンス、といったような事柄が気を付けるべき型式の実際だと思う。

     

    このフォーマットに則って表現されていれば、ミュージカルを観たことがない⼈も⾒慣れた⼈も、ミュージカル がそもそも持っている⾒やすい演劇という本来の⼒を発揮してくれるはずだ、と思った。

    だからミュージカルの持っている型式は守ろうと思った。
    結果は、この仮説の通りの筋道かどうかは不明だが、⼤衆娯楽として定着した。

     

    僕は⾃分の好きなアニメ作品のミュージカル化で世界に出て⾏きたかった。
    いまやそれは原作の持っている創作の⼒もアニメの制作陣が頑張ったことも相まって「テニスの王⼦様」「美少⼥戦⼠セーラームーン」「⿊執事」「弱⾍ペダル」「⼑剣乱舞」「陰陽師」をはじめいろいろなタイトルで現実になった。

     

    それ以上に⽇本で初めて成⽴した2.5次元ミュージカルが、世界中のココロのピュアな⼈々の娯楽のスタンダード になる、それがもうすぐそこに⾒えている。



    ⽚岡義朗プロデューサー

    1945年⽣まれ 慶應義塾⼤学法学部法律学科卒(1969)(株)アサツー・ディ ケイ(ADKホールディング ス)1982~2000)、㈱マーベラス取締役(2000~2009)、㈱ドワンゴ執⾏役員 (2010~2013)、(株)コントラ代表取締役社⻑(2014~) 各社でアニメ&ミュージカルプロデューサーとして作品の企画・製作、アニメ製作委員会の 組成と運⽤、商品化許諾、海外販売、映像パッケージ販売、⾳楽著作権管理、イベント実施 などアニメビジネスとその2次利⽤展開などの業務を実施。

     

    アニメプロデューサーとしては、「タッチ」「ハイスクール!奇⾯組」「蟲師」「ガンスリ ンガーガール」「HUNTER×HUNTER」「クレヨンしんちゃん」「遊戯王デュエルモンス ターズ」「家庭教師ヒットマンREBORN!」「ラムネ40」「CAPETA」「キテレツ⼤百科」 「こちら葛飾区⻲有公園前派出所」「るろうに剣⼼」「BECK」「ジパング」「スクールラ ンブル」「さすがの猿⾶」「餓狼伝説」など約140作品をプロデュース。

     

    2.5次元ミュージカルプロデューサーとしては、「テニスの王⼦様」 「HUNTER×HUNTER」「美少⼥戦⼠セーラームーン」「聖闘⼠星⽮」「少⼥⾰命ウテ ナ」「ギャラクシーエンジェル」「DEAR BOYS」「こち⻲」など約50作品をプロデュー ス。

    ⽇本で初めてアニメファン向けに「聖闘⼠星⽮」(1999)SMAP主演でプロデュースし その後も作り続け、2.5次元ミュージカルという分野を創りだした。

    現在は、㈱コントラとしてアニメビジネスコンサルティングとアニメ「Under the Dog」(2017)「臨死江古⽥ちゃん」(2019)
    ミュージカル「ホリエモンのクリスマスキャロ ル」(2018)「監獄学園」(2018)などをプロデュースしている。

  • 「ローマの休日」感想20201013

    2021-01-04 06:10
    ミュージカル「ローマの休日」ある日のマチネを観た。
    加藤和樹くんが、一段、演技の階段上がった、すばらしかった。はっきり分かった。自然体、リラックスしてる、体にリキミがない、アン王女を優しく見守る感あふれていた。
    もともと和樹は心優しい人、伊達孝時くん、鎌苅健太くんとガラスの心持った友人たちを励まし、見守り、いつも背中押している。ミュキャスの〇〇〇君はこの世界から消えたけどずいぶん面倒見てた。
    そうした彼の本来の人間性に重なる部分があったからリラックスしたのか、演出家の山田和也さんの役者が出すものが演出の方法に合致してくるまで出てくるのを待つスタイルが気持ちよかったのか、何にしても舞台上の和樹はとても静かで自然で素敵な男前に見えた。
    アン王女への愛情を包み隠し見せないでいる優しさもよく分かった、その態度も好感持てて、言うことなかった。
    太田基裕くんの帝劇初出演、どんなに緊張してるかなと構えて観に行った。リラックスしているように見えた。
    今回のような役どころは今まであまりなかったような気がする。いつもの好青年、きりっとしていてニコニコしていて、彼の優しい笑顔を見せてくれれば役どころは成立する、みたいなところから、よくここまで、逞し気なカメラマンになり切ったね、と嬉しかった。身体の動きを大きくしてカメラマンの繊細には見えないが親しみのある性格を見せたかったのだろう、それは出来てた。でも、どこか僕のイメージの太田くんからは、無理してるんじゃないか、努力してるんじゃないか、と心配になってしまう。
    これは僕の脳内にもっくんのいつもの人懐っこい笑顔が刷り込まれているからかもしれない。
    ふつうにみれば成り立っていると思う。
    岡田亮輔くんがいい味出してた。
    元々、身軽な演技が持ち味、めったな事では感情爆発しないよくできた人なので、はさみ持たせたらアブナイなんて露ほども心配することはない。
    そこをうまく捕まえた山田さんの演出がハマった。全編を通してチョッキンの歌が一番耳に残る、と一緒に行った人と盛り上がった。
    岡田くんにはどうも採点が甘くなる、だって彼のお母さんは10代のころの僕の理想形の健康美女だったから。
    それとは別にかっこよかった。
    一つ悲しかったのは、アン王女、お姫様に見えなかった。
    無理もないかもしれない。僕の観た映画の中でもベストテンに入り、生涯の憧れ女優ベスト5に入るオードリーヘップバーンのイメージが頭にあってそこと比較されるのだから、演ずる人はたまったものではないだろう。
    でも、そのハンデキャップを考慮に入れても残念としか言いようがない。
    コロナ禍で楽屋へは入れない、やや物足りない。
    で、隣の東京会館でケーキ買って、ワイフに「ローマの休日」の話をしながらお茶してみよう、と帰宅の途についた。
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