震災から間もなく4年半。

すべての記憶を失ったふるさとに帰郷しても、

私はまた仮住まいに再避難しなければならない。

「家に帰る」旅の途中であぶり出されたものは

太古から続くまぎれもない「東北」の姿だった。

文・写真=吉田邦吉(一部写真は中筋純撮影)

text & photo by Yoshida Kuniyoshi

 

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ちりちりと無音の、かなしみのわたあめが空に降りそそぐ。

8回もの移動の末、会津若松市にて避難生活を送る私は、相馬藩時代から稲と梨を育てる農家の生まれで、完全な土着だった。

震災5年目にあたり、久しぶりに避難区域におけるもっとも汚染度合が強い帰還困難区域のふるさと「大熊町」へ一時的に帰宅し、また避難先へ戻る。福島県の浜通り、双葉郡は八か町村。福島原発がある大熊町は、そのうちのひとつだ。

写真家の中筋純さんと帰還困難区域に入るため、原発の復旧作業員で溢れるいわき市の真新しいカプセルホテルを出て、国道6号を北上した。

「全町民脱出は荷物をいそいそと詰め込み、夜逃げのようでした」

「僕の家も夜逃げしたことあるよ」

「夜逃げブラザーズの珍道中だね」