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アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー第3弾。今回は新日本プロレス社長時代を振り返ります!(聞き手/ジャン斉藤)



パート1はコチラ→
「プロレスに関わることは倍賞美津子さんに大反対されました」

パート2はコチラ→「猪木事務所の暴走、ロス道場設立、猪木vsMMAファイター」
サイモン ロスにいるとき猪木さんから話を聞いたり、誰かが日本から来たときに新日本の話を聞くという感じで。ガッツリとは聞けないから本当のところはわからなかったんですよね。

――
どこまで悪化してるのかは見えづらかったという。

サイモン
 草間(政一)さんが社長になる前かなあ。長州さんが新日本をやめてWJを作るときぐらいから「大丈夫なのかな」と。

――
現場責任者の長州さんや、猪木さんの参謀だった永島(勝司)さんたちが新日本をやめられたことはどう思われたんですか?

サイモン
 「しょうがないな」っていうか。長州さんたちがやってきた流れがあるんだけど、猪木さんがたまに出てきて藤田(和之)さんやPRIDEで活躍した選手を使わなきゃいけない。同じ会社のはずなのに距離感があってうまくいってないことはわかりますよね。 

――
みんなが新日本から離れていくことに猪木さんは何かおっしゃってましたか?

サイモン
 猪木さんの場合は離れていくことよりも「次をどうするか」って前向きなところはあったかもしれないですね。

――
長州さんが去ったあとは営業畑の上井(文彦)さんがマッチメイカーに就きますよね。

サイモン 猪木さんはロスからニューヨークに引っ越したんですけど、 上井さんがニューヨークまで訪ねてきてアイディアを出したり、話をすることによって、猪木さんの意を汲んでくれるところもあれば、「アルティメット・ロワイヤル」みたいに変な方向に向かっちゃうところもあったりして(笑)。

――
伝説のズンドコ企画!  

説明しよう! 「アルティメット・ロワイヤル」とは2005年1月4日の新日本プロレス東京ドームで行なわれた史上最大最悪のズンドコ企画だ。8名参加の総合格闘技バトルロイヤルという触れ込みで、1つのリングで同時に2試合行われるが、他の試合には介入できず、残りの4名はリング下で待機。勝者は準決勝、決勝戦と駒を進められるが、バトルロイヤル的な展開はないうえに試合内容は総合格闘技ではなくプロレスであり、ボンヤリとした「なんちゃって格闘技」ダラダラと見せつけられた。誰も優勝者の名前はおぼえていない。

サイモン
 猪木さんのやりたいことはあれではなかったかなと(笑)。猪木さんがどんなアイデアを出したのかはわからないですけど……あれは猪木さんが考えたものではないですね。

――
でも、みんなは猪木さんの企画だと……。

サイモン
 うーん、猪木さんはあんなことをやれとは言ってないけどなあ。あの頃の猪木さんはとにかくビックリさせることをやりたがってたんですよ。たとえば『キン肉マン』じゃないけど、リングを4つぐらい揃えて同時に試合をやるとか。

――
マサ斎藤さんとの巌流島決戦もそういった発想ですよね。

サイモン
 「いままでどおりにやってもしょうがねえよ!」ってことですね。ちょっとひねったり、新しいアイデアを入れたり、何か面白いことをしないとダメだよと。

――
猪木さんは良くも悪くも具体的には説明しない人ですし。

サイモン 当時はプロレスの試合にしても新日本の選手が負けっぱなしだったじゃないですか。新日本プロレスの所属選手がなかなか上がっていかない。

――フリーレスラーや他団体の選手が勝ってばかりで「土下座外交」なんて言われてましたね。ある選手がNOAHに出る話を拒否したこともあったり。

サイモン
 マッチメイカーの上井さんが相手の要求をすぐに飲み込んじゃうのか、ただ流されているのかわからないけど……一番酷かったのは中西(学)さんがキックの試合に出されたじゃないですか。

――
K-1のTOA戦! 1ラウンドでKO負けしたやつですね。

サイモン レスリングがバックボーンだからMMAならともかく、ですよ。中西さんはロスに1週間だけ練習に来て、ジョシュ・バーネットが一緒だったんですけど、彼もキックの選手じゃないですからね。そりゃあ勝てるわけないだろうっていう試合ですよね。 

――そうやっていつ格闘技出陣令が出るかわからないから、棚橋弘至選手も格闘技の練習を始めるわけですね(笑)。

サイモン
 武藤さんとかもうそういう流れがイヤでいなくなっちゃったし、新日本の悪いイメージがだんだんとついていきましたよね。 「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」という猪木さんの言葉もあるし、そういうことをやらないといけないのかもしれないけど、それって「格闘技をやれ」って言うことでもなかったとは思うんですよね。猪木さんは新日本で総合格闘技をやれなんて言ってないですし。

――
そこなんですよね。ストロングスタイルの間違った捉え方というか。

サイモン
 新日本プロレスの中で異種格闘技戦みたいな企画をやって「プロレスラーは強いんだ」とやるのはわかるんですよ。でも、向こうのルールでやって負けたら意味がないですよね。

――
ロスからニューヨークに移った猪木さんとサイモンさんはコミュニケーションは取れていたんですか?

サイモン
 そのへんあたりからコミュニケーションを取る機会は減っていきましたね。たまに上井さんと一緒にニューヨークに行きましたけど。

――
猪木さんがニューヨークに引っ越したのはどういう理由なんですか?

サイモン
 子供さんの大学の関係ですよね。 ニューヨークでも何回か引越してましたけど、当時ヤンキースでプレーしていた松井秀喜さんが住んでいた高層マンションだったこともあったりとか。

――
それぐらい猪木さんも稼いでたってことですね。サイモンさんは新日本プロレスの執行役員に就きますよね。

サイモン
 あれって名前だけですよ。自分も役職がほしいわけじゃなかったんですけど、周りが気を使ってくれて無理やり。 だいたいあのときは新日本の社員の半分以上が執行役員とかになってて(笑)。

――
ハハハハハハハ! 他の皆さんも名前だけの役職ですか?

サイモン
 そうですね。とくに株を持ってるわけでもないですし。何かパワーもあるわけでもないです。執行役員が集まって会議を開くわけでもない。いままでどおり(笑)。

――
ガハハハハハハハ! それまで大晦日を一緒にやっていたPRIDE、K-1、そして猪木さんがバラバラになって独自にイベントをやるようになるじゃないですか。

サイモン
 「あれ、一緒にやらないの? 3つに分かれちゃうの?」って遠くから眺めていた感じですよね。『猪木祭り』の選手ブッキング方面で手伝うという話だったんですけど、何か頼まれて選手に辿り着いてももうヨソとは話がついていたり。ジョシュ・バーネットもどこかに取られそうになって、こっちで押さえましたけど。そこまでガッツリは動いてなかったですね。

――
『猪木祭り』の会場となった神戸ウイングスタジアムには行かれたんですよね?

サイモン
 行きましたね。めっちゃ寒かったことを覚えてます。

――テレビコマーシャルで「『猪木祭り』は暖房完備!」を売りにしてたのに(笑)。

サイモン
 会場がめちゃくちゃ寒いからアップ中の選手の身体から湯気が出てるんですよ(笑)。あと大会終了後のリングにファンが上がっちゃうアクシデントがあったり。

――
伝説の大晦日暴動! 

説明しよう! 猪木祭り暴動とは2003年12月31日に勃発した史上最大のズンドコトラブルだ。百八つの除夜の鐘にならって108人の選手、関係者、お客さんに闘魂ビンタを放つ予定が、運営側の段取りが悪く誰もリングに上がってこず。痺れを切らした猪木さんが「そこのキミ!リングに上がって!」と適当に客席を指差したところ、続々と観客がリングに上がりだしてあっという間に大混乱。もみくちゃにされながら猪木さんは「ルールを守れ!!」とブチ切れて新年を迎えた。

サイモン
 あのときはリングサイドにいた(笑)。ああなっちゃうと止めようがないですよね。もうみんなリングに上がっちゃうわけですから。あのときは藤田(和之)さんが猪木さんを守ってたんですよね。

――
藤田さん、ファンにガン付けながら猪木さんをガードしてましたね(笑)。
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