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沢村忠から天心vs武尊まで…キックボクシングの始まりと、その光と影■細田昌志☓高崎計三
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沢村忠から天心vs武尊まで…キックボクシングの始まりと、その光と影■細田昌志☓高崎計三

2021-01-18 10:34
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話題のノンフィクション本『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』の著者・細田昌志氏と、格闘技ライターの高崎計三氏がキックボクシングの光と影の歴史を振り返る対談!(聞き手・ジャン斉藤)




――
高崎さんとのキックボクシングの歴史を振り返る対談、面白かったです!(対談はこのあと掲載)

細田
 ……いや、今日は騙されましたよ!余計なことをたくさんしゃべらされて。本の宣伝にやってきたのに。

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――
いや、充分に本のプロモーションになったと思いますけど(笑)。それにこの本はメチャクチャ面白かったです。ここ20年近くのプロレス格闘技ノンフィクション本の中ではナンバーワンじゃないですかね。

細田
 ありがとうございます!でも……まだ浸透してないですね。プロモーションが足りない。行き届いてない。だって、この本を知らない人もけっこう多いんです。増田(俊也)さんの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の爆発的な成功が記憶に新しいだけに、その差を痛感しています。「木村本」は、内容の素晴らしさはもちろん、「力道山」というパワーワード、それに『ゴング格闘技』で連載していたことも大きかったと思うんです。 あの頃(編集長の)松山さんと、著者の増田さんと呑んだことがあって、「ああ、こういう参謀がいるのは大きいなあ」って思っていましたもん。それに当時はまだギリギリ、紙に力がありましたしね。でも、いまはいまでSNSがありますから。だからとにかく、プロモーションをやり続けるしかない。 

――
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』はタイトルもショッキングですよね。

細田
 なんといっても「殺さなかったのか」ですもんね。

――
力道山vs木村政彦のシュートマッチもプロレスファンにとって巨大なミステリーですし。

細田
 プロレスって完全なる活字メディアでしょう。都心の大きな書店に行くとプロレス本がずらーっと並んでいるのに、格闘技の本ってほとんどない。朝倉未来と古川(誠一)会長の本ぐらい(笑)。

――いまだに宝島がUWF系の本を出すのはプロレスは売れているからですもんね。沢村忠はキックの歴史がブチ切られているところもあって。

細田
 そうなんですよ。キックボクシング自体は、一応はプロスポーツとしてあるにはあるんだけど。

――
たとえば力道山vs木村政彦なんて、プロレスで何か事件があると例として挙げられる。沢村の場合は表向きキックの歴史が見えづらいですけど……この『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』を読むともの凄くキックボクシングというジャンルに興味を持てますよね。 先ほどの高崎さんとの対談とも繋がってきて。

細田
 ホントかなあ。 騙されてるような気がする。というより、こういう取材は珍しいから舞い上がっている気がしないでもない(笑)。

――
ボクが思ったのは思想のノイズがない本ですよね。 

細田
 思想のノイズ?

――
どうしても筆者のプロレス格闘技に対する思想の打ち出しが強すぎて「……そこまで求めてないんだよなぁ」と思うときがあるんですよ。

細田
 ああ……そういうのは、自分が読んでて辟易としていたので、意識的に抑えました。それに、どちらかというと、五木ひろしについてこの機会にじっくり書きたかったりして(笑)。

――
ガハハハハハハ!

細田
 五木さんは後半しか出てこないんですけど、彼の半生にも非常に興味を持ったんですよ。

――
じゃあ、おもいきって五木ひろしをタイトルにすれば……(笑)。

細田
 じつはそこは少し考えました。考えたんだけど、 格闘技の話が6割なのに五木さんをタイトルに持って来るのは、あまりに節操がないだろうと(笑)。思いついたのは「なぜ五木ひろしはガッツポーズをするのか」。

――
面白いです(笑)。

細田
 沢村忠をタイトルにすることに批判してる人もいるんですけどね。「300ページまで沢村が出てこないじゃねーか!?」って。

――ハハハハハハハハ!

細田 いろいろと細かいところを突いてくる人がいるんですけど、野口修に関しては誰も言ってこない。

――
そこはもう追いついてないんでしょうね。情報量が圧倒過ぎますから。

細田
 そこは野口修という人が影響力を失ってから亡くなったから。だから書けたと思うし、既存の格闘技マスコミがキックの歴史を書こうとすると、「ムエタイをマネて創られた」となる。決して間違ってはないけど、「端折りすぎだろう」と思うんです。だから創始者の野口修の名前は葬られることになった。キックボクシングの歴史を知るには、まずボクシングの歴史から知っておかなきゃいけない。それは動かし難い事実です。例えば、明治維新を語るとなれば、黒船来航を語らないわけにいかないでしょう。それと同じこと。

――
ボクシングどころか右翼の歴史まで遡ってますもんね(笑)。というわけで、ここから細田さんが騙されたとおっしゃる高崎さんとの対談になります。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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細田
 専門誌で取材をしてくれたのがこれで2件目です。1件目はバウトレビューさんで、宮田(充)さんに紹介していただいたんですよ。

高崎 とはいっても、本の話がメインというわけではないんですけどね(笑)。

細田 えーっ、そうなの?

高崎 せめて礼儀とし本を読んでから来ようと思ったんですけど、分厚すぎて50ページくらいしか読めず……。やっと野口修が生まれました(笑)。

細田 あー、その辺りは“右翼アベンジャーズ”のところですね。

――細田さんと高崎さんに伺いたいのは、那須川天心vs武尊のビッグカードが実現する方向で動き出しましたが、このカードの障壁となっていた団体の対立・分裂を繰り返したキックボクシング業界の歴史です。

細田 そこをボクが語っていいんですか?(笑)。高崎さんに聞いたほうが早いと思うんですけど。

高崎 いやいや(苦笑)。

細田 90年代でいえば、つば迫り合いというよりは緩やかな“連帯”ですよね。キックボクシングが出来たときは、当然、野口修が立ち上げた日本キックボクシング協会しかなかった。それが、程なくしてポコッと別の団体が生まれた。分裂したわけではなくて、ぶっちゃけて言ってしまうと、右翼の世界の大人の事情で誕生するわけです。

――その複雑多岐な経緯はこの『野口修評伝』に詳しいわけですね。

細田 その時代のキック界は非常にヒリヒリしたものがあるんですね。当時はTBS、日本テレビ、NET(現・テレビ朝日)、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の4局でキックが放映されていたんですが、沢村忠をエースとするTBSの一強多弱みたいな状況で。だから、TBS以外は割合あっさりと番組は終了しているんです。でも、一強を支えていた沢村忠が引退しちゃうと、TBSもさっさと終わって『クイズ100人に聞きました』が始まるという。

――70年代のキックブームは沢村忠と共に終幕すると。

細田 たとえば、藤原敏男先生が、ラジャダムナンのチャンピオンになったとき、これは格闘技史的にはもう、大変な偉業中の偉業ですよ。にもかかわらず、テレビ業界的には、さほどの関心を見せないんです。結局のところ世の中の多くの人というのは、往年のK-1ブームもそうなんですけど、目立つものにしか関心がない。世間から注目されていた沢村忠という絶対的なスターが去ってしまったら、キックボクシング自体に急速に興味を失っていったんです。

――それだけ沢村忠の存在は巨大だったんですね。

細田 それは放送していたTBSというテレビ局の力もあります。1970年代のTBSは圧倒的な人気局。全国32局ネットで『8時だョ!全員集合』や『キイハンター』、『ありがとう』『ウルトラマン』とか人気番組揃いで。それが「12チャンネルで放映してる」って言われても「うーん」という感じなんですよ。日テレやテレ朝は、すぐにキックから撤退したし、「キック黄金時代」なんて言われるけど、実は「沢村忠黄金時代」なだけ。最初なかなりヒリヒリはしていたけど、一度バラバラになって、そこからいろんな団体が生まれた。でも、母体が同じだったりするから、あくまでも個人的なつば迫り合い。それもごくごく些細な普通の人間関係に起因するものだったと思うんですね。

高崎 団体同士のケンカじゃなくて、トップ同士が昔の因縁から「アイツだけは許さない」と憎み続けている歴史ですね(笑)。

細田 いま高崎さんがハッキリと表現されましたけど、実際にそういったものです。キックにはボクシングのような統一コミッションがないから、そういった争いが余計に如実に表れる。きっとボクシングだってジムの会長同士、仲が悪かったりするはずなんだけど、 JBCという統一コミッションがあるし、統括の協会もあるから「まあまあ仲良く」って収まる。でも、キックの場合はその「まあまあ」がない。そうこうして、近年、那須川天心のようなスターが出てきたら、プロモーション主体に移行していくという。

――ブーム終焉を受けて、80年代のキックボクシング界はどんな状態だったんですか?

細田
 まあ人気は壊滅的ですよね。ただ、80年代後半は竹山晴友vs鈴木秀男の竜虎対決で盛り上がって、竹山はその後、元ラジャダムナン王者ラクチャート(・ソーパサドホン)を倒すんですが、それはラクチャートの片八百長だったとかで。そんなマネをされた竹山は悔しくてキックをやめちゃうんですよ。

――
竹山さんの師匠は大沢昇さんで、激辛カレーで有名だった大沢食堂の主人ですね。 

細田
 大沢昇さんからすれば、竹山晴友は極真の後輩でもあって、個人的に面倒を見てたんですね。自分の食堂の上をジムというか練習場にして。竹山はキックでも大活躍したんですが、ラクチャート戦で「バカバカしい」と泣いてやめちゃう。当時はけっこう大事件だったんです。

――『わしらは格闘技探検隊』というミニコミ誌があって大沢さんが定期的にインタビューを受けてましたよね。その本にはUWFはフェイクであると指摘してましたが、竹山vsラクチャートについては具体的に踏み込んではなかったような……ちょっと記憶がおぼろげですけど。


細田 いまボクが言ったことも片八百長の証拠はないじゃないですか。でも、竹山が泣いてキックをやめたという事実はあるわけで。あの時点で『わしらは格闘技探検隊』も証拠はないから書けなかったんでしょうね。でも、みんなわかっていたはずですよ、こんな不可解な辞め方をしたってことは。当時はこの試合以外にもムエタイのチャンピオンが不思議な試合をやったことがあった。例えば◯◯vs△△とか。そうですよね、高崎さん?

高崎 なんでボクに振るんですか! 証拠がないから、なんとも言えないです(笑)。

細田
  だから、「沢村忠の試合はフェイクだった」と批判するなら、他も批判しなきゃいけないんじゃないかと思う。沢村忠はもう業界の人間じゃないから批判できる。それってどうなんでしょう。

――八百長っていまも昔もタブーですけども、ただ昔は八百長に対する温度って違いますよね。ちょっと前に某・格闘家にインタビューしたときに「あの試合だけワークじゃないですか?」っておそるおそる尋ねたら、笑いながら「いやあ、あの試合は◯◯さんに頼まれちゃって仕方なくね。これを載せちゃうと◯◯さんに迷惑をかかるからカットしてくれないかな」と。そういう義理人情もあって、八百長をやらざるをえない時代だったのかなと。 <13000字対談はまだまだ続く>
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