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朝倉海戦以来、1年ぶりのRIZIN参戦となる昇侍インタビュー。「どこでも昇侍」は、どこでも厳しい道を歩んでいました(聞き手/ジャン斉藤)
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――昇侍選手は2回目のRIZIN参戦ですが、最近はファンの方からイジられキャラになってるというか、 「どこでも昇侍」という愛称が定着して……。
昇侍 ハハハハハ!
――選手のSNSなんかで昇侍選手の姿がよく見かけるからですけど。このネーミングはどう思われましたか?
昇侍 …… ちょっと面白かったですね(苦笑)。「どこでも」という言葉自体、「どこでも昇侍」か「どこでもドア」しかないじゃないですか。
――ドラえもんか、昇侍か(笑)。ご本人には、どこでも顔を出してるなっていう意識ってありました?
昇侍 いや、そうでもないんですけどね(苦笑)。
――「どこでも昇侍」という意識はないわけですね。
昇侍 格闘技が好きなので、強い選手に会えることは嬉しいし、格闘家は尊敬してるので、そういう人たちの考え方、普段の練習する姿を見て学んで、そうやって自分を高めていきたいという気持ちがけっこう強いので。見え方によっては「どこでも昇侍」に見えるのかなって(笑)。
――昇侍さんは「これだ!」と思ったら、相手にすっと入っていけるんですね。
昇侍 縁があって知り合った方とは仲良くはします。だけど、ファンがガッカリしない程度の距離は必要なのかなって。
――最近のファンはそこはけっこう気にするんですよね。試合後ドミネーター選手が朝倉未来選手のYouTubeに出演したら一部のファンからバッシングがあったり。ドミネーター選手いわく「YouTubeに毒されすぎだ」ってボヤいてましたけど(笑)。
昇侍 実際、練習も同じ体格じゃないとできないので。練習したことがある選手と試合をすることはけっこうあるんですけどね。
――日本は狭いですからね。昇侍選手は2013年のチェ・ドゥホ戦を最後に引退されて、2017年に復帰されましたけど。フェードアウトされているあいだは何をされていたんですか?
昇侍 一度引退するまでは所属していたKIBAマーシャルアーツクラブでインストラクターをやってたんですけど、チェ・ドゥホに負けて心機一転、違う仕事をしようと。それでラーメン屋で修行をして。
――あのチェ・ドゥホ戦に今後の進退を懸けていたんですよね。
昇侍 この試合に負けるようなら、このまま格闘技を続けても……と。18歳ぐらいから格闘技を始めて、あたりまえのように格闘技をやってきて。実際に離れてみると、自分にとって人生のすべてが格闘技にあったんだな、 こんなに好きだったんだな……と。そこをあらためて痛感して。お金はもちろん大切だし、だけれども、いましかできないこと。自分の中で自問自答をして、一番やりたいことは格闘技だったことがわかったんですよね。
――昇侍選手は高校時代、元プロ野球の投手でパ・リーグ新人王・八木智哉さんと一緒に野球をやられていて。 昇侍さんが格闘技の進退を考えていた頃、八木さんは日本ハムファイターズからトレードされたり、オリックス・バファローズから戦力外通告されたんですよね。
昇侍 そうです。よく知ってますね(笑)。
――その件も影響があったんですか?
昇侍 それはめちゃくちゃ影響ありましたよ。プロ野球は結果を出さなければ戦力外通告される。クビを切られたら野球をやりたくてもできません。 そういったシビアな世界で同級生の智哉が頑張ってる姿を見ていて。逆に格闘技というのは、やりたければずっとできる世界なので、線引きを決めずに続けることのリスクもあるというか。
――やろうと思えば続けられるからこそ、リスクを抱えることになるんですね。
昇侍 それは身体のダメージとか、お金や将来のことを含めて。それでいったん線を引いたんですけど……戻って来ちゃいましたね(苦笑)。
――ラーメン屋ではどれくらい修行されたんですか?
昇侍 2年半ですかね。店を出せるくらいまで勉強したんですけど。
――ちなみにラーメンはいま作っても美味しいんですか?(笑)。
昇侍 あ、美味しいです。自信があります。醤油ラーメン、喜多方ラーメンですけど、料理はなんでも作れるようになりました。
――そのあいだはトレーニングはされてたんですか?
昇侍 はい。仕事の合間に重りを背負って走ってましたね。
――えっ、どういうことですか?(笑)。
昇侍 いつでも復活できるように25キロのパワージャケットを着て、いつでも5分3ラウンド戦えるように走ってました。
――全然引退してないですよ!(笑)。 ラーメン修行をしながらも、心は格闘技に……。
昇侍 そうですね。やっぱり自分のやりたいものは格闘技なんだなって。
――そこまで格闘技を忘れられないのなら、最初に引退されたときの悔しさってすごかったんじゃないですか。
昇侍 悔しさはありましたけど、日本の格闘技界で食っていくことって当時はかなり厳しかったじゃないですか。 UFCとか世界で活躍するレベルまで行かないと、続けても厳しいという中で、その天秤にかけたのがチェ・ドゥホ戦で。
――チェ・ドゥホはその後UFCで活躍してますし、相当強敵でしたよね。 だからこそ天秤にかける相手としては格好だったという。
昇侍 あの試合のダメージも凄かったですし。半年くらい頭痛が収まらなかったり……。
――そういうこともあって、ここが潮時なんじゃないかと。それでも復帰しようと思ったきっかけはなんだったんですか?
昇侍 ずっと心の中でしこりというか、格闘技に戻りたいという思いがどんどん大きくなっていきましたね。
――それでトイカツこと戸井田カツヤさんのフィットネスジムに関わることになって。
昇侍 もともと戸井田社長とは現役時代、練習もやってましたし 、キックボクシングの『ファイトフィット』というブランドを都内で40店舗近く展開してるんですけど。そういったビジネスモデルを確立されたのが戸井田社長の実績で。以前の自分の中では格闘技をビジネスにすることはできないなって思ってたんですよ。 昔はそうだったじゃないですか。
――昔は試合で稼ぐくらいですよね。
昇侍 いまは一般の人に格闘技を教えることが仕事になるので、いつか自分もジムをやったりするつもりなので、戸井田社長のところで勉強させてもらいながら格闘技の練習環境を作ろうと。戸井田社長にお願いして入社させていただきました。
――格闘技を続けるには何かしら生活の安定基盤が必要だということですね。
昇侍 そうですね。東京に出てきて一人暮らしをしながら格闘技をやる人はいっぱいいると思うんですけど。すぐには格闘技では稼げないですから、安定した仕事をしないとプロとしてやってくことは難しいので。復帰するにあたり、いまの自分があるのは戸井田社長のおかげであることは間違いないですね。
――トレーニングはしていたとはいえブランクは感じました?
昇侍 やっぱり試合間隔というのはけっこうあるもので。「ない」と思っててもありますよね。試合を重ねていくことで徐々に感覚を取り戻した感じですね。
――昇侍さんは野球の強豪校(日本航空高等学校)でプレイしてたぐらいだから体力は相当あったんでしょうね。
昇侍 プロ野球に行くような智哉と比べれば、球技センスはなかったですけど、身体能力はありましたね。
――ポジションはどこだったんですか?
昇侍 センターですね。ベンチ入りできるか、できないかで……。
――甲子園3回戦まで進んだチームで、すごいじゃないですか!
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期待の新鋭も応援したいけど、昇侍選手や大塚選手のようなしぶとく結果だし続けてる選手も応援したくなる。試合も楽しみ。
高校野球の一年生てやっぱ厳しいすね
漫画通りやん