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スポーツ紙の中ではダントツにプロレスに強い「東京スポーツ」の記者としてプロレス団体の運営にも関与してた寿浦恵一氏インタビュー。今回は先日お亡くなりになった風間ルミさんを偲びます(聞き手/ジャン斉藤)

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・元・東スポ記者が作ったFMWの裏側、果たせなかった三沢光晴との約束■寿浦恵一



――
元『東京スポーツ』記者の寿浦さんが、初めて風間ルミさんと会われたのはいつなんですか?

寿浦
 あれは『東スポ』に入る前の内外タイムス時代だね。ジャパン女子プロレス(1986年)が旗揚げしたときから取材を始めて。ジャパン女子プロレスが立ち上がったときに選手を募集していたんだけど、そこに風間や神取忍もいて、ジャッキー佐藤やナンシー久美は教える立場でいたのかな。ほかにもコーチとしてグラン浜田だったり、そのあと山本小鉄さん、あとは大仁田厚もいたんだろうけど、そのときは大仁田とは会ってないんだよね。

――
のちにFMWのブレーン的役割を果たす寿浦さんですが、そのときは大仁田さんとは接点がなかったと。当時は、ジャパン女子プロレスの担当記者というかたちだったんですか?

寿浦
 担当というかなんというか……当時からわりと全女はフジテレビとデイリースポーツとガッチリというかたちだったんだよ。

――
そういえば、当時のスポーツ紙はプロレスそのものはあんまり扱ってないですもんね。

寿浦
 そう。女子なんかはデイリーしかほぼ扱ってなくて。女子プロの取材というと、俺もそれまで1回ぐらいしか観たことなくて。内外タイムスの記者だった時代に、ダンプ松本と長与千種の大阪城ホールの髪切りマッチは観たんだけど。それ以来の女子プロレスの取材がジャパン女子。団体の社長が芸能プロの社長だったからさ。

――芸能つながりで秋元康さんがアドバイサーとして関わって。

寿浦 まあ接待じゃないけど「取材してくれ」ということで、合宿かなんかも見に行ったし、後楽園でやった旗揚げ戦を原稿にしたりして。で、その社長がやめて別の社長になって経営がおかしくなったんだよね。

――
ジャパン女子は方向性としては斬新だったというか、いまの女子プロレスにつながるようなアイドル的なコンセプトでしたよね。

寿浦
 そうそう。まあ、スタートラインは俺は違ったと思ってるんだけど。というのも、もともと全女も基本は芸能プロみたいなもんじゃん。マッハ文朱だったり、あのへんからビューティペアあたりも基本的には芸能で。それが芸能じゃない色に少しずつ染まっていったというのがクラッシュギャルズぐらいからだから。それでも、まだちょっと芸能っぽい感じは残っているんだけど、でもジャパン女子はそこと違うものをつくろうとしていたわりには芸能を持ってきて、秋元康に選手の名前を付けてもらってという。

――
「キューティー鈴木」なんかも秋元さん命名で。

寿浦
 まあ、秋元康本人もプロレスが好きだったんでしょ。で、問題なのはジャパン女子の社長が変わったときに、もちろん金の問題もあったんだろうけど、地方巡業したりしたときに地方のプロモーターを相手に選手が接待じゃないけど、そういう席に出ていかないといけないと。そういうことに風間や神取が反発したのがスタートなのよ。要するに「私たちはホステスじゃない」と。それが彼女たちがジャパン女子を飛び出したスタートラインだよね。

――それは凄く納得できますけど、逆に全女(全日本女子プロレス)のレスラーも接待に駆り出されていたんですか?

寿浦
 どうなんだろうね? でも、全女でそれはないと思う。彼女たちが集まって飲んでたという新宿二丁目の店は知ってるんだけど、誰かに接待というよりも、酒は身内で固まって飲んでたよね。

――
毎日あれだけ巡業があると接待しているヒマもなかったんでしょうし。

寿浦
 ある意味、松永(高司・会長)さんはそういう部分は厳しくしたんじゃないかと思う。だから、いつも「会場までバスに乗っけて」ということを徹底していたわけだし。

――
松永会長は昭和の頃から興行で全国を回って、地方でも顔が利いていましたし。ジャパン女子のような新興勢力だとやっぱり積極的に接待しなきゃならないという差はあったのかもしれないですね。

寿浦
 もちろんそれはあったと思う。実際、ジャパン女子は金にも困ってたし、そういう接待をせざるをえないという事情があったんだろうし。

――
でも、そこで風間さんが反発したわけですね。

寿浦
 だから、風間とはその頃からいろいろと話をする機会ができて。「どう思う、こう思う」という話をしていたんだけど、最終的にジャパン女子側が風間を解雇するという話になって。そしたら、今度はそれに対して神取が反発して、「じゃあ、みんなでやめよう」という格好になったんだよね。そのときに、風間と選手たちの仲を割ろうとした人間がいたんだけど……まあ、それは誰ということは言わないけど。

――
ジャパン女子は風間さんが立ち上げたLLPWと、JWPと割れることになって。JWPに参加したデビル雅美さんは、風間さんたちに裏切られたというふうに振り返ってるんですよ。

寿浦
 そこはお互いに、だと思うよ。風間たちにしてみれば「自分たちが目指しているところはプロのアスリートなんだ」ということじゃない。だから、ジャパン女子とは最初からコンセプトが違ってたという部分はあるよね。

――
結果的に割れたことで、ジャパン女子はピュアハートな世界観を作って、LLPWは逆に男勝りな感じになったというか。

寿浦
 そこで、風間が社長になろうと思ったのは、「結局、男が入るとまた同じことの繰り返し」ということだったんだと思う。だから、自分が選手を守っていくのが一番いいだろうという発想だったんだろうなあ。

――誰かの思惑で2つに割れたとはいえ、風間さんの思いがあったからこそ結果的にそうなったというか。

寿浦
 そうだね。だから、基本的に風間は神取を守りたかったんだと思うんだよ、最初から。風間自身が目指すもの、自分はシュートボクシングでやってきて、神取は一応世界レベルの柔道家ではあったわけで。

――2人ともアスリートとしての意識が高かったんですね。

寿浦 あの2人はそこがもの凄く強い。そういうところで結びついたんじゃないかなと思うんだよね。

――
じゃあ、風間さんはLLPWの社長になりたくてなったというよりも、ならざるをえなかったという。

寿浦
 まあ、みんなに押し上げられたというか、あの中では一番、風間が大人だったということは間違いない。それで、なんと言ったらいいんだろうなあ。たとえは悪いけど、神取が暴れ回るお父さんだとすると、風間はそれを包むお母さんみたいな雰囲気はあるから。

――
94年11月の全女の東京ドーム大会のバックステージで、神取さんが北斗さんにボディにパンチを入れて、女子トイレで説教したという事件がありましたけど。神取さんいわく「北斗が約束を守らなかったから」と。そんな神取さんをコントロールする役目を風間さんが果たしてたというか。

寿浦
 そういう部分も含めて、風間しかいなかったんだと思う。ジャパン女子を飛び出したあとは「……どうしよう?」と不安にはなったんだろうけど、そこで誰か男性に頼んで社長にしたりすると、また面倒くさいことが起こるのはイヤだということなんだと思うけどね。

――
そこは、よっぽどジャパン女子でイヤな思いをしたんですね。

寿浦
 それはそうなんじゃない? あとはまあ、神取はそこそこいろんなことができるわけで、ジャッキーもナンシーもプロレスができる。じゃあ、自分が何ができるかというと……プロレスラーとしての限界も肌で感じたと思うんだよなあ。風間は飛び抜けてプロレスがうまかったわけじゃないしさ。

――
たしかにトップレスラーとしてというよりは……。

寿浦
 そういうわけではないでしょ? なので、自分は裏方のほうが似合ってると思ってた部分もあったんじゃないかな。戦うことは神取に任せて。それは、あの横浜アリーナで確信したんだと思うけど。

――横浜アリーナというのは、93年の女子プロオールスター戦のことですね。

寿浦
 あのオールスター戦は、まあ最初はFMWの女子が絡んだところからスタートして。で、あのときは全女がお金の問題も含めて困ってたわけじゃない。当時、全女のフロントだった小川宏(ロッシー小川)は覚えてないと思うけど、ボクが内外で仕事をしているときのカメラマンと小川さんがプロレスのファンクラブで一緒だったから、面識もあったし意外と話はしたんだよね。で、小川さんが「なんか、面白いことないですかね」という話になったときに「オールスター戦をやればいいんじゃない?」という話をして。

――
そんなとんでもない提案を(笑)。

寿浦
 まあ、それがキッカケかどうかは知らないけど、「イニシアチブを取れるのは全女しかないんだから」と。結局そういうふうになっていくという。ただ、LLPWというか風間はオールスター戦はやりたくなかったの。

――風間さんはその前に、全女に「ウチと対抗戦をやりませんか」という話を持っていったら、松永会長がまるで興味を示さなくて。でも、その数ヵ月後に他団体も交えて「やっぱりやろう」となって、それに騙し討ちに近いかたちで巻き込まれたから「この人は信用できないと思った」らしいですね。さすが全女というカオスな展開なんですけど(笑)。

寿浦
 あらためて話があっても、風間は「メリットがないよね」という話をしてたと思う。なぜなら、最初から北斗晶vs神取忍というマッチメークありきだったから。

――
当時、風間さんは北斗晶というレスラーのことをよく知らなかったらしいですね。

寿浦
 あの頃の北斗ってじつはそんなビッグネームではなかったからね。なので、神取と試合させたって北斗が上がるだけで、神取は上がらないよねという話だったというか。「神取にとって一つもプラスはないよね、相手は上がるけど」という話をしていたことは覚えている。

――神取さんは小さいながらもLLPWのエースですし、「女子ガチンコ最強」の幻想をまとってましたし……。

寿浦
 まあでも、結果的にはあの試合をやったことでLLPWという団体が存在することを世間に知ってもらった部分もあっただろうし、やってよかったんだろうと思うけど。……で、そのあとの記憶が飛ぶんだよなあ。風間と北斗の試合も覚えてないんだよね。

――
93年11月、駒沢での大会で、風間さんが北斗さんに負けて坊主になったという試合ですね。

寿浦
 風間が坊主になったことは知ってんだけど、頭の中にその映像がない(苦笑)。だから、あの試合は観てないんだと思う。

――あの日はLLPWの若手選手が全女との対抗戦でゴミクズみたいな扱いを受けて……。いま振り返ると神取vs北斗の件も含めて、LLPWはどう見ても政治ベタなイメージがあるんですよ。もちろんプロレスラーとして全女のレスラーのほうが1枚も2枚も上手だったのはたしかなんですけど。

寿浦 結局、それは政治というか、交渉に出ていく人間が風間でしかないからじゃない? 「こういうふうに立ち回れば……」ということを知らなかったのかもなあ。本当のプロレスの“駆け引き”というのを……。
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