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Dropkick
アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは注射器を持ち込んだデスマッチファイター第2の人生、サムタック・ジャックの場合です!
「ショーは終わり、台本を閉じる。アンコールはない」
この言葉は「ドイツが生んだ華麗なるデスマッチアーティスト」サムタック・ジャックが引退を決めたときのものである。2010年10月2日にドイツ・オバーハウゼンで行われた大会で、生涯車椅子生活になる可能性があるほどの致命的なケガを負い、引退を余儀なくされた悲運のデスマッチレスラーだ。
サムタック・ジャックは、いまどうしているのだろうか? 試合中のケガでリングを去ったことをどう受け止めているのか。
1985年7月21日、ドイツ・ミュンヘン近郊の街グレーフェルフィングで産まれたサムタック・ジャックこと、アレキサンダー・ベドラナヴスキーは、15歳の時からプロレスの練習を始め、翌年16歳でプロレスラーとしてデビューする。
「プロレスを始めた頃は、ハードコアマッチで自分の名声を確立しようと思っていたわけではなく、ただなんとなくそうなっただけなんだ。若いからまだ技術もなかったし、普通の試合で観客を沸かせる力がなかったから、突拍子もないハードコアなプロレスをしてたんだ。ハードコアな試合は楽しんでやっていたよ。親は心配したけどね。勘違いしないでほしい、俺たちは痛みが好きというわけではなくて、痛みにうまく対処できるんだ」
そう語るサムタック・ジャックの名前を一躍、世に知らしめたのが、2007年3月11日に行われたドレイク・ヤンガーとの「SAWデスマッチ」だ。スプラッター映画(ホラーより残酷な映画のこと)「SAW ソウ」から名前を取った過激なデスマッチは、カミソリ付き椅子、ノコギリ、ガラス、電動ドリル、そして無数の注射器を凶器として使用。あまりにも凄惨、残酷すぎて、物議を醸すほどの危険なデスマッチだった。
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