シェーン・カーウィン(38)は30歳になるまで、MMAファイターになろうと考えたことはなかった。
高校時代のカーウィンは、レスリングに打ち込んだ。レスリングのコーチは、日本でMMAやプロレスに出場していたロン・ウォーターマンであった。ウォーターマンは自分の試合前には、カーウィンをパートナーに練習することを好んだ。レスリング以外の格闘技は何もわからないカーウィンに、MMA戦のセコンドにつくようにも頼んだこともあった。
大学に進むとカーウィンはフットボールに熱中する。大学のフットボールチームでラインバッカーだったカーウィンは、1997年にNFL合同テストを受け、まずまず成績を収め、夢を膨らませてドラフトで指名されるのを待っていた。CNNのドラフト選手特集でカーウィンは「小さなカレッジのホットな候補選手」と紹介され嘱望されていた。未来は明るいように思えた。しかし、椎間板ヘルニアの持病のせいか、結局どのチームからも、ドラフトで声がかかることはなかった。
1999年、カーウィンは環境工学の学位を取得して大学を卒業。プロの室内フットボールのチームからオファーを受けるが、これを辞退して、コロラド州のスクールオブマインズ大学院に入学し、機械工学と経済学を専攻する。その大学ではレスリング部のアシスタントコーチを務め、レナート・ババルの指導もしている。
2004年、カーウィンは大学院を卒業し、コロラド州ルサーンの水道局のエンジニアとして正職員の仕事を得る。そして、生涯の伴侶となるラニさんと職場恋愛に落ちる。
スポーツからは身を引き、すっかり一般社会人に染まろうとしていた2005年、カーウィンはWECのプロモーターだったスコット・アダムスから、MMAの試合に出てみないかとの誘いをうけた。眠っていた懐かしい闘争本能がよみがえり、身が引き締まった。カーウィンは思わずオファーを受けてみることにした。
2005年10月、カリフォルニア州レモーアで開催されたWEC17大会で、カーウィンは30歳にしてMMAデビューを果たした。
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